鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

平成最後の年明けによせて、今年もありがとうございました…

2018-12-31 21:52:58 | 日記

毎年、年の瀬にはTOKYO-FM「山下達郎サンデー・ソングブック」恒例企画「達郎・まりやの年末夫婦放談」を聴きながら陶芸や大掃除にいそしむことになります。同時に二人の軽妙な夫婦トークに耳を傾けつつ、自分自身の一年も振り返りながら「今年も暮れていく…」と少々感傷的な気持ちにもなっていきます。

そして番組最後には、達郎さん自ら「今やお約束のようになったこの曲を…」と紹介して、二人がデュエットする「♪LET IT BE ME」がスローなテンポで流れ始めます。するとまたも自らのこの一年が思い起こされて、アタマの中で楽しかったことや悲しかった幾多のシーンが走馬灯のように駆け巡り、ほのかな満足感やほろ苦い後悔の念が入り交ざって軽い寒気さえ覚えます…。

そして一夜が明けて、今年も本日限り。

朝刊では、かねてよりいろいろな方々に「今度、東京で観ることができるのですよ」と紹介し続けてきている展覧会の案内広告が掲載されています。

同展の公開は春なので、「せめて新年の松が明けてからくらいから宣伝すればいいのになぁ」という感想がふと湧いてきます。傍らでコーヒーを飲んでいるウチの同居人さんに「お雛様のテレビCMだって、松が明けてからだしね。この新聞広告の時期、どう思います。早過ぎない?」と尋ねてみますが、返ってくるのは生返事のみ。なにぶん時は大晦日ゆえ、「にわか主婦」の同居人さんはおせち作りでアタマがいっぱいの様子です…。

「きっと混雑するのでしょうけど、観にいきたいですね」という言葉を聞いてワケも分からず安堵?して、再び新聞とテレビを眺め始めると、朝8時から午後5時までBS-TBSでは「吉田類の酒場放浪記 大晦日一挙9時間放送」という、なんともとてつもない状況に。必然的に朝から仕事と大掃除の合間に、吉田類さんの酒場巡りをゆるゆるとチラ見することになってしまいます。というか時として、類さんが展開する酒場ワールドにどっぷり浸ってしまいます。

しかも午後9時からは「年マタギ酒場放浪記4時間スペシャル」なんて番組もあります。ひるがえって平成最後のこの年の瀬、日米・日中・日露を筆頭に外交の難しさは急を増し、改憲論議、消費税、ルノーに辺野古、その他喫緊の問題が目白押しのような状況の中、「よくやったBS-TBS」、そして同時に「だいじょうぶかBS-TBS」なんて声が交錯しながら大晦日の一日が過ぎてゆきます…。

吉田類さんが酒場を巡っている間に、大晦日の街を進路は東へ。小町通りは早や、「元日?」という感じで大混雑。 

この街に移り住んできた10年前頃の大晦日の小町通り界隈は、こんなに混雑していなかったように記憶しています。

人の流れに身を任せて、大晦日恒例の鶴岡八幡宮へのお礼参りに。境内にある旧神奈川県立近代美術館 鎌倉も改装が進み、コンクリートの灰色だった壁も白い装いと姿を変え始めています。


大晦日には、知らず知らずのうちに身についた罪や穢れを人形に託して祓い清める「大払い式」が行なわれます。


八幡宮本殿にお参りし、若宮大路方面を眺めていると、傍らの若いカップルが「うわぁ、なんだか天下を取ったみたいないい景色」とはしゃいでいます。

なるほど、たしかに「お城からの眺めのようだ。若者の眼力も捨てたものじゃないよね」と、明日への希望がかすかに見えた一瞬でもあります。

八幡宮から戻り、今年最後の納品はご近所のお店仲間「甘味処 こまめ」さん。

明日の元旦から、この小鉢は「こまめ黒カン」を収める器として使用されされます。

年越し蕎麦をいただいて友人ご夫妻とともに、平成最後の大晦日の締めは市内・材木座の浄土宗名刹・光明寺へ。

あと数時間後に新年を迎える境内には人影ひとつなく、「シ~ン」とした響きのみが漂っています。

年明け前から、この鐘楼の鐘の音が材木座界隈に響くことになります。


そして今まさに、友人とともにわが家の平成最後のささやかな酒宴のひと時。工房では鏡餅が新たなる年の幕開けを「今か今か」と待ちわびているようにも見えます。

あらためまして、今年もいろいろありがとうございました。そして、来るべき年もよろしくお願いいたします。

佐助Room114 & チー坊ノワール


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クリスマスの夜も更けて、街の灯りも人の心もネコの目も新たな年へ…

