鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

長谷の空「朝市」今年も巡り来て、海街の風 心地良く…

2015-05-19 07:58:46 | 日記
それこそ「怒涛」のような人の波で溢れかえっていたかのゴールデンウイークを経て、間もなくやって来る紫陽花のシーズンまでのほんの数週間ほどの間、当地でお客様をおもてなしする立場のワタシ達としてはなんとなく「小休止モード」の日々を送らせていただいているようにも思います。

ご近所のお店仲間さんと「あの連休は、おつかれさま。次は紫陽花。また、忙しくなるかもね…」と言いながらも、お互い、そこはかとなく「余裕」が感じられます。なにしろ、ここ佐助にはいわゆる「紫陽花の名所」が存在しないため、かの連休のように散策の方々でごった返すことがありません。これまでの経験によれば「ほどほどの盛況モード」に包まれる中での散策に訪れたお客様との語らいが、お店にとっていわゆる「リピート」につながるのではないかと思います。

時は今から2日ほど前の土曜日、朝8時前の長谷寺参道。週末ともなれば、この長谷寺付近は観光に訪れた多くの方々で賑わうのですが、早朝とあって、さすがに人影はまばらです。


しかしながら、長谷寺から一筋ほど北側の緩やかに登る道はさらに上の方を目指す人の波、波、波…。


初夏の早朝の陽射しを背に受けながら坂道を登りきった先、今年も「長谷の市」の一環である 朝市 を[チラっとパトロール」に興じた一時間…。

あらかじめいただいていたチラシによると、この「長谷の市」は今回で24回目とか。ワタシがご近所のお店仲間さんとともに毎年夏に主催している「鎌倉 佐助のさんぽ市」は、今年でようやく6回目…。その歴史、規模の違いをあらためて痛感しつつも、「佐助は さんぽ の明日がある!」とカラ元気を振り絞って、「いざ、朝市へGO!」。

長谷寺にほど近い光則寺で開催される朝市には、地元・長谷をはじめ市内のいろいろなお店が出店しています。そして、今年もワタシのお目当てのお店は、こちら。わが家から約30m、「さんぽ市」のお店仲間でもある「甘味処 こまめ」さん!。

お店を切り盛りしている かえさん(左)とゆうこさんがとびきりの笑顔で迎えてくれたので、ふと気がつけば、両手の指の数にも余るほどたくさんのおにぎりを買い込んでいました。山形産のお米を炊いて握ったこのおむすび、機会がありますれば「甘味処 こまめ」さんで是非ともご賞味ください。口の中に含んだ時の「ほっこり感」がホッとさせてくれる逸品です。

毎年この時季に開催されるこの朝市に足を運ぶようになって以来、今回で何度目となるのでしょうか。

訪れるたびに、会場となっている光則寺参道の並の勢いが増してきているように感じられます。

初夏のさわやかな空を見上げながら、「こまめ」さんから買い求めたおにぎりをしばし「パクパク」。ふと気がつけば、ウチの工房で販売しているスパイスを調合してくれたバラッツ青年が姿を見せてくれていました。


「こまめ」さんが出店していたブースの向こうには、凛とした趣の邸宅が佇んでいました。


このような佇まいの家に生まれ育っていたら、また別の人生を送っていたのだろうな、と思いつつ…。

海街と里山巡る時を経て、交わす言葉にいなせな響き…。

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史跡を巡ってあらためて感じる北鎌倉の風情と奥行きの深さ

2015-05-11 18:11:01 | 日記

かの連休の最終日は「立夏」を迎え、以来、このところすっかり季節は初夏の装いとなっています。この時季、「一年で最も気持ちのいい季節だなぁ…」と、日に何回も青い空を見上げながらつぶやいてしまいます。常日頃、陶芸教室に際してはウチの工房にて展開していますが、連休を経て最初の土曜日の教室はちょっと趣向を変えてみることに。皐月の風に誘われて「陶芸教室番外編」よろしく屋外の空気を思いきり感じながら、会員さんと北鎌倉の街を散策してみることにしました。

