鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

紫陽花が咲き誇る道を辿りながら去来する「夏至」の向こうに見える景色…

2015-06-21 21:04:17 | 日記
ふと気がつくと明日はもう「夏至」…。一年で最も日中の時間が長い日ということですが、それはとりもなおさず、この日を境に陽が徐々に短くなっていくということ。これから梅雨明け、そして大好きな夏の到来!ということなのですが、「夏至」という言葉の響きの裏に「なんとはなしの物悲しさ」のようなものを感じるのはワタシだけなのでしょうか‥。

ともあれ、いつまでも夕陽の明るさが残る梅雨の晴れ間となった過日、お客様と連れ立って立ち寄った駅前の「六弥太」さんで一献傾けていた折、明らかに「京都の芸妓さん?、それとも舞妓さん?」と思われるいでたちの美しい女性がゆったりと店内に歩を進めてゆっくりとした身のこなしでカウンターに腰かけてくつろぎ始めました。

それまで、ワタシも含めて店内に居合わせたお客様一同おおいに飲み語り合っていたのですが、この「京都の風」が舞い込んできた瞬間、しばしの沈黙…。そして、「いと、ありがたきかな…」という感じで歓迎の輪が出来たことは言うまでもありません。

ワタシもこっそり、しっかりと話しかけ、そして名刺をいただいてしまいました。

というような感じで「夏至」間際の日々を送り徒然ていますが、工房においてはこのところ、「結婚式をするのですが、式の際に両親に手作りのプレゼントを…」ということで、ご両親へ感謝の気持ちを込めた記念品作成のお客様が立て続けにお越しになっています。

こちらが幸せいっぱいの若いカップルの方々の「両親への感謝に気持ち」のカタチの一例です。

手作りの記念品は、その方々によってサイズはまちまち。作品のサイズに合わせてワタシがジャストフィットな箱を手作りしています。この作業はそこそこに難易度が高いのですが、同時にとても楽しい仕事の一つでもあります。

梅雨の間の晴れ間が広がった昨日の土曜日。陶芸教室午前の部が早めに終わり、かねてからのさまざまな用向きを一挙に進めるべく愛車メガーヌで紫陽花が満開の市内を巡ることとなりました。

まずは長谷の御霊神社さんへ。ワタシたち佐助のお店仲間が8月に開催している「鎌倉佐助のさんぽ市」に際して、町内の佐助稲荷神社のつながりでいろいろとお世話になっている御霊神社さんを訪ねた次第です。

鳥居の近辺には、紫陽花と江ノ電を納めた写真を撮影する方々で鈴なりの態…。今年の6月、かの「海街diary 」の影響か、この街を訪れる方々の数は例年をはるかに凌いでいるように思います。

御霊神社での用向きを済ませて、国道134号線へ。そしてこの交差点を左折して進路を東に向け、一路、葉山を目指します。


右側の車窓に広がる相模湾を見ながら約20分、葉山御用邸交差点を左に曲がり、ほどなく、ワタシにとっては梱包材料のあらゆる面でとても頼りになっている「パッケージプラザ」さんに到着です。
 
上記の若いカップルが「両親への感謝の気持ち」としてお作りになられた陶器を納めるパッケージを無事に買い求め、次なる目的地・北鎌倉にメガーヌを走らせます。

葉山、逗子、鎌倉を抜け、北鎌倉が近づくと、にわかにクルマが混み始め…。渋滞の最中、ビーフシチューで有名な「去来庵」には長蛇の列…。

「この人達は、何時になったらビーフシチューを食することができるのだろうか?」という思いがアタマの中を「去来」してしまいます…。

電車ならば約3分ほどの鎌倉から北鎌倉への道のりを30分かけて、ようやく北鎌倉のお宅に到着。用を済ませての帰り際、傍らにこのような素敵な花が…。

さしずめ、ねぎらいの言葉をかけてくれているようでもありました。

そして夕刻、鎌倉在住の舞踏家・秀島実氏、ならびにウチの知り合いでもある中村早紀嬢のコンテンポラリーダンス公演をしばし鑑賞。

秀島氏の 哀愁を帯びながらもビシッとした緊張感あふれるパフォーマンスとともに、早紀嬢と山本かおり嬢が演ずるちょっぴりエロティックな舞台がとても印象的な一夜でした。この公演は27日にも開催されます。ご興味のある方は、是非どうぞ。

とにもかくにも、鎌倉、逗子、葉山を駆け巡っているようではありますが、その実情はと言えば単にあくせく動きまわっているばかりでココロの実になる時間を過ごしているような充実感は皆無…、というのが現実でもあります。