2018-12-25 21:49:58 | 日記

クリスマスから年末年始のお休みを控え、市内でも高い人気を集めるカフェ&レストラン「古我邸」は連日連夜、賑わいまくっているようです。師走の夕闇の中で華やかな白熱灯が輝く洋館はあたかも「幸せなひととき」の象徴のようにも感じられます。

いっぽう、ワタシの夕暮れといえば裏小町界隈でビールの泡を眺めながら「ちっぽけな幸せ」をチビリチビリと味わうのが目一杯という感じです。
 
街では先の3連休を前に早くもお正月の「臨時タクシーのりば」の案内看板が設置されています。

蛇足ながらお正月3が日は大幅な交通規制が行なわれて、市内中心部へのクルマでの進入は出来なくなります。くれぐれもご注意ください。

年の瀬はとかくあわただしいものですが、ウチの二人を「鎌倉の父と母」と呼んでくれいてる陶芸教室会員さんが生まれたばかりの男の子とともに「里帰り」!?してくれて、工房にはつかの間、ほっこりゆったりとした時間が流れます。


ウチの同居人さんもぎこちない手つきで抱っこにトライ。さながら、初孫を抱くおばあちゃんといった感もあります。

実際にも「ほら、鎌倉のおばあちゃんですよ」と声かけていました…。 

赤ちゃんの健やかな笑顔とともにこの年の瀬、ウチの陶芸教室会員さんからプレゼントされた四角いシュトーレンがまさに「逸品」。会員さんの息子さんが都心の某有名ホテルのパティシエということで、幸運にも我が家におすそ分けいただいた次第です。

はじめて見る四角いシュトーレンの生地に練り込まれたフルーツは夏前からゆっくり仕込むのだとか。

切り分けてみると、想像以上のフルーツの量にびっくり…。しっとりとしたスポンジ?とフルーツの豊潤な味わいは、今まで持っていたシュトーレンの概念をすっかり変えるほどの驚きがありました。

というワケで、「じっくり熟成させて大事に大事に…」などと思っていたにもかかわらず、工房に来たお客様とともにあっという間にいただいてしまいました。わが家で食した人の間では早や「幻のシュトーレン」と呼ばれています。

とびきりのシュトーレンを堪能しながらも、人間というものは欲深いもので、「クリスマスにはイチゴのデコレーションケーキが食べたいなぁ」との願いも断ち切れません。おりしもイブの午後、街に繰り出した時に知り合いの若いファミリーがケーキの入った大きな箱を手にしている姿を目にしました。ウチの同居人さんとワタシの母との3人で暮らす身としてはクリスマスイブはいまいち盛り上がらないのではありますが、平成最後のクリスマスイブに想いを馳せて、ふと気がついた時にはケーキ屋さんのショーウインドウの前に佇んでしました。

そして、偶然訪れたお客様とともにささやかに「メリークリスマス」。

ケーキを食べて味わう幸福よりも、ケーキを買い求めるその行為の「楽しさ」はまた格別のものがありました…。

おりしもイブ前日の天皇誕生日、ウチの同居人さんが主宰する「チー坊ノワール」から販売している鎌倉スパイス、鎌倉紅茶その他のアイテムが通常以上の注文をいただいています。同居人さんは「何故だろう?」と謎解きをする中、どうやらパリ在住の中村江里子さんから発信していただいたブログhttps://ameblo.jp/nakamura-eriko/day-20181223.htmlのようであることが判明。この夏にワタシの工房を取材撮影に訪れてくれた中村江里子さんを思い出しながら、ウチの同居人さんは「江里子さんからクリスマスプレゼントを貰ったみたい…」と感じ入っています。

そしてワタシにも、思いがけずクリスマスプレゼント?が…。大好きな山下達郎さんの名曲「クリスマスイブ」30周年記念シングルCDに収録されたPVにてヒロイン・広瀬すずさんとともに、かつて24年前にJR東海のテレビCM「クリスマス・エクスプレス」の中でヒロインを演じた牧瀬里穂さんが素敵な大人の女性として共演しています…。その姿に思わず「メリークリスマス」とつぶやいてしまいました。