JR北鎌倉駅、午前10時前に三々五々集合し、北鎌倉史跡研究会が主催する「北鎌倉史跡巡りツアー」に参加して、風情あふれる歴史的景観を堪能する3時間ほどの小旅行を楽しんでみました。

初夏の土曜日午前10時、北鎌倉駅をスタートして鎌倉街道沿いに軽く歩を進めて2分弱、駅に隣接する円覚寺前へ。北鎌倉駅で横須賀線を下車して円覚寺に向かう人々の波が新緑に装られたモミジの木々の下に吸い込まれていきます。


円覚寺参拝の方々を横目にワタシ達のツアー一行は、北鎌倉駅プラットホーム沿いの昭和モード溢れる小路の先にある 緑の洞門 の前へ。

この昭和初期に掘られた素掘りのトンネルは長きにわたり、地域のかたがたの生活道路として親しまれてきたようです。しかしながらここにきて、鎌倉市は「その構造面をはじめ、さまざまな観点から危険がある」との理由により、4月末からいきなり「通行止め」としています。あらためて近寄ってみると、黄色と黒に塗られた防御ネットによって覆われた洞門の入口がなんとも悲しい光景をさらしています。

地域の人々にとっても、駅をはじめさまざまな方面への遠回りを強いられていると聞いています。ここはひとつ、蔭ながら鎌倉市さんの善処を期待してみたい気持ちでいっぱいです。

ことほど左様に「市政と市井の狭間」という難題解消にアタマをひねりながら鎌倉街道沿いに歩を進めつつ、地域の酔っ払いさんの殿堂「侘助」さんや「魚作」さんの前を静々と通過。土曜日の午前とあって、しっかりと扉を閉じています…。

普段から愛車メガーヌで北鎌倉界隈を通過するたびに、この街中に残る昭和モードいっぱいの商店や家屋が醸し出す一種独特の風情に親しみを感じています。この景観を永遠に‥、と願わずにはいられません。

鎌倉街道を大船方面に少し進んで右に曲がったところに、おそらく日本で唯一 個人の名前が冠された踏切といわれる権兵衛踏切があります。

かつてこの辺り一帯の地主さんだった小泉権兵衛という人がこの踏切を設置・寄贈したことから、名前がつけられたらしい…、というようなことを以前聞いた記憶があります。

この踏切を渡り、横須賀線の線路を右に見ながら再び北鎌倉駅方向に歩を進めていくと程なく左側の崖に掘られた 赤の洞門 の前に至ります。この門は横須賀線で北鎌倉から大船方面に進むとすぐに車窓右側から臨むことができ、地域の人、ならびに横須賀線で鎌倉散策に来る方々にとってもとても認知度の高いスポットです。今から約10年ほど前まで、この赤い門の奥には広大なお庭を擁する「好好亭」という会席料理のお店があったことが知られています。

線路際の道から紅い門を臨み、約20mほどのトンネルを抜けて反対側の出入り口から振り返ると、横須賀線の線路が垣間見えます。

赤の洞門から線路沿いに北鎌倉駅方面に向かうとすぐに 黄泉の洞門 と呼ばれていた崖にさしかかります。現在、洞門だった当時のトンネル部分は開削されてしまっていますが、かつては右側の写真(昭和25年撮影)のようにじつに立派なトンネルだったようです。

ちなみに右側の写真の人物は戦前、戦後を通じて小説家・詩人として活動していた故 高見順氏。といっても今の若い人にはピンと来ないと思います。ちょっと角度を変えると、高見氏はタレント・高見恭子さんのお父さん。そしてもし高見恭子さんという名を聞いてもピンと来ない人には、彼女の夫はプロレスラーで衆議院議員でもある馳浩氏、といえば良いのか、それでもピンと来ないかも。なんだか、果てがありません…。

赤の洞門や黄泉の洞門が掘られた大きな岩隗は洞門山と呼ばれてきたようです。その山の上にある八雲神社から南西方向を望むと、眼下には鎌倉街道や横須賀線、そしてそのむこうには山ノ内の家々や里山が広がっています。


