鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

文化放送「くにまる食堂」にかこつけて、女房どのにささやかな「誕生日プレゼント」

2024-03-30 08:26:20 | 日記
年度末間際の昨日の金曜日、東京ではようやくソメイヨシノの開花宣言がもたらされました。我が家の2階の窓から望む佐助の杜の山桜は一足先に満開。

過去の例からすると、この山桜の晴れ姿の数日後には市内のメインストリートである若宮大路の段葛のソメイヨシノも開花の運びに… ということになり、まさに春真っ盛り。

時は少々遡って「初春」などという言葉が聞こえ始めたそれは今から約3カ月ほど前の昨年12月半ばの金曜日のこと。ワタシにとって「心の友」である野村邦丸さんがMGを務める文化放送のラジオ番組「くにまる食堂」に送ったメールが読まれて、金曜日レギューラーゲストの落語家・春風亭一蔵さんが「もっとも心に残ったメール」のご褒美として京都祇園の料亭「岩元」さん監修の豪華おせちをいただきました。

お正月三が日、箱根駅伝をテレビで観戦しながら、京都のおせちを堪能したことは言うまでもありません。

そして松が明けてから2ヶ月ほどした2月半ばの「くにまる食堂」の中で、一蔵さんの独演会が東京で開催されることを知りました。おりしも独演会はウチの女房どのの誕生日にほど近いので、なんと30年近い結婚生活ではじめてといっていいくらいの「誕生日プレゼント」にもなります、汗…

独演会とはいうものの、ゲストはなんと、立川談志門下の志の輔さんや志らくさんと並ぶ超人気落語家の立川談春さん!

ウチの女房どのは一蔵さんのことは知らないのですが、談春さんの存在はよく知っています。そしてかねがね「談春さんは一度は噺を聴いてみたい」と言っていたので、誕生日プレゼントには最適です。

そしてつい先ごろ、一蔵さんの独演会に向かいました。会場は東京・代々木の山野ホール。この代々木という街はワタシにとって、とても思い出深い地でもあります。今から半世紀ほど前、ワタシは大学受験に失敗して浪人の身となり、代々木駅前にその雄姿を誇っていた代々木ゼミナールに毎日かよっていました。あの当時、毎朝この代々木の街に降り立つたびに「オレの未来はいったいどうなるのか…」という心細い想いに駆られた日々は今もって心の隅に残っています…。

山の手線と総武線のホームが当時の様子そのままにごちゃごちゃ並ぶ駅西口を出てみると、驚いたことに代々木ゼミナールの校舎が並んでいた街は、オフィスと食べ物屋さんがびっしりと肩を寄せ合って、とても明るい雰囲気に様変わりしていました。

そうえいば、駅のホームから望む日本共産党本部ビルも、かつての薄汚れた茶色い外壁からメタリカルなテイストのグレーの建物に変わっています。

昭和の時代にどっぷりと生き長らえてきた身には、かつての暗い感じの共産党本部のほうが、しっくりくるのですが…。

綺麗になった代々木駅前ですが、新たなるビルが建つ途中に垣間見られる代々木駅の鉄骨とコンクリートの古い構造に心惹かれて記念の一枚。

思わず「広さや高さだけやたら威勢がいいけど、薄く切った沢庵みてえなガラス張りでペラペラのビルなんぞ、ありゃあいけねえ。やっぱし、バリバリの鉄骨とガチガチのコンクリビルにきまってらぁ…!」と落語チックに叫びたくなってしまいます・

ともあれ、ワタシにとってちょっぴりツラい一年をともにした代々木の街を数分ほどそぞろ歩いた末に、一蔵さんの独演会会場がある学校法人 山野学苑に到着。

ウチの女房どのは思わず「えっ、山野愛子さんの学校のホールなんだ」と目を白黒。これもまた、あの人にとっては「誕生日」のサプライズ?

