今から3日ほど前の2月19日に二十四節気第四の「雨水」を迎え、暦の上では「降る雪が雨に変わり、雪解けが始まる時期」ということになり、いよいよ春本番までカウントダウンといったところでしょうか。先の週末の日曜日は朝夕こそは雨模様でしたが、日中は陽光燦々と輝き、まさに春うらら…。
ついつい春の陽射しに誘われて街に繰り出し…ではなく、ご近所の友人夫妻に誘われて長谷寺や大仏様の佇む高徳院にほど近い住宅街の一角に佇む鎌倉能舞台で開催された落語会へお出かけとなりました。
柳家花緑@能舞台
会を主催する汐風落語会の制作と思われるパンフレットに寄せられた花緑師匠の口上と会の挨拶文が心に響きます。
花緑師匠直筆の葉書サイズ半紙。左はウチの同居人さんへ、そして右は私がいただきました。
同居人は私が受け取った半紙を見るや、「思考が先 現実があと…って、ちょっと浮世離れしているアナタにぴったり。当たってる!」と大ウケです。なんだかなぁ…。
柳家花緑師匠の噺の前の口明けの一席は師匠のまな弟子の柳家緑助さんが務めました。緑助さんは今回の落語会に誘ってくれた友人夫妻と深いつながりがあり、その縁で今から3年前の5月にウチの工房にて「めざせ真打ち! 柳家緑助落語の集い」という独演会を催したことがあります。その時の様子は…
縁とは不思議なもので、私の大学大先輩が埼玉県にて催されている「鴻巣寄席」をとおして花緑師匠ととても長いおつき合いがあります。ウチの工房で緑助さんの落語会を開催した同じ年の9月、私も「鴻巣寄席」に足を運び、花緑師匠とご挨拶させていただいています。そのときの様子は…
今から3年近く前のあの頃。まだコロナなんぞは影もカタチも無く、世の中のみんなが「三密」とお酒の席を思う存分楽しんでいたのですね。なんとも良い時代でした…。
閑話休題。
コロナはさておき、ウチの工房で落語会を開いた緑助さんがどのくらい「噺家」さんに近づいているかワクワクドキドキ。「能舞台に設えられた高座の向きがなんとも微妙かなぁ…」などと思いつつ、
「明日があるさ」の出囃子とともに緑助さんが高座に上がり、「左と右にお客様が座り、ど真ん中には立派な柱がド~ンと。私はこの柱に向って話すのでしょうか…」という感じで軽く笑いを取って始まった一席は「たぬき」。じつはこの日曜日の朝、ラジオの文化放送「志の輔ラジオ 落語DEデート」という番組を聴きながら朝食を摂っていたのですが、番組の中でオンエアされた落語がなんと、花緑師匠の師匠にして祖父であり、晩年は人間国宝にもなった故柳家小さん師匠が今から約50年前の1971(昭和46)年8月13日に演じた「たぬき」…。
さらにさらに、小さん師匠が「たぬき」を演じたこの日から約10日ほど前の8月2日に後の花緑師匠がこの世に生を受けたことが、落語会のパンフレットからうかがえます。
ラジオで小さん師匠の円熟味のある「たぬき」を聴いた数時間後、孫弟子にあたる緑助さんの若さ溢れる「たぬき」を目の前で楽しみながら「こんなに偶然が重なるんだ…」と、ただただビックリ。なんだかこちらもたぬきに化かされているような不思議な気分にもなりました。
ちなみに、わが家にも時々 たぬきの姿が。
もっとも、こちらは化けたりはしません。
ウチでの会では少々緊張気味だった緑助さんは3年の時を経て、きっちり落語家然としてきました。友人夫妻、そしてウチの同居人さん一同、「緑助、成長したねぇ…」と感心することしきりです。めざす真打ちまであと一歩⁉、いや、あと二歩半くらいでしょうか。がんばれ、緑助!
そして花緑師匠が掛けたのは「試し酒」と「井戸の茶碗」の二席。3年前の「鴻巣寄席」で聴いた時以上に流調に、そしてパワフルな語り口は、あたかもかのコロナの影響で沈みがちな聞き手の心の呪縛をバッサリと取り払ってくれる心地良さに満ちています。
この会の宣伝リーフレットには「祖父である五代目小さん師匠も高座に上がられておりましたので実に40数年振りに小さん師匠のDNAが鎌倉能舞台の高座に…」と書かれていました。ところが花緑師匠は「私、先ほどこの会場に来た時に思い出しました。まだ修行中の頃、ここでの志ん朝師匠の会の前座を務めたことありました」と驚きの事実⁉を披露。そして「前座で落語を演じたんだけど、ちっとも受けませんでしたね。見に来ているお客さん全員『早く志ん朝を出せ』モード全開で、私、滑る滑る、なんて思い出が…」とくすっと笑わせてくれる一幕も。それにつけても、今回の会で大好きな志ん朝師匠の名前が出てくるとは思いませんでした…。
あらためまして、コロナ収束の暁には必ずや またウチの工房にて「めざせ真打ち!柳家緑助落語会」開催を。いや、ひょっとして「祝 真打ち昇進! 柳家緑助落語会」? いえいえ、急がば廻れ…、急いては芸を仕損じる…。
ついつい春の陽射しに誘われて街に繰り出し…ではなく、ご近所の友人夫妻に誘われて長谷寺や大仏様の佇む高徳院にほど近い住宅街の一角に佇む鎌倉能舞台で開催された落語会へお出かけとなりました。
柳家花緑@能舞台
会を主催する汐風落語会の制作と思われるパンフレットに寄せられた花緑師匠の口上と会の挨拶文が心に響きます。
花緑師匠直筆の葉書サイズ半紙。左はウチの同居人さんへ、そして右は私がいただきました。
同居人は私が受け取った半紙を見るや、「思考が先 現実があと…って、ちょっと浮世離れしているアナタにぴったり。当たってる!」と大ウケです。なんだかなぁ…。
柳家花緑師匠の噺の前の口明けの一席は師匠のまな弟子の柳家緑助さんが務めました。緑助さんは今回の落語会に誘ってくれた友人夫妻と深いつながりがあり、その縁で今から3年前の5月にウチの工房にて「めざせ真打ち! 柳家緑助落語の集い」という独演会を催したことがあります。その時の様子は…
第1回「柳家緑助 落語の集い」風薫る土曜の午後、さわやかに開催いたしました。 - 鎌倉 佐助の風街便り
5月第2週目の日曜日は「母の日」ということで、夕刻のひと時ご近所のお店仲間「甘味処こまめ」さんにて今年90歳に成らんとする母にあんみつをご馳...
