今回は、高校野球のお話しに終始いたします…。
日本古来から伝わる二十四節気になぞらえば、本日8月23日は「暑さが収まる頃」にあたる「処暑」ということになります。時あたかも昨日、私がこよなく愛する夏の高校野球・甲子園の夏がその幕を閉じました。この先、この週末にオンエアされる「山下達郎サンディソングリクエスト、達郎・マリア納涼夫婦放談」をもってして、私の夏も終わりをつげます。毎年のこととは言えながら、夏の終わりは何とも物悲しいかぎりです…。
それにつけてもこの夏の甲子園大会にて、100余年の歴史の中ではじめて東北各県代表として全国制覇した仙台育英高校野球部の栄誉は高校野球史にとても大きな記憶として永遠に記されることでしょう。
私自身、かつてスポーツマスコミの世界に身を置いていたこともあり、仙台育英の優勝を伝えるスポーツ紙をやたらめったら買いあさり、その中でも目についたのが 第Ⅰ面と最終面ブチ抜きで「仙台育英優勝」をぶち上げる日刊スポーツと、「白河の関」越え…を控えめに伝えるサンスポ。
蛇足ながら、日刊スポーツ紙の右下隅の広告に記された「老化は足から。」のお言葉、なんとも身につまされます、トホホ…。
これまでの甲子園大会において、東北地方の代表校は一度も優勝していませんでした。その垣根の高さを例える言葉として、東北に入る関所を示す「白河の関」というワードがしきりに引用されてきていました。
今回の栄誉に際し、地元ではどのように伝えたのかと思い、宮城県の有力紙「河北新報」を紐解くと、まずは優勝決定の時とともに「号外」にて
続いて本日の朝刊を並べてみると
一夜明け、見出しにはじめて「白河の関」というワードが掲載されています。
かねてより「そう遠くないうちに東北の高校が甲子園優勝を成し遂げる」と思っていました。そしてその可能性があるのは、仙台育英高校か東北高校…」と思っていました。
ふり返れば1989年の夏の甲子園決勝、仙台育英は東京の帝京と闘い、延長の末に惜しくも敗れて優勝旗が白河の関を越えられませんでした。この時、私は大越基投手がエース投手として活躍した仙台育英の決勝戦を甲子園の記者席で見つめていました。試合前から球場全体が「仙台育英に勝利を…」という雰囲気で、記者席でも「今回は仙台育英が勝つと記事が盛り上がる…」という感覚に満ちていました。
あれから20余年。これまではるか昔の秋田二中、磐城、三沢、そして近いところでは仙台育英、東北、花巻東、光星学院、そして金足農が挑んでも跳ね返されてきた全国制覇を成し遂げた今回の仙台育英の栄誉は、高校野球史に新たなる扉を開いたエポックといっても過言ではないでしょう。
その上で今回の仙台育英高校野球部の優勝という甲子園史上歴史的快挙も、テレビ等での伝われ方においては、コロナ感染の更なる増恐、はたまた統一教会問題やウクライナ情勢等、いわゆる「パンドラの箱が開く」混沌とした状況の中、幾分かすんでしまっています。
ことほど左様になんともすっきりしない世情をふり返りつつ、とどのつまりは身のまわりの気心の知れた親しき人達とのつながりを大切に つつがなく日々を暮らせれば…、との想いを新たにした「処暑」の一日でもありました。