鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

寒さ厳しき折、「ありふれた」日々のなんともありがたいことか…

2018-01-30 20:16:57 | エンタメ

時節柄、日々、寒中見舞いの便りがいろいろな方々から届いてきます。この冬のとっても厳しい寒さを反映してか皆さん一様に「極寒」「厳冬」といった言葉とともに冬のごあいさつを送ってきてくれます。


寒さ厳しき折りながら、過日22日の大雪の夜、わが街 佐助の夜景の記憶も

まだ冷めやらぬまま。

その3日後の25日は東京都心で48年ぶりに氷点下4℃を観測したとかで、我が家の愛車メガーヌの外気温計もこの冬最低の「-6℃」!

48年前の中学生当時、冬はたしかに今よりも数段寒かったように記憶しています。当時、東京・葛飾で暮らしていましたが、毎朝 家の池に厚さ2センチ近い氷が張るのは当たり前でした。それでも毎日、野球に明け暮れる元気に満ち溢れていました。ひるがえって今上、「寒いよ、寒い…」とカラダがギシギシ悲鳴をあげる情けない状況になってはいますが、オレンジ色に輝く「-6℃」の表示を見た瞬間、なんとも不思議な高揚感に包まれるのでもありました…。

この寒さに触発されたという訳ではないのですが、この冬はかなり昔に聴きまくっていたカセットテープを聴きながら作陶しています。

若かりし頃、スキーに出かけても「ロッジで待つクリスマス」というシチュエーションは全くなかったし、藤沢あたりにサーフィンしに行くとしても寒さは苦手なので「真冬のサーファー」という訳にもいかず。それでも「ツバメのように」毎日、東京の街を飲み歩いていました。あの当時、松任谷由実さんの全盛期をリアルタイムで過ごしていた時の数々の思い出が昨日のことのように甦ります。いきおい、作陶のペースも上がる! ということにならないのが、なんともトホホ…、です。

「やっぱり若い頃に聴き込んだ曲はステキだな」と感じ入り、レコード棚に納まる往年の名曲をパソコンに取り込み始めたところ、パソコンがいきなり「イヤイヤ」し始め、カチカチにストールの憂き目に。メーカーに復旧サポートをトライしてもらったところ、あろうことかワタシの愛すべきパソコンが再起動を延々繰り返す悲しい状況に陥ってしまいました、グスン。

もはや、メーカーのいかなるサポートをもってしても、成すすべがありません。

この窮状を数年前に2万円ほどで買った中古のパソコンが凌いでくれます。

常とはならぬ状況に、ウチの黒猫ノワールは心なしか楽しそう。しっかりと毛繕いなんかもしています。

それにつけても、メーカーさんのサポートセンターにパソコンを運送すべく来ていただいた日通さんの段取りの素早いことといったら、ただただ見惚れるばかり。


このような梱包セットの中にワタシのデスクトップパソコンを「ササっ」と詰め込んで配送していきます。

今回のパソコントラブルは、ワタシの作品を梱包、発送する上でおおいに参考になったという「副産物」ももたらしてくれました。

ワタシの傷ついたパソコンはメーカーさんでの修理もままならず、結局は東京・多摩地区にある秘密基地のような修理屋さんに持ち込み、超安価で写真や諸々のデータもなんとか復旧。

今回のパソコントラブル劇をシンガーソングライターの小田和正さん的にいえば、「さりげない」「ありふれた」ことが「かけがえのない」「素晴らしい」ことであることを再認識させてくれたのでした。

今、パソコントラブルを経てのパソコン・デスクトップ画面は、ワタシが大好きなビートルズが数々の名曲をレコード収録したアビーロードスタジオの外観。

この画面を観たウチの同居人さんは「あら、この家、ステキですね。私の理想の家。たまにはパソコンのイヤイヤも良いことありますね…」と、のたまってくれます。

今宵「良厄 愚痴に逃がし…」





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「出逢いはスローモーション」に始まり、瞬く間に白く変わりゆく街並みにトホホ…

