鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

クロネコ・チー坊、朝陽を仰ぎて何思う・・。

2011-09-29 19:19:24 | ネコ
本日は、というかほぼ毎朝8時前あたりからただただ慌しく作品制作や陶芸教室の準備で1日が始まります。

今朝も午前10時からの陶芸教室へ向けて、工房の整理をひとしきり。その間にも、メールのチェックや電話応対、はたまたゴミ出し等にて、工房とリビングを行ったりきたりで、一人ドタバタしていました。

このように朝のとかく気ぜわしいひと時、ウチのクロネコ・チー坊が家の東側の緑に覆われた斜面をジーッと見続けていることに気がつきました。思い返してみると、朝8時頃からこの写真を撮った9時過ぎまで、チー坊はただただ静止画のように窓際に佇んでいたことになります。ほとんど、座禅僧のような趣さえあります。


思えば昨年の今頃、家の東側のこの崖にタヌキの両親と子ドモの4匹が出現。このタヌキ一家は毎日、来るべき冬に備えてか、崖に生える草木の根っこを食べあさっていました。その時、チー坊はこのタヌキ一家に多大なる関心を示し、日夜、タヌキの姿を見かけては「ヒャーヒャー」と鳴きながら楽しそうにしていました。

そういえばこのところ、チー坊はやたら窓辺から熱心に外の様子をチェックしていましたっけ。どうやら、チー坊はタヌキ一家とのご対面を心待ちしているようです・・。

そして、そして、私が陶芸教室を終えてメールをチェックしていると。ふと気がつけば、ただただジーッと無言で私の様子を見つめるチー坊がいます。目が合うと「ヒャー」と大きな声で鳴いてシッポをパタパタ。なんだか嬉しいみたい・・。


うーん、チー坊にとっては私もタヌキ一家も同列の「いいとも!」なのかも。トホホ・・。





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寒川神社から臨む富士は白雪

2011-09-27 22:11:57 | 日記
このところ急に秋めいてきて、朝晩はめっきり涼しく、というよりも寒さに震えを覚える今日このごろです。鎌倉・佐助あたりの里山もはや紅葉し始めて、うっすらと茶色に染まってきました・・、ではなく、さきの台風15号の暴風による塩害で里山の緑がクタクタにやられてしまいました。この秋の紅葉はどうなるのでしょうか・・。

さてさて、本日は早朝より海老名、厚木方面にて納品等を済ませ、帰り道の途中で寒川神社に寄ってお参りしてきました。

うっそうと茂った木々の間に続く参道。歩を進めていくうちに次第に身が引き締まっていく感じがします。


この門の奥に本殿があります。


This is the 本殿。

なんとものっぺりとした写真です、お恥ずかしい・・。

で、別の角度からもう一枚。


寒川神社へ来るようになったのは今から約13年前のこと。当時、東京・葛飾から神奈川に転居するにあたり、親友から「寒川神社は相模の国の一之宮で八方除の守護神だから、必ず御参りしてね」と言われたのがきっかけでした。あまりにも熱心に薦められるので足を運んでみて以来、季節が変わる毎にウチの奥さんとともに御参りしています。ちなみに本日は私一人の御参りでした。ゆえに、いつも以上にゆったり、のんびりと境内を歩くことができました。

こういう場合、神様と多少なりとも「会話」のできる人ならば、心の眼にビビッと来る「何か」を感知できるのでしょう。しかし私は、何も感じません。ただただ「今日は参拝の人が少ないな」、「厚木基地の飛行機の音がうるさいな」といった俗な感想しか浮かびません。このあたりが、陶芸においても「火の神様」と完璧に仲良くなりきれない私のいわゆる「神様世界」の「限界」でしょうか。いろいろ、とかくこの世は、そして神様の世界も難しい・・。

寒川神社からの帰途、右側の車窓にはちらちらと富士山が。信号待ちの際によく見ると、山頂付近に白い「初冠雪?」。七里ガ浜にて写真を撮ってみたのですが・・。薄ぼんやりと富士山が写っていますが、雪はまったくわかりません。


うーん、空気はガスっているし、持っていたのは古いデジカメだし・・。いいんです、いいんです。「心の眼」鍛えます・・。

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鎌倉 小町のふりむけば「えええっ」な人々・・

2011-09-24 21:11:09 | 日記
各地に大きな被害をもたらした台風15号も去り、昨日、今日と、ここ鎌倉は散策に訪れる人で賑わっていました。

お陰さまでウチの工房も、陶芸教室のお客さまがきていただき、本当にありがたい限りです。夕刻に陶芸教室が終了し、生徒さんに誘われて一緒に街へ夕食に。お目当てのお店に向かう途中、小町通りで人力車の車夫さんを見かけ、胸のネームカードをなに気なく見て「佐藤」という文字が眼に入りました。