北鎌倉駅周辺には駅から大船方向に向かって 緑の洞門、黄泉の洞門、赤の洞門と続き、そしてさらに線路沿いの小路の最奥に 青の洞門と呼ばれるトンネルがあります。

北鎌倉側から見た青の洞門入口         トンネルを抜けて大船側から臨む青の洞門

青の洞門を抜けて大船側に出ると、にわかに家の数が多くなります。それでも急な階段を登った先にある亀井公園付近はまだまだ里山の風情がそこかしこに残っています。亀井公園および周辺の斜面はかつては段々畑が広がり、鎌倉市民に向けた野菜の生産地だったとか。

亀井公園の南側は瀟洒な造りの家々が並ぶ新興住宅街となっています。「自然保護か開発か。正しい答えを出すのはなかなか難しいかなぁ…」と思いながら住宅街を進むこと数分。「いよいよ、この小道から…」と導かれて一歩二歩砂利道を下りていくと、目の前には俗に「鎌倉で一番美しい切通し」が…。

うねうねと下りながら約100mほどにわたって、ほぼ垂直に切り立った岩壁が続きます。

頭上を見上げると、樹木の枝が切通しに覆いかぶさり皐月の空の光をさえぎっているようにみえます。


「時空を超えて…」などと言いますが、まさに「時間を忘れ、アタマの中が空っぽ…」になるくらい、俗世界から遠く隔たれたような感覚に陥った瞬間、背後からの「鎌倉市はこの切通しも壊したがってるらしい…」、「危険だから、と言ってるようだね」との会話が耳に入ってきました。

その会話のとおりだとしたら、それはまさに「時空を超えて」野暮った過ぎるように思います。そして、重厚なる切通しの中でしばしボ~っと立ち尽くしてしまいました。

たしか、鎌倉市民憲章前文には「わたくしたちは、鎌倉の歴史的遺産と自然及び生活環境を破壊から守り、責任をもってこれを後世に伝えます」という一文がありました。あの文章がパロディのように色褪せて見えてきます…。

何事も、この皐月の空のようにさわやかに、そして、潔くお願いしたい今日この頃…。
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皐月色に輝く空の下、つかの間の「休日モード」に思うこと…

2015-05-02 13:49:07 | 日記

昨日から、ゴールデンウイークもいよいよ本番!。とは言うものの、佐助のお店仲間さんと同じようにウチの工房にはこの期間中「お休み」などということは微塵にも存在しません。陶芸教室と作陶の狭間に「休日」という黄金色に輝く文字が薄ぼんやりと見え隠れします。ちょっと羨ましい心持ちを振り払って「みんなが休んでいる間に働いているのだ!」と微動だにせず…、というワケにはいきません。やっぱり、お休みはちょっと羨ましい…。

でも、ワタシにとってはゴールデンウイークよりも、皐月の青々とした新緑と輝く初夏の陽射しがなんともココロに響きます。まず第一に、皐月という言葉の響きがステキです。その皐月の始めの日、朝刊に折り込まれていた「かながわ 県 のたより」第一面は、以下のような誌面構成となっていました。



この第一面を目にした瞬間、「あっ、ここにも羅針盤!?」と、妙に感じ入ってしまいました。それもこれも前回の当ブログにて記述したように、サザンオールスターズが最近リリースした「葡萄」というアルバムに収録されている「はっぴいえんど」という楽曲の中に「♪旅の途中で羅針盤…」というフレーズがあったから…。神奈川県知事の黒岩さんもひょっとして、サザンファン!? などと、不思議なシンパシーも感じてしまいます。

とにもかくにもふと気がつけば、ゴールデンウイーク後半戦5月2日のスタートは、北鎌倉での用向きから始まりました。時刻は朝8時前。用事を済ませてわが家へトンボ返りする道すがら、鎌倉学園に登校する生徒さん達の列に遭遇。私学は土曜日も授業があるんだ!?。5月の連休の時くらいは土曜日も休校にすれば良いのに…と思うのはワタシだけでしょうか。なんだか、ゾロゾロ歩く生徒さんのテンションも低く見えたなぁ…。