2018-01-22 16:44:41 | 日記


たしかに先週の半ばころから天気予報では「大寒を過ぎてから週明けはこの冬一番の大寒波が襲来して、関東地方も雪…」とは言ってはいましたが、その予想はしっかりと当たってしまいました。子供のころならば、雪模様は大喜びで雪合戦やカマクラ作りに「キャッキャ!」と大喜びしながら、雪と戯れていたものでした。でも…、あれからいくつもの歳月を経て不良中年に成り下がってしまった今となっては「明日からの雪かきが大変だぁ…」とつぶやきながら降りゆく雪を呆然と眺め続けてしまいます。このくらいの雪で大騒ぎしていては、雪国で暮らす人には甚だ申し訳ないくらいなのですが…。

今朝、東京方面は朝6時くらいから雪が降り始めたようですが、当地は午前10時前頃からヒラヒラと雪が舞い降り始めました。


雪が降り始めた時はいつも、なぜかだいぶ前に中森明菜さんが歌って大ヒットした「出逢いはスローモーション」という曲がどこからともなく耳元にかすかに響いてきます。来生えつこさんが作詞し、弟のたかおさんが作曲したこの曲のサビの部分「♪出逢いはスローモーション」が、ワタシの中で雪の降り始めの景色と妙にシンクロしてしまいます。そしてこの曲の詞の中に何回か出てくる「恋」という部分を「雪」に置き換えても不思議になんとなくしっくりと来るような感じがするのですね、これが。もし気が向きましたら「出逢いはスローモーション」の歌詞を紐解いて「恋」を「雪」に換えて読んでみてください…。

陶芸教室終了後、会員さんと語らっていた正午過ぎから急に雪の勢いが増し、いきなり白銀の世界へ。


雪の勢いが弱まった隙をついて20歩ほど街へ繰り出す?と、なんとも趣きのある雪景色。

お隣の家の門前にある梅の木の枝ぶりがなんとも素敵です。

今回の雪は水分の多い「べた雪」のようで、メガーヌのフロントガラスに「Room114」の文字をなぞってみましたが、あっという間にだらりと流れてしまいました。


いつまでも雪と戯れているワケにもいきません。裏庭に作った「作業スペース」の屋根が雪の重みでつぶれないように、支えの柱を仮設してなんとか急場をしのぎます。

あとは、屋根がつぶれないことを祈るのみ。ただし、家の屋根から雪が大量に落下した時の結果は、神のみぞ知る…。

「たぶん、すぐに止まる…!?」と思っていた横須賀線は、きちんと運休しているようです。

地元の大動脈たる横須賀線はワタシ同様、からっきし、根性がありません。

まだ雪が降っていなかった午前9時過ぎに街中でクルマですれ違って手を振り合った ゆうパック のお兄さんが集荷に訪れ、「いい時に用すませましたね」とねぎらいの言葉をお互いに掛け合うひと時も。

「今日に限って荷物が多いんですよ」と言いながら、雪の中へ消えてゆくのでした…。

午後4時ともなると、窓の南に広がる佐助の街は、さながら プチ雪国。



さらに西側の杜は、さしずめ プチ雪山…。


そして今宵は…。昨日、あわてて買い求めたスノーシューズを履いて街に繰り出す予定がひとつ。大仰なメンズ向けスノーブーツの傍らに このレディスLLサイズのスノーシューズはそっと佇んでいました。試しに履いてみると、サイズもぴったり。ことほど左様に、ワタシはレディス向けの衣類が妙に馴染んでしまいます。家でこのシューズを履いてみたウチの同居人さんも「これはワタシにもぴったり。なんで…!?」と、変な顔をしていました。


ともあれ真冬の雪の中、今宵は駅まで徒歩にてトホホ…
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まだまだ寒さは続きますが、春の訪れは黒猫ノワールの「ニャ~」とともに…

2018-01-18 12:20:04 | 日記





一年で最も寒さが厳しい頃、とされる「大寒」を数日後に控えた今の頃は空気澄み渡り、遠くの景色もくっきりと見渡せます。この時期、ワタシが住む佐助の北側・梶原の丘から望む鎌倉旧市街と材木座の海、そして逗子マリーナはまさに「絶景」と言ってもよいでしょう。


そして本日17日朝。「午後から雨模様」との予報が出ているせいか、いつもならば朝日を浴びて明々と輝いているはずの佐助の里山は、気のせいか息をひそめているようにも見えます。その一方、柔らかに吹いてくる南風のおかげで ここ何日か続いていた凍てつく冷気からしばし開放されてほっとひと息。