このPVでの牧瀬さんの姿は、男性のみならず、ワタシのまわりの女性からもとても好評です。同PVはネットで観ることができないことが残念な限りではありますが…。

イブの夜を経て、静かに過ごす聖夜のリビング。ウチの黒猫・ノワールは、今宵もお客様の来訪を心待ちしているようです。

残り少ない平成最後の年の瀬、そして来るべき新年も、ノワールは変わらずに皆さまをお迎えし、たっぷり甘えるつもりなのでしょう。

甘え上手なドングリまなこ、ジッと見つめるCutting edge











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あわただしい年の瀬、今年もお父さんの影を慕いてスカイブルーの横浜めぐり…

2018-12-18 22:05:17 | 日記

毎年、年末ともなると落語の世界ではいつの頃からか「暮れの芝浜」と言って、多くの噺家さんが夫婦の機微を主題にした「芝浜」を演ずるようになっています。そしてわが家では、今を去ること15年前の暮れに亡くなった義父のお墓参りが年末の大事な行事の一つです。今年も「キミのお父さんは気持ちのまっすぐなステキな親父さんだったなぁ…」という感じで偲んでいた矢先の朝、いつものように新聞を読み進めるうちに、訃報欄に目が止まり「えっ!?」と呟いたきり、しばしカラダが固まってしまいました。

そして、「小円朝が死んじゃった。円之助の息子が死んじゃった。49歳は早過ぎるよ… 」とつぶやき、気がつくとウチの同居人さんを前に、今は亡きワタシの父の幼馴染だった三遊亭円之助とその息子・三遊亭小円朝の思い出を語り続けていました。

たとえば、11月15日にアップした当ブログにも、ワタシと父、そして円之助に関する思い出を記載したばかりでした。以下、その時の一部を…

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今となっては還暦を過ぎ、お酒ばかり飲んでいる不良中年となってしまったワタシですが、遡ること約57年前の七五三の折にはこんなシーンがありました…。スーツ姿の白ポチャはワタシの父。そして写真左側の痩せオトコは父の幼馴染み。当時、落語家・三遊亭小円朝に弟子入りして真打ちを目指し、朝三(ちょうざ)という名で二ツ目として修業中の身でした。ワタシは親しみをこめて「コイデさん」と呼んでいました。その後、朝三はこの数年後に真打ち・三遊亭円之助となり、晩年は落語協会の幹部の要職に就きました。

ワタシの幼少時、我が家に居候しながら師匠のもとへかよっていたコイデさんは当時のワタシにとってまさに格好の遊び相手。日々、一緒に遊んでもらい、そして目の前で落語を聴かせてもらっていた、とても「手の合う」仲間でした…。
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といった具合です。

ちなみにこのたび50歳を目前に亡くなった小円朝の本名である「秀帆」の名は、ワタシの父が円之助から「生まれた息子の名前を考えてくれ」と頼まれて名つけた経緯があります。ワタシの父はこの「秀帆」という名前がお気に入りだったようで、その後に知り合いの人から「子供の名前を考えてください」と請われたときに何度か「秀帆」を候補に挙げて何人もが「秀帆」と命名されてきています。かくして、父を囲んで知り合いの集まりの際、あそこにもここにも「秀帆」くんが遊び戯れているという光景がいくたびかありました…。

おりしも、父をとおして円之助と懇意にしていた母もこのたびの小円朝の訃報に触れて「円之助の息子がねぇ。まだ若いのに。私が代わってやりたかったわよ…」としみじみ語り、気がつくとお互い合掌していました。かくして平成最後の年の瀬は、思い出多き人の記憶を呼び起こし、そして区切りをつける時でもあるようです。

かくして、本日はウチの同居人さんの父が眠る横浜・本牧のお寺へお墓参りに。師走にもかかわらず、今年も春めいた陽気に恵まれた墓参の日となりました。これまで、厳しい寒さとなったことは一度たりともありません。

お寺の境内と奥の丘にあるお墓、そして隣の丘の上に佇むお宅の風情もまったく変わることはありません。

横浜・本牧の一角にあるこのお寺に詣でるたびに「こんなに陽当たりの良い場所に眠るお父さんはホントに幸せだ…」と、つくづく感じます。南方向には八景島や横須賀の丘がゆったりと広がります。