鎌倉学園といえば、サザン・桑田さんの母校。今から40年以上前、桑田さんも通学路としてこの鎌倉街道の歩道を踏みしめていたのでしょう。当時、東京の高校生だったわが身をふり返ってみると、毎日毎日「 野球選手」していたホントに楽しい3年間でした。あの頃、未来へ向けてどのような 羅針盤 を…などということはちっとも考えず、授業中ただぼんやりと 黒板 を眺めていましたっけ。

時はまたまた2日前、皐月の始めの日に戻って…。

江ノ電長谷駅から大仏さん方面に向かう「メインストリート」は、そこそこの人出で賑わっていました。

きっと、本日、そして明日、明後日あたりは前へ進むのも難渋するくらいの混雑になるのでしょう、おそろしい…。

この日は、以前4月はじめの「黒猫ten」に合わせて制作・販売を始めたスパイスの開発者バラッツ青年(下の写真)のお宅を訪問しました。


彼が住む家は江ノ電の駅からほど近い場所にある昭和時代に建てられたとても趣のある日本家屋です。来るたびに、ワタシが子供時代から育った東京・葛飾の家を思い出して「フ~ッ」っと、感慨にも似たタメ息のようなものをついてしまいます。もっとも葛飾の家は、ここまで優美ではありませんでしたが…。

バラッツ青年は留守でしたが、お父さんのアナンさんとしばし、いろいろな話を交わすこととなりました。

ワタシの食が細いことを知ると「オ~、それはエコですね。スバラシイ!」。
ワタシがあまりお肉好きではないことを知ると「オ~、それはとても良いことデス。お肉よりも、お豆をたくさん食べマショウ」。
ワタシがクルマに乗ってやって来たことを告げると「オ~、今度は歩いてきてクダサイ。自転車も良いデスネ。カラダに良いし、エコにもなりマス」。
そのほか、会話のそこかしこに環境やカラダに配慮した暮らしぶりがうかがえます。そして、アナンさんのまわりに漂っている「インドタイム」な雰囲気に接していると、時間の流れがゆっくり…というか時の流れが止まってしまうのではという錯覚に陥りそうになってしまいます。バラッツ青年のあのおっとりとした性格も、アナンお父さんの生き方がそのまま投影されているのかも…。

アナンさんのお宅からの帰り際、「今度、お窯が完成しました。間もなく火入れ式シマス。ヤキモノ、焼きまショウ!」とにこやかに促されましたが、このお窯の構造では食器を焼き上げる温度まであげることはちょっと無理かなぁ。

「この窯でお食事をたくさん作って、みんなで楽しむイベントを考えましょう!」と言って、アナンさんと、やんわり握手して「日印交流」調印!?の一幕、でした。

アナンさんのお宅には、別棟として最近しつらえ直されたこのような瀟洒な日本家屋もあります。

アナン邸は、ワタシが子供時代を過ごした昭和30年代を思い起こさせる風情に満ちあふれています。そして、ワタシの愛車メガーヌさんの控えめな顔つきも何となく日本の家屋とマッチしているようにも思えたり。

ともあれ皐月のはじめの日、アナン邸で過ごしたつかの間の1時間をもってして、ワタシの休暇タイムは「ジ・エンド」。ゴールデンウイークとやらの残り3日間、たとえば「先生、昨日が八十八夜だったって知ってましたぁ?」などと問いかけてくる若い女性会員さんの言葉にヘラヘラしながら陶芸教室主宰者としての立場を全うするワタシがいます。

ひるがえって、ウチの同居人さんには「毎年毎年この時期に、忙しい思いをさせてスミマセン。いつか必ずどこか豪華な旅にご招待します」と伝えてはいますが、その言葉どおり「はっぴいえんど」になる気配は微塵もありません。

ワタシ自身 旅行に連れて行けそうにはありませんし、なにより「預かったハズの羅針盤が見当たらない…」とのたまっている同居人さんとともに旅行に出かけた暁には何処へ連れていかれるのか甚だ心許ない限りですから…。
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