「大寒」を控えた去る15日は、旧くから伝わる習わしの一つでもある「小豆粥を食する日」ということで、2階に住む母宅で朝の膳。昨年末に米寿を迎えた母の手によって、新年三が日のお屠蘇とお雑煮、そして松が明ける7日の七草粥、11日の鏡開きに続いて、形ばかりながらも小正月の儀に臨ませてもらいました。


この種の旧くからの習わしをこなすたびに母は満足げな笑顔を見せます。思うに古来からの風習とは、人の身体と心に「張り」を与えるきっかけとして先人たちがしつらえてくれた「叡智」なのでは…とも思います。

そして、ワタシと同居人さんのお正月半ばの欠かせぬ「習わし」といえば、東京・新小岩にある日蓮宗秋田県妙倉寺東京布教所にて同寺僧侶・山田恵大さんによる「正月祭典」へのお参り、そしてその後の日蓮宗中山法華経寺大荒行堂での入堂参拝があります。

こちらが、日蓮宗秋田県妙倉寺東京布教所の山田恵大さん。日蓮宗の若いお坊さんを指導する立場にあり、そして都内の大学でも仏教についての講座を持つとても高貴な方です。たとえばワタシ倉田の家は福島・会津にある曹洞宗のお寺にお墓があり、両親は形ばかりですがクリスチャンでもあります。そしてウチの同居人さんのお墓は横浜に建つ真言宗のお寺にあり、日蓮宗信徒ではありません。それでも山田さんは生きる上での悩みや迷いに向き合って、人として生きる上での進み方をそっとやさしく指し示してくれます。そのようにして、山田さんのもとへは和洋の宗派の枠を超えて多くの人が話を聞きに訪れます。


山田さんと我が家のつながり、そして日蓮宗の若いお坊さんが中山法華経寺で行なう荒行の様子はこちらのブログから。あらためてブログを読み返してみると「なかなか良くわかります」と、少々自画自賛…。ぜひ、一読くださいませ。

日蓮宗秋田県妙倉寺東京布教所での「正月祭典」を経て午後3時前に、千葉県市川市にある日蓮宗中山法華経寺へ。JR総武線下総中山駅、京成中山駅から向かう場合、駅から参道を進み、この山門の向こうに法華経寺があります。


こちらが、日蓮宗の若いお坊さんが昨年11月初めから来月2月10日まで100日間にわたり、日々睡眠時間2時間、そして毎日 真夜中から7回の水浴びと読経に明け暮れる荒行を続ける場たる大荒行堂。

日中は多くの参拝客でごった返していますが、夕刻ともなると辺りは人影がすっかり無くなり、しーんと静まり返ります。「この荒行堂の中、若いお坊さんはあと残り1ヶ月弱、厳しい修行を続けるのね…」と、厳かな気持ちと共に愛車メガーヌを駆って帰途につきます。

家に戻るやいなや、タイミング良く「今、近くにいます。一緒にお食事を…」と声かけられてお店に向かうと、誘ってくれた熟女が揃って「カブリモノ」して「お待ちしてました…」とお出迎え。


ともにこの街のお店仲間ということもあり、お正月の街の喧騒のほどを話しつつ、いつしかウチの黒猫ノワールの話題にも…。

そういえば…。このブログでの紹介は少々遅れていまいましたが、このたびコミュニティFM「調布FM」1月15日、22日 月曜夜11時30分からの「ゆりゆりの心のビタミントーク」という番組に、ワタシの陶芸活動全般と日々の暮らしぶり等がインタビュー形式で紹介されています。番組パーソナリティのゆりゆりさんは、ウチの同居人さんの古くからの知り合いでもあります。

今回の調布FMでのワタシのオンエア情報はこちらから。

ちなみに1月15日の夜11時30分からの放送では、ワタシがインタビューに答える中、ノワールがしきりに「ニャ~」と、しゃべりまくっている声がオンエアされ続けていました。ワタシとともにその番組を聴いていたノワールは、ラジオから流れる自らの「ニャ~」という鳴き声に目を白黒…。


それにつけても、常ならば夜10時にはほぼ眠りについているわが身にとって、自身の声が流れるとはいえ日付が変わる間際の夜11時半からのラジオ視聴はまさに「プチ荒行」の域に限りなく近き…。

