鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

♪あんな時代が…と思い出たどり、廻り巡って「昭和の香り」今もなお。

2013-11-29 21:06:09 | エンタメ
それはもう、「スゴいモノ、見せていただきました…!」とただただ脱帽、そして感激するばかりのあのポール・マッカートニーのコンサートから約10日ほど過ぎた今日この頃。今もって、ポールの歌声に感動し続けたあの2時間40分の余韻に浸ってます。

あのコンサートを見てからは夕食を終えた後のひとときにおいて、ビートルズ後期やメンバーがソロ活動を始めた頃のナンバーをポソポソと聴いたりしています。さしずめ、「ビートルズ マイブーム、再び‥」といった様相でもあります。

でもって、現在の「ビートルズ鑑賞スタイル」はといえば、こんな感じ…。

ワタシが持っているビートルズの楽曲、ならびに彼らのソロ活動時代の1980年代半ばまでの作品の音源はすべてレコード、でした…。今ではデジタルリマスタリングされてとってもクリアな音で聴けるらしいのですが、ビートルズやその後の数年間のソロ活動の曲のCDは1枚たりとも持っていません。「レコード盤で聴けるから、要らないや…」と、今日に至っていますが、ビートルズの曲をレコードで聴くとただただ「懐かしい響き…」ということになります。

そして、夜な夜なわが家にやって来る友人知人たちも、あらためて「おっ、ビートルズですね」、「懐かしい‥」、「あっ、ここに来ればレコード聴けるんだ!」ということにもなり、ひいては「ここには『昭和』がありますね」ということに落ち着くことが幾度も。

思えば、「昭和も遠くなりにけり…」。なんてことは、わが家においては断じてありません!。振り向けば今もって、わが家は「昭和」の香りがいっぱいです。確実に時代の波から取り残されているような気もしますが、「まあ、いいか…」。たとえば…。

ウチの陶芸陶芸教室にかよってきているチビッ子陶芸家ケンちゃんがレーシングカーセットと戯れる…の図。


このレーシングカーセットは今から約50年近く前の小学生時代にワタシも所有して大いにエンジョイしていた思い出の「お宝アイテム」でした。ワタシのレーシングカーセットは惜しいことに友人宅に持って行ったまま行方知らずということに。このセットは、ウチの同居人さんの兄が所有していたもので、つい先ごろわが家に持ってきて、長~いブランクを経ての「再スタート!」となった次第です。

このレーシングカーセットを前にちょっと戸惑っていたケンちゃんですが、30分もすると「ウオッ」「アチャ」と奇声をあげながら、「気分はすっかりF-1」しています。24分の1スケールのレーシングカーの走り具合を見ながら、「フレッシュタイヤに替えればもっと走りが良くなるかも」と思ったり。

ご近所のお店仲間「甘味処 こまめ」のかえさんがプラッとわが家に立ち寄った際にも「こ、このオモチャはなんですかぁ!?」と興味津々。

ウチの同居人さんともども「オンナのオジサン」二人、赤いフェラーリと青いポルシェのF-1モデルを「ビュイーン」と操りながら、秋の夜は更けていくのでありました。

レーシングカーセットはウチの同居人さんの実家の倉庫に眠っていたものなのですが、その倉庫の傍らにはこんなものも。

レーシングカーセット同様、この天体望遠鏡もウチの同居人の兄が所有していたものです。工房で組み立ててみてもとっても重厚なこの望遠鏡は、納められていた頑強な木箱に貼られていたラベルによれば横浜・伊勢佐木町の安川商店というお店からの購入となっています。ワタシも小学生時代に父親から天体望遠鏡を買ってもらって夜空の星を観測していた記憶がありますが、その時の望遠鏡とは比較にならないほどの「ヘビーデューティ」な質感を誇っています。それゆえ、レンズがカビでガビガビに蝕まれていたことがまことに残念。折あらば、じっくりとメンテナンスしたい衝動に駆られる「昭和の香り」のひとつにほかなりません。

