鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

「昭和の男」が伝えてくれたエーゲ海の豊かな自然の恵み・・・

2014-04-29 18:45:36 | 日記
春のゴールデンウイーク前半は、まずは本日の祝日をもって小休止。陶芸教室を展開しているわが家は、当然のことながら工房をフルオープンで作陶にお越しのお客様をお迎えすることになります。ゴールデンウイーク期間中はいつもの週末以上の盛況…のハズなのですが、連休初日の4月26日・土曜日は午後からのお客様が突然のキャンセルということになり、「ならば、いざ、東京へ!」ということで、急遽、世田谷方面へ出かけてみました。

我が家から横浜横須賀道路と第三京浜を乗り継いでササッと小一時間。たどり着いた先はこちら。

東急田園都市線二子玉川駅に隣接するモダンなショッピングセンター「二子玉川ライズ」で開催された「OLIVE JAPAN 2014」というイベント会場です。「ガレリア」というスペースにてオリーブオイル等を扱う団体、企業さんが一堂に集ってマルシェ・スタイルでオリーブオイルや関連商品を展示販売していました。

この会場で、ワタシが真っ先に向かった先は「アンコンプレ」さんのブース。

同ブースのスタッフの一人として、ワタシの「心の友」でもある写真家・高岡雅之さんの姿も。「アンコンプレ」さんのロゴが入ったエプロンと斜めに被った帽子がとても良く似合っていました。そして写真左、こちらを向いている女性が「アンコンプレ」を主宰する阪倉さん。笑顔がとってもチャーミング…。ワタシにとって高岡さんは普段からカメラやクルマの話、そして時たま逗子の居酒屋さんで一献傾ける仲。そして、阪倉さんは折に触れてワタシの作品をお買い上げいただいたり、作品のヒントを提供してくれるとてもありがたい女性の一人です。

マルシェ会場には海外や国内のオリーブオイル等を扱う出展者の方々のテントが数十軒並んでいましたが、オリーブの木を効果的にディスプレイしていた「アンコンプレ」さんのブース作りは間違いなく「一等賞!」。

クレタ島シティアダフニ村の原産地保護呼称認定を受けた数量限定の最高級品という缶入りのオリーブオイルをはじめ、ガラスボトル入りのオリーブペーストやオイル漬けを前に、思わず何回もテイスティングの手が伸びてしまいます。


この日は夕刻から我が家で人と会う予定があっため、後ろ髪を引かれる思いで帰宅の途に。家に戻ってさっそく、「アンコンプレ」さんから買ってきたオリーブオイルのガラスボトルを手にしつつ、いただいてきたパンフレットに目を移すとそこには「昔ながらのオリーブの収穫風景をノスタルジックなイラストで表現したボトルのデザインも、二つのデザインアワードを受賞」との記述も見られます。

よく見ると、男女二名がオリーブを収穫する様子がかわいく描かれていました。食して、そして見た目も楽しいオリーブオイル!。我が家でもキッチンに必ずラインアップしておきたいアイテムのひとつになることは確実です。

それにつけても、あらためて振り返ってみても二子玉川界隈を訪ねたのは本当にひさしぶり…。たまに食事で立ち寄ることはあっても、イベントやショッピングで時間を過ごしたのはいったいいつ以来でしょうか。現在の二子玉川の様子をグーグルマップで見てみると

駅の周辺部には玉川高島屋だけでなく、ライズをはじめとする広大な商業施設の存在が確認できます。そしてさらにその周辺には、いかにも高級そうなマンションと思われる建物の名前がいくつも…。

今から40年近く前の昭和50年頃、在籍していた大学には玉川校舎という施設があり、週に1回は二子玉川界隈を徘徊していました。この地図は昭和57年に国土地理院から発行された東京西南部2万5000分の1地形図です。

駅の北側には玉川高島屋があり、駅の南側は「二子玉川園」という遊園地が確認できます。駅名もこの施設にちなんで当時は「二子玉川園」でした。そして駅から5分も歩けば住宅と畑が折り混ざった田園都市の典型的な風景が広がる街でもありました。バブル経済時代のはるか前の昭和50年台前半期、二子玉川園駅から北へ徒歩10分くらいの場所が50坪2000万円で売り出されていたことを妙に良く記憶しています。現在ではいったいどのくらいの高い価格になっているのでしょうか…。

ともあれ、「昭和の薫りを伝える男」高岡さんからは今回の格別な味わいのオリーブオイルをはじめ、ときめき感いっぱいの情報の数々を伝えてもらっています。そしてこのたびは、ワタシにとっては「ココロの街」のひとつでもある二子玉川界隈を振り返るきっっかけも与えてもらいました。