それでも「夏至」はやって来る…。

かつて、「遠くへ行きたい」という旅番組がありましたが、今、ワタシとしては少しばかりの自戒の念を込めて、せめて束の間でも良いから「近くへ行きたい…」。
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木霊とともに佇む「聖地」をめぐる思い、紫陽花によせて…

2015-06-13 20:38:38 | 日記
ここ鎌倉の街は、時まさに「紫陽花でいっぱい!」で紫陽花で有名なお寺はどこも観光の方が続々、らしい、です…。でも、ワタシが暮らす佐助には幸か不幸か紫陽花の名所たる寺社が無い故に、程ほどの混雑、そこそこの賑わいの週末となっています。そしてわが家では、ご近所のお宅からいただいた深く鮮やかな色合いの紫陽花がリビングに華やぎをそえてくれています。
 
「これだけの鮮やかな紫陽花はそうは無いよね」と一人悦に入りながら飲むキリン淡麗グリーンの美味しいこと…。

今年の6月に限っていえば、当地は今が見頃の紫陽花に加えて本日封切りとなった「海街diary」の人気も相まって、例年以上のホットな雰囲気に包まれています。この「海街diary」への注目度は相当なものらしく数日前から、四姉妹役を務める女優さんの浴衣姿の映像がテレビにて何度も紹介されていました。うっとおしい梅雨の気分を振り払うにぴったりの女優さんたちの笑顔と賑々しさは、一緒に映像を観ていた友人たちとともに「大歓迎」…。

閑話休題…。

紫陽花と映画で賑わいを見せる当地から、北西の方向に目を移してみると、東京あたりでは「賑々しさ」の意味も雰囲気もちょっと趣を異にしています。

霞ヶ関では「集団的」「個別的」「合憲」「違憲」…。なにがなんだか、さっぱりわかりません。というか、ある人たちがめちゃくちゃなことを言っているらしい、とか…。

そして神宮外苑のある施設をめぐって、おカネとプライド、そして屋根や時間にまつわる賑やかで不毛にも思える茶番?が洩れ伝わってきます。そしてついさき頃、朝日新聞デジタルにて、その施設のなんとも悲しい写真が紹介されていました。

上から順に、昨年5月、今年3月、そしてもっとも下はスタンドも芝生もすべて撤去されてしまった今年5月15日の写真。多くのアスリートから「聖地」と呼ばれてきた国立競技場がこの世から完全に消滅した裏には「意地でも、新しい国立競技場を造ってやるぞ!」というような、なんとも恣意的なチカラが働いている、といったら考えすぎでしょうか。

ともあれ、このブログでも昨年6月11月11月の2回に分けて「聖地」国立競技場のスタジアムツアーの様子をアップしてきました。

過去2回はメインスタンドの施設とグランドレベルの様子をアップしてきました。今回のファイナル編?は、バックスタンド側からの光景を集めてみました。

まずは聖火台。ワタシが訪ねた昨年5月22日はスタジアムツアー最終日とあって、多くの報道陣も取材に駆けつけていました。なかでも、フィールドの芝生まわりとこの聖火台には各社カメラクルーが集まっていました。


聖火台横から東側を望むと神宮外苑の深く青々とした森と都心の高層ビル群が望めます。

東京都心といえばついつい「コンクリートジャングル」をイメージしてしまいます。されどスタンド上部から俯瞰しているにもかかわらず、密度の濃い杜の勢いには圧倒されてしまうほど。遠くにみえるビル群も壮大な現代アートの作品のようにも見えてきます。

南側に目を移すと、東京ヤクルトスワローズのフランチャイズである神宮球場のスタンドを見下ろせます。同球場は東京六大学や東都大学野球の本拠として使用されているだけでなく、全国の大学野球界の「聖地」として厳然たる存在感を誇っています。

ワタシも小学生時代から数えきれないくらい野球観戦に訪れた思い出の球場です。

聖火台の横からメインスタンド側を望むと、フィールドを覆う真っ青な芝生がことさら印象に残ります。

この場所からスタジアム全体を見渡した時、「これを壊すことは『暴挙』に他ならない…」と、悲しい気持ちに見舞われたことを昨日のことのように思い出します。

スタジアムツアー終了後、雨に濡れたメインスタンド外観をしっかりと記憶にとどめるため、しばし立ち止まっていました。


家路につくべくJR千駄ヶ谷駅へ向かう道すがら、国立競技場スタジアムツアーで探訪してきたさまざまな場内施設を反芻しながら、妙にココロに残ったのがこの光景。


ここで一句。

終わった次のその姿、紫陽花に答え求めて二ガ笑い…。



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ご近所の風街、海街巡る小さな旅、「チョピット」始めてみました…