「昭和」といえば、先ごろの個展の際に男性のお客様方の多くが工房内で目ざとく見つけて「おお、これは懐かしい…」と目を細めていたのがこちら。

ワタシが4歳くらいの頃のある日、父が「ほらっ、コレ!」と手渡してくれた木箱の中に収まっていたHOゲージの鉄道模型です。直流モーターを搭載した駆動車両の車輪が4輪だけという超デフォルメされた構造からも「年代」が薫ってきます。

と、ここまでちょっと長々と「昭和モード」に浸りながら11月28日の朝を迎え、いつものように新聞をペラペラとめくりつつ、「あらら、昭和のカタチがここにも」と、ニコンの新しいカメラの広告にしばしクギ付けに。

妙に丸みを帯びたカタチのデジタル一眼レフが多い中、このニコンDfの四角ばったフォルムはまさに「昭和」のテイストに満ちあふれているような気がします。シャッタースピード、ASA感度、露出補正等がすべてダイヤルで設定できることがなにより「昭和」的。

広告の写真を見ただけでも、往年のカメラ小僧にとってはこのアナログ感がじつに好ましく、思わず「このカメラ、いいかも…」とつぶやくワタシ。

すぐさま、「はいはい、カメラはもうこれ以上必要はありませんね」とやんわりピッシリ抑え込む声のトーンはまさに昭和のオンナの「底力」…。





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秋の夜長のポール・マッカートニー東京公演。プレイバック・ビートルズに思わず「グスン…」

2013-11-19 21:29:21 | エンタメ
それはまだ夏の暑さが残る9月半ばのある日の午後。ウチの同居人さんの旧くからの友人夫妻であるオッくんと和子さんから一本の電話が入りました。

リビングの電話の受話器から「もしもし、マキロウさん。ビートルズ、大好きだったでしょ!。この秋のポール・マッカートニーのコンサート、観に行きませんか?」と、まさに夢のような誘いが。されど、あまりに突然の話に、ワタシはただただ「えっ?、えっ?、えっ?」で「えっ?」が三つのプチパニック状態に。

ワタシに代わって電話で事の流れを聞いた同居人さんによれば、オッくん夫妻がそれぞれに手分けしてポールのコンサートチケット入手作戦を敢行したところ、奇跡的に二人がともに2枚のチケット入手に成功。ならば、そのうちの2枚をわが家に・・となった次第でした。

以来、約2か月の時を経て、同居人さんと二人して「お上りさん」よろしく、神奈川から1時間少々かけて「華のお江戸」は秋深い夕闇の中に光輝く東京ドームに到着です。


ワタシがかつて勤務していたベースボール・マガジン社もこのドームのある水道橋駅から徒歩数分のところに位置しています。そのようなこともあり、今から約30年近く前の「週刊ベースボール」編集部員当時の楽しい思い出や苦しかった出来事等が次々に思い出されて、しばし「自分探し」に浸る一瞬も…。

「あの頃、ここは後楽園球場から東京ドームに移り変わる時だったなぁ‥」などと思い返す間も無く、入口ゲート前の「入場は順番に‥」とのアナウンスに急かされながら館内へ。
 
3塁側シート一階に身を沈めて開演を心待ちにしながら、あらためて今回のライブ鑑賞の機会を与えてくれたオッくん・和子さん夫妻に感謝、感謝。

そして、開演予定の午後7時を数分遅れていよいよコンサートがスタート。

今年のアメリカ公演、そして大阪、福岡でのライブと同じく、オープニングはビートルズ中期の軽快なナンバー「EIGHT DAYS A WEEK」から。「♪Oohh I need your love babe‥」から始まるその圧倒的な声量にまずビックリ!。そして、その歌声を聴きながら「ポールは、やっぱりこのヘフナーのベースギターが似合うなぁ」などと思っていたら…。