今、連休前半を振り返り、あらためまして、エーゲ海の豊かな自然の恵みをたっぷりと育んだオリーブオイル STORIES OF GREEK ORIGINSにワクワク。

そして、おりしも本日は「昭和の日」。昭和ははるか遠くに過ぎたとはいえ、昭和の薫りを伝える男たちへ「これからもよろしく!」お願いします…。

おっとっと…、「昭和の日」ということで大事なことを危うく忘れるところでした。本日4月29日は、ウチの同居人さんの愛ネコでもあり「恋人」と言ってもよいくらい可愛がっていた オルカ というネコの誕生日。オルカは平成18年夏、15歳であの世に逝くまでずっとウチの同居人さんにとっては「恋人」以上の存在だったようです。そのようなこともあり、今でも誕生日になるとオルカの写真の前に大好物だったショートケーキを添えてそっとお祝いしています。


蛇足ながら、同居人さんはワタシの誕生日には、まったくの「放置プレイ」を決め込んでなんにもしてくれません。その徹底ぶりからは「昭和のオンナ」の小気味良さが感じられます。そして、オルカのワタシに対する「お前はボクの言うことをきちんと聞けよ!」と言いたげな視線はまさに「昭和の男」の貫禄と風情が漂っていました。

あらためて、あらためて、「昭和の薫り」ここにもあり…。

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トンネル抜けて、つながる笑顔。「こころ」が結ぶさんぽ道・・・

2014-04-22 07:55:17 | 日記
今からちょうど100年前の大正3年4月20日、朝日新聞紙上で夏目漱石の小説「こころ」の連載が始まったとか。朝日新聞では 夏目漱石「こころ」100年ぶり連載 と題して、4月20日から「こころ」を同紙上にてあらためて連載しています。。


タイトルカットや日付は100年前の当時のものをそのまま再現され、旧仮名遣いと漢字にふられたルビが大正の雰囲気をそのまま伝えてくれているようでもあります。そしてこの4月20日の「こころ」掲載面には、ノーベル文学賞作家・大江健三郎氏が「こころ」にまつわる自らの思いとともに、漱石が生きた明治時代と大江氏が見てきた戦後を軸に「時代の精神」について語っています。憲法の重要な部分に関して国の偉い人たちが閣議決定や解釈変更で安易に認めてしまう方向に進めていることに対してとても疑問に思っていたワタシにとって、大江氏が紙上で語っていた「時代の精神」は非常に納得できるものでした。

漱石の「こころ」に関してワタシ自身、最後に読んだのは何歳の時かと振り返るとおそらくは今から30年以上前の20代半ばではないかと思われます。ふと思いたって本棚を見てみると

漱石の作品を収めた新潮文庫の中になぜか「こころ」と「行人」が2冊ずつあります。今更ながら、2冊ある訳がまったく思いあたりません。。さらによく見ると「吾輩は猫である」が見当たりません。この「猫」はワタシが小学6年生の時に父親から貰った旺文社文庫だったはず…と、とても強く記憶に残っている一冊でもあります。時間の許す時にじっくりと「猫」の行方を「捜索」しなければ…。ウチの黒猫・チー坊にも一緒に探してもらおうかな…?

それにつけても、本棚に並ぶ文庫本の背表紙についたカビとシミを見るにつけ、あらためて各作品を読んでいた頃をちょっぴりと「自分探し」…。そしてこれから毎朝、当分の間は朝日の「こころ」にて、作中の「私」と「先生」、そして「友人」をはじめとする人々とのかかわりを読み解きながら、ついでに自らも「こころの旅」に。

今回あらためて「こころ」という作品を読み始めて、「先生」と「私」が鎌倉の地で出会ったことから物語がスタートすることを思い出しました。そして折りしも100年ぶり連載第二話目の昨4月21日、ワタシが、そしてご近所のお店仲間のみんながとても大切に支え合って運営しているイベント「鎌倉佐助のさんぽ市」の今年最初のミーティングが開催されました。いささかこじつけのようでもありますが、「こころ」「鎌倉」「さんぽ市」がストンとタイミング良くシンクロしてくれて、などとひとり勝手に微笑んでみたり…。