東には東京湾の向こうに遠く千葉・木更津方面…。


北東方向には横浜ベイブリッジの橋塔もくっきり見渡せます。


お墓を後にして暮れの慌ただしいさなか、元町、山手方面へと少しばかりまわり道して、しばしプチドライブ…。山手の尾根筋を貫く道路からは、平成の時代に入って急速に発展をとげた みなとみらい の雄姿が望めます。


通りの両側にはフェリス女学院や重厚な造りの教会をはじめ、趣きある建物が目白押し。

この通りをドライブする時はいつも、ウチの同居人さんは頼みもしないのに「このお店は…」「あのお店は…」と、若い頃の思い出をオーバーラップさせて良くしゃべります…。

山手の洒落た街並みを経て簑沢まで走ると、そこは高台にもかかわらず下町の風情。

朽ちかけた木造の古家やお蕎麦屋さんが並ぶ光景を前に、「やっぱり自分は昭和がしっくり来る」と、妙に納得してしまいます。

そして、今もかろうじて残る旧根岸競馬場メインスタンドを望める場所まで。

なんとも良い風情を醸し出しています。今ではこのような感じの建物は作ることは出来ないのでしょう。なぜでしょうか? でも、ワタシの生業たる陶芸においても先人が遺した趣きある作品に肩を並べる作を生み出すことはまず不可能でもあります。時代は確実に変わってきているということなのでしょうか。

根岸で生まれ育った同居人さんから、幼い日々のお父さんや街の様子を聞きながら、帰途につく途中、焼き物を焼く際に窯にお供えする「森戸の清め塩」を求めて、葉山・森戸神社へ向かいます。神社では「大晦日の大祓い」の案内や、年末発行のお正月特集雑誌の撮影と思われる和服姿のお嬢さんの姿が見受けられて、早や約10日後の「年末年始モード」が色濃く流れています。


帰り際、富士山や江ノ島、大山を向こうに真っ青に広がる相模湾を眺めつつ


慌ただしい年の瀬、今年もつかの間の心安らぐ時を与えてくれたお父さんに合掌…。







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平成最後の年の瀬に、ひたひた募る「良き日の昭和、♪starting Over …」

2018-12-10 19:30:04 | 日記

師走も早いもので中旬を迎えつつあり、年の瀬のあわただしさとも慣れっ子になってきました。週始めの今朝はこの冬で最も冷え込んだとかで、愛車メガーヌに乗り込んでチョピットお出かけの時の外気温は「4℃…」。

冬の深まりも「年末進行…」ということのようです。

とはいうものの生業たる作陶も、そして年賀状の準備も今だ道半ば。そのような状況を知ってか知らずか、新聞紙上では師走の風に急き立てられるように年末恒例の「10大ニュース」記事が踊っています。


ことほど左様に、かの鴨長明が遺した「方丈記」の冒頭の一節のように例えると「行く年の瀬の流れは絶えずして もとの時にあらず…」といった感じになるのでしょうか。

閑話休題。

つい先日の12月8日は今を去ること28年前の昭和55年の同日に、ビートルズの元メンバーだったジョン・レノンがニューヨークの自宅・ダコタ ハウス前で凶弾に撃たれて亡くなった日。ワタシのように幼い頃からビートルズを聴きまくっていた者にとって、この日は決して忘れることのできない、そして静かにジョンを偲ぶ一日でもあります。

かつてこの12月8日ともなるとラジオ各局は競うように「ジョン・レノン追悼特番」を流していました。しかしながらここ10年ほど前あたりからジョンを偲ぶ番組は徐々に減り、今年の命日にはごく一部の番組で「ジョン・レノン追悼」企画がオンエアされる程度となってしまいました。そのような状況を見るにつけ、あらためて「昭和は遠くなりにけり」という感がします。

「ならば…」ということで、一人ひっそりとジョンが遺した最後のアルバム「ダブル・ファンタジー」の中の「WOMAN」を聴きながら、「こんな雑誌もあったっけ…」。


といった具合に、ワタシにとって言葉に出来ないくらい楽しかった昭和の日の思い出にどっぷり浸かってしまいました。

おりしも8日、サザンの桑田佳祐さんが昨年開催したコンサート「ガラクタ2017」がテレビでオンエアされていました。桑田さんも「根っからのジョンのファン」ということでこの日のオンエアとなったのでしょうか。

