鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

会津のお墓に詣でた後は、若き日々と友を辿るいにしえの越後路。毎年の儀式になりそう…

2023-09-23 11:06:33 | 日記

古くから「暑さ寒さも彼岸まで」と言われていますが、初夏以来続いていた危険すぎるほど暑い日々もお彼岸を境に、秋の気配を感じられるようになってきました。そしてお彼岸といえば、真っ先に思い浮かぶのはお墓参り…。ワタシも同居人も、それぞれの実家のお墓参りは欠かさないようにしています。時としてお墓に向かえないときには、しっかりとお墓のほうに向けて手をあわせて心ばかりのご先祖供養としています。

前回のブログにて、暑さ収まらぬ8月末にワタシの家のルーツの地である福島県会津の示現寺にお墓参りしてきたことをアップしました。

この会津の示現寺は、わが家から350キロほど距離があるので、お彼岸ではなく年に一度 夏の時期に詣でています。

今年のお墓参りに際しては、その帰り道に新潟まで足を延ばして、大学時代の友人宅を訪ねてみました。新潟にも立ち寄るきっかけは、この大学時代からの友人夫妻が8月半ばにわが家に来た時に「今度は新潟にも来てよ」と誘われ、その言葉に甘えて? 約2週間後の速攻訪問となった次第です。

「今年のお墓参りに際しては、その帰り道に新潟まで足を延ばして」とはいうものの、会津から鎌倉への帰り道と新潟方面は全くの逆方向。会津でお墓詣りを済ませて一泊し、翌朝 新潟・胎内市の友人宅に向かい、再会を果たした後に鎌倉に取って返す少しばかり弾丸ツアー気味のドライブです。

お墓参りツアー2日目。会津の宿から進路を西に取り、磐越自動車道と一般道経由で車窓に広がる新発田市の田園風景を楽しみながら、アッという間に? 胎内市の友人宅へ。

なんとも堂々たる風情のお宅です…。
家の中は、お宝がいっぱい!?


そして天井を上手い具合に取り払って解放感いっぱいの空間を構築し

古い家ながらも、とても居心地の良いスペースとなっています。

新潟ということで、とびきり美味しい鮭をメインにしたお昼ご飯をいただき


友人夫妻と記念の一枚。

スマホのシャッターをパシャっと押す同居人の「はい、それでは一枚!」という言葉も弾んでいました。

鎌倉への帰り際、友人宅から見える越後の山の上に広がる夏空には、お月様がうっすらと輝いていました。


そして、鎌倉に戻る間際に「夏の思い出」のワンシーン。


ふり返れば、今から45年くらい前、この友人とともに大学の授業後に湘南の海でサーフィンしたり、渋谷のセンター街あたりで合コンしたり、なんとも自由気ままな数年間でした。大学時代、彼は顔立ちもヘアスタイルも当時人気を博していたロックバンド「ツイスト」のボーカル・世良公則さんにどことなく似ていて、なかなかのモテ男でした。あぁ、それが今では…という思いも無いではありませんが、この歳になれば、元気が一番。とりあえず、お互いの生存確認を果たし、ちょっぴり甘酸っぱい大学時代の思い出とともに家路へ。

この2日間でメガーヌとともに走った距離は

一日あたり500キロほどでは、メガーヌもワタシもまだまだ余力たっぷりです、エヘン!

大好きな夏は終わってしまいましたが、秋もまた楽しい日々の予感が…。
友よ、そして奥さん、ありがとう!









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亡き父の思い出をつなぎつつ、ルーツの地・会津で思う昨日今日明日、そしてその先…

2023-09-15 09:39:07 | 日記

きわめて私的な話で恐縮なのですが、昨日9月14日はワタシの父の命日…。今から17年前の2006(平成18)年のこの日の夜、入院していた病院で79歳の生涯をそっと閉じました。その年の初夏に急激に体力が低下して診察を受けた結果、癌に侵されて「余命3か月」の診断を受けて急遽入院し、本当に3か月で逝ってしまいました。ワタシが子供のころから友達のように接してくれたとても大切な父が癌で「余命3か月」と知らされた時、自分でも驚くくらい冷静に受け止められた記憶があります。そしてただただ「なんとか苦しまぬように…」と願うのみでしたが、担当医師の「お父さんは体力が落ちていますので苦しむことなく逝かれます」との言葉通りの穏やかな最期でした。