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ライブ、フジヤマ、里帰り…、年の初めは徒然過ぎて、今日までそして明日から

2018-01-08 16:38:08 | 日記


つい数日前、「お正月だ、めでたいめでたい。おっ、このサッポロ赤星・冬期限定ラベル缶はどんな味がするのかなぁ、飲んでみよう…」などと言い訳しつつ、朝からお気に入りのサッポロ赤星を飲っていた頃がはるか遠い昔のことのように感じられます。箱根駅伝での母校の悪夢も忘れました…。そして今年最初の終末、ではなくて、週末の3連休の祝日・月曜日は驚いたことに早や「成人の日」!?。昭和の時代から「成人式は1月15日」ときっちりアタマの中にインプットされている我が身としてはなんとも釈然とせず、そのモヤモヤ感からか1月7日の「七草粥」も危うく忘れるところでした。

7日の朝早く、「七草、もう、売ってないだろうなぁ…」と少々「トホホ」な気分で愛車メガーヌに乗り込み、パック詰めの七草粥セットを求めて新春の鎌倉の街に繰り出します。この時、メガーヌの外気温計が示していた気温は…

フロントガラスもガビガビに凍っています。例年ならば、「-5℃」は1月末から2月初め頃に数回記録するかどうかの数値です。北国で暮らす人からすれば「何言ってるの?」と笑われてしまうのでしょうが、当地ではこの冬は確かに寒さが厳しいようも感じられます。

肝心の七草粥セットは、市内各所の24時間スーパーやコンビニを廻った挙句、セブンイレブンさんでなんとか買い求めることが出来ました。セブンさん、ありがとう…という訳で、新年三が日のお雑煮と同じように、七草粥も我が家の2階に暮らす母がこしらえてくれます。

例年どおり、お雑煮と七草粥をなんとか自らの手でこなせた母は、なんとなく満足気です。そしてウチの同居人さんも「私が作るのは簡単なんだけど、お母さんは作ることを楽しみにしてるのでね…」と、謎の笑顔を浮かべるのですね、これが…。

この3連休は毎日とても寒い朝が続いていましたが、別の意味で「えっ!?」と思わず身震いしたニュースが、かの星野仙一氏の訃報でした。第一報は6日付けスポーツニッポン紙上。朝のテレビ各局も「スポーツニッポンが伝えています…」という言い方で、真偽のほどを掴みかねているようなところもありました。

ワタシも「週刊ベースボール」誌で野球記者をしていた1980年代半ば、中日ドラゴンズは「いつでもどうぞ」という感じで自由に取材できていました。それが87年に星野氏が監督就任以来「仙のカーテン」?が出来て、選手に接触する際のハードルがグッと高くなったことを記憶しています。そして、ワタシも球場で当時の星野監督から「おい、ベースボール、また変なこと書きやがって!」と何度か大声で怒鳴られたことがあります。でも、目は笑っていました。そんな感じの、厳しさとやさしさを持ち合わせた方でした。あらためて、合掌…。

閑話休題。

かねてよりワタシの友人でインド在住のオランダ人・ディルクが「日本のお正月を過ごしたい」と言って、またまた昨年末に鎌倉にやって来ました。彼との日常の会話はワタシの怪しい英語と東京弁でなんとかこなせます。されど、ディルクは昨年秋、日本で過ごす上で少々込み入った事を通訳してくれる方の手助けを受けたことがあります。この3連休のとある夜、ディルクに通訳してくれた初老の紳士がバンド・マスターをつとめるカントリー・バンドが逗子のお宅で開催したシークレット・ライブへ。

シークレット・ライブゆえ、バンドのメンバーとオーディエンスはみんな顔なじみで、しかも皆さんはワタシ世代よりも⒑数歳ほど「人生の先輩」の方々ばかり。ワタシとディルクの一団・計4名は「若干のアウェイ気分」を感じながらも、カントリーミュージック満載の2時間をたっぷり楽しませていただきました。