昨4月21日夕刻、そぼ降る雨の中、「第5回 鎌倉佐助のさんぽ市」開催へ向けての打ち合わせの場となった「甘味所 こまめ」さんへ。



ご近所のお店仲間が集まって、開催日時や基本的な運営方法、目玉企画や実現不能な夢?まで、お酒も飲まずに2時間以上も熱烈に会議は続きます。

関係各方面への手配へ向けて、いろいろな作業の日程もざっくり決めて、早くもちょっぴり「臨戦態勢」、の雰囲気も…。

ともあれ、過去4回の「さんぽ市」のパンフレットをはじめ、いろいろな資料を手に熱く語りあって一回目のミーティングはジ・エンド。


昨年にも増してよりいっそう充実した「さんぽ市」へ向けて、成功への決め手はなにより「こころ」意気!。
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トンネル抜けて、扇ケ谷に「蛍雪」ゆかりの建物めぐり…。Part‐2

2014-04-10 20:50:51 | 日記
4月も半ばを迎えて桜前線はゆっくりと北上を続け、現在は北関東方面が見ごろとなっているようです。当地でも街を淡いピンク色に染めたソメイヨシノの花は、若草色の葉桜へと移ろい始めています。ほんのつかの間の桜の季節、古くからこちらに住む多くの方々が「あの木は見事なんだ。きっと、鎌倉で一番かもしれない…」と褒め称えていた しだれ桜が気になってしかたがありませんでした。

この街の旧き時代を知る方々の間で「伝説」のようにも語られ続けているその しだれ桜は、このちょっぴり謎めいた邸宅の敷地内にたたずんでいるとか。


この邸宅の内部を探訪させていただいた時の様子は、すでに先月半ばにこちらにアップしています。今回は続編として「鎌倉歴史文化交流センターA館、B館(仮称)」となる予定のこの建物裏側に控えるお庭探訪紀…。

ちなみに上記の写真は今から約1年半ほど前の平成24年秋に撮影した建物入り口付近の様子です。写真に写っている石造りの鳥居は、現在では撤去されて別の場所に設置されているとか。この敷地と建物が市に寄贈される際、宗教的な構築物はいろいろと問題がある…とかで敢えて撤去された、らしいのですね。理解できるような、できないような、法律や規制が絡むととかくに難しいこと至極です。

イギリスの建築家ノーマン・フォスターさんが「洞窟」をコンセプトにして設計しただけあって、内部は採光を控えめにして「落ち着きすぎる空間」が広がっていました。対象的に、ひとたび外に出ると、陽光が二倍、三倍、というか、二乗、三乗…もまぶしく感じられます。

現在の住居表示で「扇ガ谷(おおぎがやつ)」とよばれるこの地は鎌倉時代に庭園やその他の大規模な施設跡が発掘されており、俗に「無量寺跡」とも認識されているようです。鎌倉の街と相模湾を一望できるこの地は陽光燦々、北風も谷戸にちぎれてそよ風に…といった具合に心地よく感じられ、たしかに重要な施設を設けるには最適な環境のように思えます。

建物の北側、裏庭の丘からは東西に歴史文化交流センターA館、B館となる予定の二つの建物が見下ろせます。

この丘には、合槌稲荷というお稲荷さんがあったことを示す石碑が残されています。合槌稲荷も現在では別の地にて祭られているとか。

2棟ある建物に沿って広がる裏庭の東端から西方向を眺めた様子。

端正な建物と対面する崖、重量感のある石畳が織り成す光景は、さながら、名だたる美術館の一角を彷彿させる趣も感じられます。

庭の東の端では しだれ梅が満開でした。時は3月半ば。ともすればモノトーン気味の邸内において、薄紅色の桃の花がひときわ輝いて見えました。


そしてこの木こそが、今回のブログの冒頭でも言及した「鎌倉で一番」と評判のしだれ桜!なのですが、寄る年波のせいか、往年の雄姿は今いずこ…、という状況のようです。

ワタシの横でこの桜を見上げていたご婦人は、かつての見事な枝ぶりを説明しながら、「こんなに小さくなっちゃったのね…」と、小さなため息をひとつ。歳老いて多くの枝が選定されてしまったしだれ桜とはいえ、春を迎えて花をつけた枝が春風に揺れていたことでしょう、きっと…。

構内とお庭を巡り、あらためて屋上から望む遠景。ワタシが住む佐助の街は写真奥の里山の向こう、直線距離にして西南方向にわずか300mほどの至近の地に位置しています。

市の計画によれば、ここ数年のうちには歴史と文化の拠点としてリニューアルされる予定とか。現在のちょっぴり謎めいた風情の邸宅がどのようなカタチに姿を変えるのか。

また、この建物が位置する扇ヶ谷の落ち着いた佇まいがきちんと保たれるのか、おおいに気になります。

そしてなにより、しだれ桜よ 永遠に…。




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