振り返ると、父の病状が「余命3か月」と知らされた時にワタシが動揺することなく受け止め、そしてすぐに「最期は苦しまないように」と冷静に願うことができたのも、癌という病いの特殊性に基づいているような気もします。今日の医学の進歩はめざましいものがありますが、「癌で余命数か月」との診断を受けた場合、その状況から回復に至るのは困難の極みといえるのではないでしょうか。もしも父が癌ではなくて他の病いで「余命数か月」との宣告を受けたとしたら、ワタシは父の回復を願って可能な限りの治療を受けてもらう道を選んでいたかもしれません…。

なにはともあれ、葬儀の場に飾り付けた遺影はこちら。

考古学を生業としていた父に指導を受けた方が遠い昔に撮った一枚です。生ビールのジョッキをしっかり握ってます。お酒と考古学と人を愛した父を偲ばせる一枚として、今もって語り継がれている写真でもあります。

あの2006年はどのような一年だったのかと思い起こしてみると、スポーツ界では2月にイタリアのトリノで冬季五輪が開催されて女子フィギュアスケート競技で荒川静香さんが「イナバウアー」で金メダルを獲得。そして1か月後の第1回WBC世界野球選手権大会で王貞治監督が率いてイチロー、松坂大輔両選手を中心に構成された日本代表が初代王座に。そして夏の高校野球・甲子園大会ではハンカチ王子と人気を博した齋藤祐樹投手を擁する早稲田実業が深紅の優勝旗を手にしました。サッカーシーンでは6月にドイツでワールドカップが開催され、もちろん日本代表も出場しましたが、惜しくも1次リーグで敗退…。

広く世の中に目を向けてみると、父が亡くなった9月に安倍晋三氏が首相となり、そして同じ月に秋篠宮悠仁様が誕生しています。

あらためてふり返ってみると、そのいずれも昨日のことのように鮮明に記憶しています。そして今、安倍氏はこの世には無く、悠仁様はコロナになってしまいました。時の移ろいは極めて速く、そしてなんともさまざまなことが日々起こります…。

ともあれ父の命日に合わせて、わが家のルーツの地である福島県会津の菩提寺にお墓参りに行きたいところではありますが、諸般の事情に基づきひと足先に夏の終わりの8月末に会津に向かいました。

これまでにもこのブログにアップしたことがありますが、ワタシの家の菩提寺は福島県喜多方市の北の端の熱塩という地にある曹洞宗の示現寺というお寺です。


お墓はこのお寺から石段をかなり登った森に囲まれた地にあります。

考古学を生業としていた父は会津にお墓詣りに来るたびに会津若松をはじめとする飲み屋さんで地元の方々とお酒を酌み交わしながら倉田の家のルーツを聞き込みしていました。その結果、江戸時代初期から数え数えてワタシは倉田家の19代目ということが判明しています。

お墓参りで「墓マイル」が貯まるのかどうかはさておき、ルーツの地・熱塩で泊まった宿は、遠い昔から縁戚関係にある「山形屋」さん。紅葉の季節になると多くの宿泊客の方々でいっぱいになる人気のお宿です。

宿から望む夕刻の西の空

たぶん、ウチの先祖もこの夕刻の空を拝んでいたのでしょうか…。

一夜明け、昨夕 暮れゆく夕陽を眺めた西の窓は一面の青空。


ふりかえれば今からちょうど半世紀前の初夏に父方の祖父が亡くなり、8月にこの地をはじめて訪れて納骨の儀に臨んだ時も、見事な夏空が広がっていました…。

東京で生まれ育って20年を経て、全ての基準が「東京」だったワタシにとって、森と田畑が限りなく広がる会津が自分自身のルーツの地であることが即座に受け入れられず、祖父の納骨の儀がただただ困惑続きだったことを記憶しています。

そして幾多の時を経た今、毎年のようにお墓参りをして来たゆえか、ルーツの地として会津がとても懐かしい場として昇華? しています。一日たりとも、生活の場として暮らしたことも無いのですが、これも「血」のなせる業といえば良いのでしょうか…。

とにもかくにも、ルーツの地・会津でのお墓参りを経て、次なる地での出会いは次の機会に続きます…。





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今年も「浴衣でこまめ寄席」、楽しませていただきました

2023-09-11 08:56:32 | 日記
今から2週間ほど前の週末に小町通りの呉服店「伊と彦」さん主催の「夏の終わりに浴衣でワイン」の集いに着物で出かけた際のブログをアップしました。その中の写真の一枚として「伊と彦」の女将・好江さんとともに和の装いのカットを掲載。

すると好江さんとのツーショットを羨む声とともに、17年ほど前にこの世を去った父を知る友人知人から「さらに親父さんに似てきたね」と驚嘆とも哀れみともつかぬような?声をいただいています。おもえば父は晩年、夕刻になると葛飾区立石の自宅から和服を着て「散歩」と称して飲み屋さんに出かけることを日課のようにしていました。