この一曲目の途中にして不覚にも感動の涙を流している自分にビックリ!?。自分自身としては、ビートルズの4人の中ではジョンとジョージにシンパシーを感じていたのですが、ポールの超絶的な歌唱力を目の当たりにしての感動の「涙」に他ならなかったような。

この一曲目が終わった時、ワタシ達の周りの同世代の人たちの間からも「スゴい‥。スゴ過ぎる!」「次元が違う!」といったような、ただただ驚嘆するような感想の声が交わされていました。

3曲目となったビートルズ初期の名曲「ALL MY LOVING」やウイングス時代の曲を聴きながら、「ポールが奏でるベースラインはホントにメロディアス‥」、「ウイングス時代の曲はコクがある歌い方だなぁ‥」などと生意気にも思いつつ。

コンサートの終盤、25曲目にはワタシにとって「最も愛するビートル」であるジョージ・ハリスンのあの名曲「SOMETHING」をカバー。まずはジョージがポールに託したウクレレを奏でながら歌い始め、

ステージの奥の液晶大画面には、ビートルズ時代のポールとジョージが演奏するシーンが次々に流れていきます。曲の途中、ポールはウクレレからギターに持ち替えて演奏しましたが、できれば「SOMETHING」のあの美し過ぎるベースラインをポール自らがあのヘフナー・ベースで奏でて欲しかったなぁ…。

計31曲、かの名曲「HEY JUDE」でライブはひとまず ジ・エンド。そして2回に及ぶアンコールでは、ポール自ら「福島の被災者の皆さんに捧げます」と前置きして、「YESTERDAY」を切々と歌い上げてくれました。


アンコールも含め全39曲のラストは、ビートルズ最後のレコード収録となった名盤「ABBEY ROAD」B面に収められている「GOLDEN SLUMBERS~CARRY THAT WAIGHT~THE END」に至るメドレー。

ビートルズとしての最終盤、バンドユニットとしてはすでに破局しつつある最中、この3曲のメドレーの中でジョンとポール、そしてジョージが代わる代わるコクとキレのあるギターソロを残してくれていたのでした。

今回のライブツアーの最後の曲としてこのメドレーをチョイスしたその奥に、ポール自身がこのツアーをとおして「ビートルズとともに辿る巡礼の旅」に出ていたの‥、などとワタシ自身、勝手に思いを巡らせたりもしてみたり。ポール、その人こそがビートルズを世界一愛していたのかも…。

ともあれ、ふと自らも小学生時代から現在まで約半世紀に及ばんとするビートル・マニアとしての道程を巡りつつ、「あっ、あんな事があった…」と思い起こされるこの一枚のチケット。

今から30年以上も前の1980年1月に開催されるはずだったポール&ウイングスのコンサートのチケットです。この時、来日したポールは麻薬不法所持とかで逮捕され、コンサートは幻となってしまいました。その時、「ポールのコンサートを観ることが出来ない‥」というあまりに残念な気持ちから、「せめて、コレだけは手元に残しておこう」と敢えて払い戻しをせずにとっておいたチケットです。

当時は3800円でポールに会えた、ハズなのですね。今回のチケット料金はその約4倍ほど。されど、ポールの次元を超えた歌声に包まれた2時間40分はまさにその万倍以上の価値があったことは疑いもありません。

ライブを共に楽しんだ同居人さんの「ちょっと早いけど、冥途の土産になったでしょ!?」との言葉にも、素直に「ごもっとも‥」の一夜なり…。

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出会いは偶然、そして記憶は永遠に。えにしが紡ぐ思い出新た…。

2013-11-15 14:57:56 | 日記
二十四節気においては10月下旬の「霜降」、そして11月初旬の「立冬」を経て、ここ数日のうちに季節は秋から冬へと駆け足で移ろい始めています。私事ながら10月半ばからつい最近までの間、常日頃お世話になっていた方々のご逝去が相次ぎ、あらためて我が身の、そして多くのかけがいのない友人知人との「明日」に想いをはせる…という日々も続いていました。