この3連休は天候も穏やかで、ディルクが宿泊する材木座の宿にふらりと立ち寄った折、海岸からは鎌倉の海と江ノ島の向こうに雪を被った富士山がくっきりと輝いていました。

見方によっては銭湯の「ペンキ絵」のようでもありますが、ディルクによると「美シイ景色デス。鎌倉 イズ スペシャル!」ということなのだとか。

七草、そしてシークレット・ライブや飲み会を楽しむ間にも、ウチの二人を「鎌倉の父と母」と呼んでくれる陶芸教室会員さんが東京から相次いでやって来てくれました。


かりそめの長女と次女の里帰り? というひと時にウキウキのワタシの傍らで、ウチの同居人さんはイソイソとお昼ご飯を作ってあげたりなんかしています。近所のお店に入ると「あ~、長女さん、お帰りなさい」といった具合に声がかかります。

そしてふと気がつくと、いつもウチの黒猫ノワールも皆さんを「おもてなし」…。

今6歳のノワールは人の年齢に換算すると40歳を越えたところなのだとか。さしずめ2回目の成人式を迎える頃にして、何を思うのか、その心の内は「ニャン」とも答えが出ぬままに「松」が明け…。



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あけましておめでとうございます。今年も「風街便り」と「チー坊ノワール」をよろしくお願いいたします。

2018-01-02 22:17:25 | 日記

平成30年1月1日 佐助ケ谷は氷点下の凛とした冷気とともに新年の朝を迎えました。

朝6時過ぎに愛車メガーヌで新春の街に出かける間際、メーターの外気温計が示す「-2℃」のサインが、妙に冷めざめと輝いて見えます。

大晦日は「紅白」も観ることなくビールを飲み続け、不覚にも、年末恒例のBS-TBS「吉田類 年またぎ酒場放浪記2時間スペシャル」の記憶もまだら模様のまま、不思議なことに気分だけはすっきりはっきりと元旦の朝を迎えることができました。今年は良いことあるかも…。

そして三が日はいつものように母が暮らす2階の和室で御屠蘇、お雑煮、おせち料理をいただくことになります。数の子やウニ、イクラ、唐墨といった縁起の良いといわれる食材をあしらった小皿は母の作。そしてお煮しめはウチの同居人さんが制作…といった具合になんとなく担当が振り分けられて、新年の朝の膳が始まります。

40歳くらいまではこの御屠蘇、お雑煮、おせちの三点セットが苦手だったのですが、今ではかなりお気に入りになっています。それなりに年取ったということなのでしょうか…。

例年ならば元旦の朝の膳を済ませた後も「お正月ですから」とだらだら飲み続けるか、もしくは陶芸教室といった状況となるのですが、今年はご近所のお店仲間「甘味処 こまめ」の店長・かえさんから声をかけられて「鎌倉黒珈琲」で淹れた 濃いカフェオレとブラックコーヒーを店頭販売。というかワタシ自身は傍らで、販売の雑務に明け暮れることしかできませんが…。

「こまめ」さんのとびきり美味しい白玉入りの「手作りおしるこ」とともに、初詣での方々の「暖取り」に一役買わせていただきました。明日3日も「こまめ」さん店頭で販売いたします。こちら方面にお出かけの予定がありましたらぜひ、お試しください。

穏やかな元旦の午後には、玄関ドア上の「おはらひさん」を前日の大晦日に鶴岡八幡宮で授かってきた冬バージョンに衣替え。

水色の御幣を冠した夏バージョンから赤い御幣に変わることで、玄関周りが少しばかり温かい雰囲気に包まれるような気がします。

お越しいただいた方々と語らいながら「では、そろそろ…」と顔を見合わせ、街のランドマークでもある佐助稲荷神社へ初詣でに。

今年も、嬉しいことがあった時、困ったことや悲しいことに見舞われた折に、この赤い鳥居の下を歩きながら、さまざまに思いを巡らせることでしょう。

日が変わって本日、新春2日目。訪れてくれる人は皆、箱根駅伝往路におけるワタシの母校の残念な結果を知ってか知らずか、駅伝の話題にはいっさい触れません。みんな、優しい人ばかりです。

そしてふと気がつくと、来る人来る人みんな、ウチの黒猫ノワールを撫ぜまくっています。それに応えるようにノワールも「♪ニャ~ン」とメゾフォルテ。


耳の彼方に、今から約40年ほど前のミュージックシーンで少々話題になった隠れた名曲、アル・スチュワートが歌う「YEAR OF THE CAT」がそっと響いていました。

わが家の今年の干支は 猫!?…。




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