独演会に来ていた人の会話の中では、この建物の地下にある山野ホール入口脇にあるファミリーマートのきわめて特殊な品揃えが披瀝されていました。いわく、「美容学校のコンビニだから、店の棚には学生のために美容スキルを磨くための多くのウイッグや美容器具がたくさん並んでいる」のだとか。

帰りのエレベーターからちらっとみたのですが、店内にはたしかにおびただしい数のウイッグが並んでいました。こんなコンビニ、見たことありません…

この日のメインたる独演会の舞台は、こんな感じ…

赤い毛氈でしつらえられた演台はその高さが少々高い感じで、一蔵さんも談春さんも「志ん朝に」ではなく、慎重に登り降りしていました。

演目は以下のとおり

一蔵さんによると談春さんがゲストに来てくれるということになり、談春さんから「一蔵、お前、『子別れ』は演れるか? オレが上と中を演る。その後、オマエが下を演れ」と言われたのだとか。

この「子別れ」は、酒と遊びが好きな熊さんが夫婦別れするまでが「上」、その後に吉原の花魁(おいらん)と一緒になるまでを「中」、そして夫婦が子供を鎹(かすがい)として元のさやに収まるまでを「下」とする三部構成となっています。一蔵さんの独演会ということで談春さんは、最もドラマチックな「下」を一蔵さんが演ずることによってより引き立つ演出を意識してくれたのでしょう。

3月29日の金曜日、文化放送「くにまる食堂」にて野村邦丸さんとともに独演会の様子を面白可笑しく語る一蔵さんのトークを聴きながら、4月から再び朝9時開店となる文化放送「くにまる食堂」に拍手喝采。

これからも、心の友・野村邦丸さんがコーディネイトする「くにまる食堂」について行く所存です…


















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歯を抜きました、もうヘトヘトです。ウチの黒猫ノワールが…

2024-03-12 17:56:01 | 日記
昨日の3月11日、かの東日本大震災から早や13年が経ちました。


震度7の大地震と大津波、そして福島第一原発の爆発と放射線漏れをはじめとするさまざまな被害の影響がいまだに深く残る東北地方を故郷に持つ友人知人との会話ではいつもかの震災の話が出ます。ワタシの父方のルーツが福島県会津であることもあり、また、東北地方にはいろいろな形で震災の被害を受けた友人知人もいるため、かの大震災からの復興を願う気持ちは常に心の中にあります…。

過日、作品の納品で市内をまわった折、かの大震災への鎮魂を…との想いをこめて、妙本寺に参詣してきました。境内の一番奥、森に囲まれた祖師堂を見るたびに、肩の力が抜けて穏やかな気持ちになります。


鎌倉駅東口から徒歩にして数分ほどの場所ながら、周囲を深い杜に囲まれている妙本寺は、今から1,000年近く前の1,260(文応1)年にかの日蓮証人がこの寺を「妙本興山 妙本寺」と名付けたことを起源とするのだとか。その歴史的成り立ちも含め、ワタシにとっても市内で最も好きな神社仏閣です。そのようなこともあり、ウチの工房やカフェにお越しの方々から「どこかお勧めの神社やお寺は…」と尋ねられた際、真っ先にこの妙本寺の名を挙げます。

境内には本堂や祖師堂、二天門の彫刻をはじめ見どころも多いのですが、参道から駐車場に至る緩い坂道に敷き詰められた石畳のしっとり感がなんとも良い雰囲気を醸し出しています。


境内には、今から90年近く前の1937(昭和12)年に開園した比企谷(ひきがやつ)幼稚園があります。開園に合わせて建てられた夢殿を模した木造園舎がとても印象的です。


この日、本妙寺を訪ねた際、もう一つの願いがありました。ウチでともに暮らしている黒猫のノワールの牙がかねてより歯槽膿漏との診断を下されており、抜歯していただく前に「無事祈願」の意味も含めて妙本寺に詣でました。

治療に向かう際、ノワールの年齢を数えてみたら、この4月で満13歳。今さらながら、かの大震災が発生した2011年3月の翌月にこの世に生を受けてきたことにはじめて気がつきました。

ともあれ、抜歯前の動物病院にて

右上顎部の牙が歯槽膿漏でグラグラなのだとか…。

朝の診療時に軽い全身麻酔を施し、午後に抜歯して夕方帰宅しましたが

前日から食事を控えられていたせいか、なんとなく痩せて帰ってきたような感じです。

後ろ姿も…

妙にくびれ感が漂っています。

ともあれ明日で抜歯手術後一週間、なんとか元気を取り戻してきているように感じます。

蛇足ながら、東日本大震災が発生した際、ウチの陶芸教室に毎週かよってきていた近所の小学生たちは今、二十歳に成長しています。そしてワタシはあと数年で古希を迎えてしまいます。あらためて、時の流れの速さを感じてしまいます。

そして、特段のネコ好きというワケでもないワタシがともに暮らす黒猫ノワールの体調をこれほどまでに気にするとは…。

大震災、そしてウチの黒猫ノワールが生まれた2011年からの日々をふりかえり、あらためて明日からの平安を願う今日この頃のワタシでもあります…。







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