コンサートでは、ジョンの姓「Lennon」が歌詞に刻まれたあの曲も…。

おりしもこの師走に…。ちょうど40年ほど前の昭和後期、桑田さんのサザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」で衝撃的なデビューを果たすのとほぼ時を同じくしてテレビで放映されていた「俺たちの旅」が、TVK(テレビ神奈川)にて今再びオンエアされ始めています。

中村雅俊さん、田中健さん、そして秋野太作(津坂匡章)さんの3人を中心に展開するストーリーとバックグラウンドはまさに「良き日の昭和モード」が溢れていまっしたっけ。まだ2話が過ぎたところなのですが、自分自身の20代がオーバーラップし、「懐かしくて懐かしくて」…。とかくにせわしい年の瀬にもかかわらず、月曜日から水曜日午後10時からの1時間はここでも「やっぱり昭和の時間…」。所用がある今夜は観れるかなぁ…、観たいなぁ…。

「昭和」ついでに、もうひとつ…。先日の新聞紙上にて、昭和51年に公開された映画「犬神家の一族」のロケ地となった長野県佐久市望月の老舗・井出野屋旅館が再び同名のテレビドラマの舞台となることが紹介されていました。

今から30年以上前、毎年秋になるとこの望月の地で母校・駒澤大学の実習講座の手伝いとして学生さんに写真撮影や地図判読の指導をしていたことがあります。その折、この井出野屋旅館さんは毎年一週間以上宿泊しいていた思い出の旅館でした。ここのご主人はお酒は全く飲めないのに、街の様子や世情を酔っ払いさん以上にしゃきしゃき元気に話してくれるとてもステキでソフトな雰囲気を醸しだしていました…。


今住んでいる鎌倉の街に残る古民家と肩を並べるくらい堂々とした木造3階建てのこの旅館が建てられたのはまさに「昭和元年」…。かねがね、佐久・塩名田から望月、茂田井、小諸、上田界隈を機会あれば再びゆっくりと巡ってみたいと思い続けていたのですが、思わぬタイミングでかの老舗旅館の話題に触れることが出来たのも、これも何かの縁?。

平成最後の年の瀬。ワタシの心の中に広がっていた「昭和のなごり」がここ数日の間に一気に目の前に現れてきたような思いがします。今夜、これから会う人達もみな「昭和の人」ばかり。

そうだ、手土産は不二家のショートケーキにしよう…。



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寄席ては返す波の狭間、ヒレカツ、オムライス、そして思い出に浸った浅草の夜

2018-12-01 08:52:02 | 日記

ふと気がつけば あらら、本日この時から師走を迎えていました…。昨日の朝9時、いつものようにAMラジオ文化放送「くにまるジャパン極」を聴きはじめたところ、メインパーソナリティの野村邦丸さんが「夏が終わると同時にあっという間に年末って感じになるのは歳とった証拠だよと言われたことがありますが、明日から師走ということで、ホント、早いっすねぇ…」と」しみじみ言ってました。そして思わず「まさに同感…」と妙に感じいってしまいました。思えばかの苛烈な暑さの中、ウチの同居人さんが工房の一角に「カフェチー坊ノワール」をオープンしたことや、秋のコラボ展もつい昨日のことのよう。

師走を迎えたあわただしさを知ってか知らずか、ウチの黒猫ノワールは我が家にやって来るお客さんに「触って、触って…」とおねだりしまくります…。

「雪」という童謡の中に「ネーコは炬燵で丸くなる」という一節がありますが、ノワールは師走のあわただしさも、そして北の大地から伝わって来る冬の便りもものともせず、背中を「トントン」されると喜びいさんではしゃぎまくってしまいます。蛇足ながら、我が家には炬燵がないのでノアはなかなか丸くなれません…。

師走を目前に控えた霜月の終わりのある日。「ノワちゃん、ちょっと東京までお出かけしてくるね」と、背中をトントンしながらおことわりして、車上の人に。

今の世の中では電車の中ではみな申し合わせたようにスマホと睨めっこしていますが、なんと勿体ない…。車窓に広がる景色を眺めているだけで、名作映画を観たような満足感が得られると思うのはワタシだけなのでしょうか…!?