第1回「柳家緑助 落語の集い」風薫る土曜の午後、さわやかに開催いたしました。 - 鎌倉 佐助の風街便り
縁とは不思議なもので、私の大学大先輩が埼玉県にて催されている「鴻巣寄席」をとおして花緑師匠ととても長いおつき合いがあります。ウチの工房で緑助さんの落語会を開催した同じ年の9月、私も「鴻巣寄席」に足を運び、花緑師匠とご挨拶させていただいています。そのときの様子は…
さまざまなえにしに誘われて、笑う過度には富久喜多る!? 「鴻巣寄席」へ… - 鎌倉 佐助の風街便り
それは今から4カ月と少々前の風薫る5月、ウチの工房&カフェを舞台に真打ちを目指して修業中の若手落語家・柳家緑助さんの「落語の集い」と...
さまざまなえにしに誘われて、笑う過度には富久喜多る!? 「鴻巣寄席」へ… - 鎌倉 佐助の風街便り
今から3年近く前のあの頃。まだコロナなんぞは影もカタチも無く、世の中のみんなが「三密」とお酒の席を思う存分楽しんでいたのですね。なんとも良い時代でした…。
閑話休題。
コロナはさておき、ウチの工房で落語会を開いた緑助さんがどのくらい「噺家」さんに近づいているかワクワクドキドキ。「能舞台に設えられた高座の向きがなんとも微妙かなぁ…」などと思いつつ、
「明日があるさ」の出囃子とともに緑助さんが高座に上がり、「左と右にお客様が座り、ど真ん中には立派な柱がド~ンと。私はこの柱に向って話すのでしょうか…」という感じで軽く笑いを取って始まった一席は「たぬき」。じつはこの日曜日の朝、ラジオの文化放送「志の輔ラジオ 落語DEデート」という番組を聴きながら朝食を摂っていたのですが、番組の中でオンエアされた落語がなんと、花緑師匠の師匠にして祖父であり、晩年は人間国宝にもなった故柳家小さん師匠が今から約50年前の1971(昭和46)年8月13日に演じた「たぬき」…。
さらにさらに、小さん師匠が「たぬき」を演じたこの日から約10日ほど前の8月2日に後の花緑師匠がこの世に生を受けたことが、落語会のパンフレットからうかがえます。
ラジオで小さん師匠の円熟味のある「たぬき」を聴いた数時間後、孫弟子にあたる緑助さんの若さ溢れる「たぬき」を目の前で楽しみながら「こんなに偶然が重なるんだ…」と、ただただビックリ。なんだかこちらもたぬきに化かされているような不思議な気分にもなりました。
ちなみに、わが家にも時々 たぬきの姿が。
もっとも、こちらは化けたりはしません。
ウチでの会では少々緊張気味だった緑助さんは3年の時を経て、きっちり落語家然としてきました。友人夫妻、そしてウチの同居人さん一同、「緑助、成長したねぇ…」と感心することしきりです。めざす真打ちまであと一歩⁉、いや、あと二歩半くらいでしょうか。がんばれ、緑助!
そして花緑師匠が掛けたのは「試し酒」と「井戸の茶碗」の二席。3年前の「鴻巣寄席」で聴いた時以上に流調に、そしてパワフルな語り口は、あたかもかのコロナの影響で沈みがちな聞き手の心の呪縛をバッサリと取り払ってくれる心地良さに満ちています。
この会の宣伝リーフレットには「祖父である五代目小さん師匠も高座に上がられておりましたので実に40数年振りに小さん師匠のDNAが鎌倉能舞台の高座に…」と書かれていました。ところが花緑師匠は「私、先ほどこの会場に来た時に思い出しました。まだ修行中の頃、ここでの志ん朝師匠の会の前座を務めたことありました」と驚きの事実⁉を披露。そして「前座で落語を演じたんだけど、ちっとも受けませんでしたね。見に来ているお客さん全員『早く志ん朝を出せ』モード全開で、私、滑る滑る、なんて思い出が…」とくすっと笑わせてくれる一幕も。それにつけても、今回の会で大好きな志ん朝師匠の名前が出てくるとは思いませんでした…。
あらためまして、コロナ収束の暁には必ずや またウチの工房にて「めざせ真打ち!柳家緑助落語会」開催を。いや、ひょっとして「祝 真打ち昇進! 柳家緑助落語会」? いえいえ、急がば廻れ…、急いては芸を仕損じる…。