そのような記憶もあってか、数年後に古希を迎える年齢になった今になって和服というものに関心が向くようになってきています。そして、折にふれて生前の父がワタシの着物の着付けを手伝ってくれながら「着物って良いでしょっ、楽しいでしょっ!」と笑顔でつぶやく姿を思い浮かべつつ、9月の土曜・薄暮に始まる「こまめ寄席」に向けて 着物 de 行こう…、というワケで

少しでも粋に着られるように皆さんの手を借り、とにもかくにも、着物 de 寄席の始まりです。

家からほんの2分ほど、カランコロン響く下駄の音を聴きながら、寄席の会場である「甘味処 こまめ」さんへ。お店の入口の軒下に飾り付けられた紅白の提灯が、寄席の雰囲気を醸し出してくれます。


入口を入ると、催しへの参加を募る「浴衣でこまめ寄席」のキャッチに誘われたのでしょうか? 店内には浴衣姿のご婦人方が見受けられます。


障子を明るく照らす西陽の輝きが少しづつ陰り、ビールをグイッと引っかけてほろ酔い気分になり始めた頃、「こまめ」の女将・かえさんの「こまめ開店以来、皆さまに支えられて今年で15年を迎えることが出来ました」から始まる開演のご挨拶とともに、寄席が始まりました。


まず高座に上がったのは、本日の主役である三遊亭遊吉師匠のお弟子さんで現在は二ツ目の三遊亭美よしさんという富山県出身の女流落語家さん。

演じた噺は、おかみさんの尻に敷かれる旦那の気持ちをテーマにした「熊の皮」。三遊亭美よしさんの前職は人々のカラダを整えるヨガのインストラクターだったそうですが、今現在その身を置くのはみんなの心に笑いと喜び、夢を与える落語界。その柔らかで親しみ溢れる語り口は、まさに心のリラクゼーションにぴったりです。生意気にも、次回の「こまめ寄席」にてその成長した姿が見たいなぁ、てなことを申しまして…。

三遊亭美よしさんの幕開けの噺に続いて、いよいよ三遊亭遊吉さんの噺が二題。まず始めは、江戸徳川家の将軍の跡目争いを面白可笑しく伝える「紀州」。

1600年代から約270年近くにわたって日本を治めてきた徳川家に敬意を表したのでしょうか、遊吉師匠は噺の終わりまで、黒い羽織を身に着けたままの熱演!
ワタシの横で噺を聴いていた友人女性から「ねえ、なんで羽織を脱がなかったの…?」と、問われたのですが、遊吉師匠の真意のほどは? いつぞや、機会があったら是非とも問うてみたいところです。

続いて〆の噺は、遊郭での遊びが過ぎて勘当されて唐茄子を売り歩く果てになった若旦那の顛末を伝える「唐茄子屋政談」。こちらの噺は遊郭に出入りしていた若旦那と唐茄子という庶民性をお考えのことゆえか、遊吉師匠はのっけから生成り色の夏着物での熱演です。


寄席が跳ね、恒例のプレゼントタイムが始まり、もっとも沸いたのが昨年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で主役を務めた小栗旬さんの絵をもとに製作した「鎌倉ぼんぼり祭り 八幡宮うちわ」

競争率の激しい中、このうちわをゲットしたのはワタシの知り合い女性。このうちわの噺はもとより、遊吉師匠が演じてくれた「唐茄子屋政談」に中に出てくる東京・三ノ輪の街の話もちょこっとしたり、落語ってホントに楽しいのですよ、これが…。

かれこれ10年くらい前から「こまめ寄席」にお呼ばれしていますが、自宅から徒歩数分ほどでのお店で楽しい落語を観ることが出来ることは、本当に嬉しいかぎりです。

それにつけても、縁とは異なもの、妙なもの。昨日の「こまめ寄席」で前座を務めた女流落語家・三遊亭美よし三の出身地である富山県県が生んだ名落語家・立川志の輔さんが毎週日曜日朝にナビゲートする文化放送「志の輔ラジオ」にて本日オンエアされた過去の名演は、名人の誉れ高い三遊亭円生の「紀州」でした。


昨日の遊吉師匠の噺を反芻しながら、円生の「紀州」も楽しめる日曜の朝のひと時。落語を、そして和服をこよなく好んでいた父をしばし思い出し、気がつけば、間もなく彼の命日。

今この時に、あらためて父と和服と落語の思い出を紡ぎよせてくれた「こまめ寄席」。かえさん、ありがとうございます…。








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