2015-06-02 06:44:55 | 日記
常日頃、作陶や陶芸教室の合間に「半径50mのプチ散歩」と称して、地元・佐助のお店仲間界隈を超速攻で巡り回っています。そして夕刻ともなれば時として、駅周辺や小町通り界隈のお店にご挨拶かたがた街のパトロールも滞りなく遂行しています。とは言うものの、一般的に「健康のバロメーター」とされる「一日あたり一万歩」には遠く及びません。このような状況を見かねてか、地元・佐助自治会にて毎月第3土曜日午前中の時間を使って市内周辺の里山を巡る「佐助歩こう会」の方々からも、「歩こう会に参加しなよ」とお声をかけていただいています。されど、土曜日の午前中は、まさに陶芸教室にとっては最も忙しい時間帯につき「歩こう会」への参加は儘なりません。

「ならば…」ということなのでしょうか、「歩こう会」のメンバーたる人生の先輩諸氏から「今度、『チョピット歩こう会』というのを作ってみたよ。平日の午前中の2時間、一緒に鎌倉の里山を歩こうね‥」とのお誘いを受け、「喜んで!」チョピット歩いてみる決意を固めてみました。

栄えある!?「チョピット歩こう会」第1回目は5月・皐月も最終盤ともなった平日の午前中。佐助地区の「銀座4丁目交差点」ともいうべき「佐助1丁目交差点」から、いざスタート。今回は、常盤亭跡から野村総研跡地、鎌倉グリーンハイツを経て佐助稲荷神社あたりから「下界」へ戻るツアーです。

まずは市役所通りを西に向かい、新佐助トンネル(写真奥)を目指します。


市役所通りということでクルマの往来の多い新佐助トンネルと長谷トンネルを抜け、ほどなく右側に広がる草地に足を踏み入れるとこのような標識が確認できます。ここから 北条氏常盤亭跡という国指定史跡を目指します。

「タチンダイ」の「タチン」とは「館(タテ)」すなわち「館(やかた)」を表わしているとか。かつて大学時代には地理学科の仲間たちと国土地理院発行の地形図片手にさまざまな街や野山を巡っていましたが、今回のように土地の解説を聞きながら「チョピット」歩くこと いと楽し…。

常盤亭と「やぐら」に関する解説はこちらから。


常盤亭一帯の谷戸の最も奥には、見事な「やぐら」が残っています。


この常盤亭跡を巡った後、史跡東側の尾根筋の山道を北方向に進みます。山林に囲まれる中、足元の雑草の間に続く一筋の林道を歩くこと約15分、目の前にいきなり旧野村総研の広大な空き地が…。


ワタシが住む佐助の北側・梶原地区の山すその一角にあるこの野村総研の施設はさまざまな経緯を経て、現在は鎌倉市に寄贈されています。しかしながら次なる用途も定まらぬまま、放置されたまま。

かつては学校や美術館として整備される案が、そして近年ではゴミ処理施設として再開発される計画等、さまざまな構想が練られては消えて今日に至っています。近寄ってみると、外壁や窓は荒れ放題で施設の建物としての再利用は難しいことは容易に察しがつきます。

また、構内に建設され「橋の耐震性能が低くて、とても使えない…」ともれ伝えきいていた野村橋という橋をあらためて見てみると、なるほど、橋げた、橋脚ともにか細くて「いかにも弱いかも…」との感を禁じ得ません。

しかしながら、耐震性が低いが故の? きゃしゃな造りがなんとも素敵です。

旧野村総研を後にし、梶原地区の住宅地から再び山に分け入り、自宅のある佐助方面に。この山道は意外なほどに踏み固められていたのですが、「梶原に住む勤め人の男性は、毎日この山道を30分くらいかけて歩いて鎌倉駅に行くんですよ」との説明を聞き、少々びっくり。

山道を歩いていると、次第に小学生と思しきかん高い声が近づいてきます。そして佐助稲荷神社を目前にしたところで校外学習と思しき小学生の一団と遭遇。


急な山道を下りるとあっけなく、本日の最終目的地たる佐助稲荷神社に到着。わが家から徒歩約10分ほどの佐助稲荷神社ですが、通常と異なるルートで詣でてみると しばし全く別の神社に来たような錯覚に陥り不思議な感じがします。

佐助稲荷神社で参拝後「チョピット」の一行は歩き慣れたいつもの参道を下って佐助の自宅へ。校外学習の児童、生徒さんの歓声に包まれながら帰途についていると、「下界に下りてきた…」と思わず二ガ笑い。

記念すべき「チョピット」第1回、所要時間約2時間、総歩数約7000歩、推定歩行距離約4キロ…といった感じでしょうか。次回「チョピット」の開催日は未定ながら、「海街」を巡ることだけはなんとなく決まっています。

帰宅後、不思議なことに作陶のペースが少々アップしたように思います。これは「チョピット」どころか、「とっても」ありがたい、かも…。

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