そのようなこともあり、ブログの更新もままならず。その間にもこれまたいつものように「新しいブログ、待ってるよ」というような感じで 多くの励ましメール等をいただいてきていました。なにとぞ、上記のような事情にてブログ更新が滞りましたこと、お許しくださいませ。

閑話休題。

ここ数日来、北の大地あたりから「雪の便り」も届き始めました。テレビの気象情報を観ていたウチの同居人さんは「とも子は元気かなぁ」と、札幌で暮らす友人に想いをはせていました。なるほど、テレビ画面ではうっすらと雪景色の大通り公園の映像が。ワタシもその「冬ざれた街」の光景に目をやりながらリビングから工房へ歩を進めると、そこには晩秋の午後の日差しが存分に降り注いでいました。北の大地の雪景色と南関東の秋空のあまりの「対比」に少々戸惑いながら、ワタシも思わず「とも子さん、雪は寒いけど元気でね」と…。

おりしも工房では、作陶にお越しいただいた方々の作品の窯出しの真っ最中。

今年、夏から秋にかけては異常とも思える暑さ故か、作陶された作品のひび割れが例年よりも少々多くみうけられました。この写真の中にも数次にわたる補修を施した作品もあり、その焼き上がった姿を前に少なからずの感慨も…。窯から作品を取り出す時はいつも、手がけられた方々の笑顔が浮かびます。

そして不思議なもので、窯出しのたびにさりげなく自らの存在を「主張」する作品というものがあります。今回の窯焼きでの「一等賞」は、チビッ子陶芸家さんが手がけたこの 赤いリンゴ。

誰かがササッと作った四角い粘土の塊に葉っぱと芯をチョチョイと付けて「はい、出来上がり」。素焼き後に赤と緑で着色して、本焼きしたらご覧のとおりの「一等賞」。当のチビッ子陶芸家さんはまだ実物を見ていません。なんという感想を聞かせてくれるか、今からとっても楽しみです。

時はまさに「芸術の秋」。つい先日は鎌倉ケーブルテレビの「何でもこなす才女」中村早紀嬢が明るい笑顔で「こんにちは~」してくれました。


これまで何度か取材・収録を受けた経緯もあり、ウチの二人は早紀嬢からは「倉田さ~ん、おみつさ~ん」と、公私にわたってお友達付き合いさせてもらっています。親子ほども歳の違うお嬢さんに相手していただき、「まこと嬉しい限り」のわが家でもあります。

この日、まずはいつものようにお茶を飲み、お互い昨今の「酒場放浪記」を披歴しつつ早紀嬢が「是非お二人に観てもらえたらと思って、真っ先に持ってきました!」とテーブルに広げたこのチラシ。

聞くところによれば、来年1月に市内にて舞踏公演を開催する舞踏家・秀島実氏は鎌倉在住のコンテンポラリー・ダンスの名手とか。

早紀嬢いわく「秀島先生はかつて、大野先生というとても有名な人からコンテンポラリー・ダンスの指導を受けていたらしい」とのこと。その説明を聞いていたウチの同居人さんは「あっ、その大野先生って、ひょっとしてワタシの女学校時代の学校のセンセイ…。霞を食べて生きているような、ステキな仙人のような人」と言ったまま思わず絶句。

同居人さんが書棚から紐解いた一篇の印刷物には、今から約3年ほど前の「大野先生」の逝去を伝える記事が。


「ああ、大野先生が亡くなったんだ…との思いから、この同窓会誌だけは処分せずに取っておいたの」と、遠い昔に目を凝らす同居人。そして、「こんな偶然ってあるんですか!?」と目をパチクリする早紀嬢。

続けてウチの同居人さんが「秀島先生の公演の時、きっと大野先生が降りてくるかも‥」と予言?すると、すかさず早紀嬢も「ほら、もう今日、降りてきちゃいましたね」とニッコリ。この二人、かなりの迷コンビかも…。

ともあれ、来年も年明け早々から楽しいイベント目白押しの予感。

ワタシも大野先生に遭えるかな…。








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