1時間とちょっとの「プチ乗り鉄」を経て、かつて若かりし頃にさんざん飲みまくった浅草に降り立ち、昭和の香がそこかしこに残る浅草演芸ホールへ。今から30年ほど前までは瓦屋根のお店が立ち並ぶ一角の中で威容を誇る寄席の建物だったのですが、今ではドンキホーテや様々なエンタメ施設に囲まれてちょっぴり窮屈そうにも感じます。夜の部開演を待つ列に並ぶ中、このホールに深い関わりのあった芸人さんや作家さんを紹介するパネルをじっくりと…。

伴淳三郎さん、萩本欽一さん、ビートたけしさんら名芸人とともに、かの大作家・永井荷風さんの写真に交えて佐助に住んでいた作家・井上ひさしさんの顔写真も紹介されています。今から10年ほど前にこの街・佐助に移り住んできた折、ご近所を闊歩する井上ひさしさんの元気な姿を昨日のことのように覚えています。あれから10年…、時は確実に、そしてあっという間に過ぎてきているようです。

今回の寄席に向かった目的は、市内・北鎌倉に住む親しいお友達と深いつながりのある柳家緑助さんの晴れ姿をこの目に留めることにありました。ホールが発行したパンフレットにも「寿二ツ目昇進 柳家緑助」とくっきり記されていました。

二ツ目・緑助さんのこの日の演目は、地元の物知りから教わった話を愚か者の八五郎が真似して語り説いて失敗する「つる」という噺。

テンポ良い口調と見栄えする大きな仕草が、「今まさに旬」な雰囲気を醸し出しているとても意気の良い噺ぶりでした。

演目の合間に場内をゆるりと一巡り。この楽屋口には子供の頃からの思い出が詰まっています。

ワタシの父は少年時代から幼馴染のコイデツトムちゃんとともに職業野球(今のプロ野球)、大相撲、そして寄席通いの日々だったようです。そして青年期を迎えて父は考古学を、ツトムちゃんは落語家を目指して、向かう道こそ違うものの「二人三脚」で」お互いの道を切り開いていたようです。そのようなこともあり、そのおこぼれに預かって、ワタシも少年時代から父やツトムちゃんの後についてフリーパスで寄席の楽屋に入ることを許されていました。今もこの楽屋口は、遡ること半世紀前の風情がそのまま残っています、グスン…。

緑助さんの降板後も続く寄席を早々に離れ、浅草寺にも寄らずにしばし下町の夕餉のひと時を。辺りの町中華や名だたる洋食屋さんを後目にふらりと入ったお店が「大正解」。

ワタシはヒレカツとビール、そして同居人さんはとっても軽い風味のオムライスに舌鼓を打って「霜月是好日」なり…。つくづく、東京下町商店街に息づく伝統の味の底力を堪能させていただきました。

浅草から横浜経由で鎌倉に戻る横須賀線の車中、半藤一利さんの著になる平凡社刊「昭和史1926→1945」を読み進めていると、なんと、ついさっき聴いた柳家緑助さんの師匠・柳家花緑師匠のそのまた師匠でもある人間国宝・故柳家小さん氏に関する記述に行き当たる偶然が。

半藤氏の著によれば、戦前を揺るがす一大事だった昭和11年の二・二六事件の折に当時はまだ少年兵だった小さん氏は反乱軍の一員として機関銃を携えて皇居と対峙していたのだとか。たしか、以前にもこの話は読んだ記憶があるのですが、なんともこのタイミングで今新たに読み解くことになるとは…。

そのようなこともあり、なんの根拠もないのですが、二ツ目柳家緑助さんは何か「持ってる!」かもしれません。

これからも、ご贔屓にさせていただきます!

追伸 昨夜のNHKドラマ「昭和元禄落語心中」にて、「芝浜」にまつわるシーンが繰り広げられていました。落語界では故立川談志師匠が師走に「芝浜」を演じることから「暮れの芝浜」としてしてお決まりのようになっていました。

そういえばこのところ、談志師匠の噺とは少々遠ざかっていました。ふりかえれば談志師匠も元々は故柳家小さん師匠の愛弟子。ワタシがこよなく支持する立川志らくさんも談志師匠に最も近い弟子ということで、所属する団体こそ違え、小さん、談志、志らく、花緑、緑助が一本のラインでヒラヒラと繋がっているのでした…。

それにつけてもあらためて、師走の今こそ「暮れの芝浜」。

そんな時こそJRさんの名コピーに倣って「そうだ、談志聴こ…」
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