その瞬間、「あ、この青年はウチの陶芸教室に来ている佐藤さんのご主人だ」と、ピーン!。果たして目の前の「佐藤青年」にやんわりと尋ねたところ、「正解」でした。かねてより、生徒さんである佐藤さんという若い女性から、ご主人が車夫さんをしていることや、底知れぬほどの日焼け具合を聞いていました・・。そんなこともあり、「佐藤青年」には是非会いたいと思い、車夫さんのネームカードには目を光らせていた経緯があったのです。

左が佐藤さん、右は同僚の古瀬さん。二人ともとてもはきはきした口調の好青年です。


「佐藤青年」との遭遇を果たした後、目的のお店のあるディープな雰囲気のある一角へ向かうと、なんとなく見覚えのある顔が・・。恐るおそる「あのう、家具の校倉の社長さん?」と尋ねると、向こうも「確かどこかでつい最近・・」。

やはりそうです。静岡市の森下木工所の森下社長さんでした。

この会社が展開している「家具屋 校倉」が9月22日から27日まで、小町通りの「ギャラリーやまご」で家具の展示会を開催。ゆえに、森下社長は夕方になると毎日、小町通りあたりで飲み歩いている、といったところでしょうか。

ウチの奥さんの後輩の友達・佐藤綱男青年が森下木工所の職人さんというつながりから、昨年以来、小町通りでの展示会に足を運んでいました。そんな縁でお酒好き?の社長さんとも多少なりとも面識があり、今夕のご対面となった次第です。それにしても社長さん、「思いははや焼き鳥!」といった感じで、本当に楽しそうでした。

今宵の小町界隈、ご近所のサーファーさん、コンビ二でちょくちょくお会いする素適な老紳士そのほか、見覚えのあるお顔があちこちに。あちらも私に気がついたようで、やんわり目と目で「笑顔」です。

顔見知りの遊人、地人に遭遇する確立きわめて高しこの界隈、どうやらアバンチュールはご法度です。もっとも、我、そのチャンスも、気力も、財力もありません・・。ただ、呑むばかり。
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台風一過の佐助ケ谷、風は秋色。

2011-09-22 20:37:33 | 日記
昨日の断章。

夕刻へ向けて時を追うごとに、窓に叩き付ける雨はその勢いを増すばかり。工房から外へ出る木戸を開けて槍のような雨を降り落とす灰色の空を見上げると、風にあおられた無数の木の葉がまるで天に昇るよう・・。

ご近所の家々の屋根の向こうに見える里山は、激しい風雨にあおられた木々が右に左に揺さぶられ、まるで里山まるごと「ウエーブ」・・。

台風15号 at 鎌倉。こんな感じでした。「木の葉が空を覆う・・。雨雲が屋根に当たりそうなくらい低い!」のです。いやはや、あらためてビックリ。

そして今朝

庭に堆積したおびただしい木の葉を掃除、また掃除。「ブンブン紅茶店」の奥さんのお話しでは、「台風による強い潮風で、草木の多くが塩害に遭ってしまいました」・・。なるほど、ウチの玄関先に植えてあるななかまどの木も今朝気がつくと、一夜にして葉っぱがすべて落ちていました。塩害、おそるべし・・。

木の葉掃除をしていたら・・。

うわっ、ウチの立派な看板も被害甚大です。明日は陶芸のかたわら、看板屋さんします。

お昼前、木の葉掃除もひと段落。台風一過の青空の下、真夏を思わせる入道雲がモクモクと。

今日一日、ここ佐助界隈では木の葉掃除にいそしむ人の姿をたくさん見かけました。街を愛しているみたい、そして勤勉なのかな。なにより、ちびっ子からお年寄りの方まで、みーんな元気です。見習わなくちゃ。

明後日の25日・日曜日は佐助川付近にて自治会の大掃除。
「ちびっ子に ムチ打たれつつ 草むしり」かな・・。

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忘れじの「BIG WAVE」

2011-09-21 20:54:07 | 日記
朝目覚めた時から、台風15号の影響でお天気は大荒れの予感。というか、荒れるに決まってました。スコールのような雨、そして街を歩く人々の足元を根こそぎなぎ倒すような強風を感じながら、本日も工房にて粘土と「会話」して1日が過ぎてゆきました。

夕方5時過ぎ。ふと気がつくと、裏山の森の木々の間から「ゴーゴー」と音を立てる強風、そして「こ、これこそが2000トンの雨・・」と言わんばかりの豪雨。

しばし、矢のように降り注ぐ雨を呆然と眺めた後、何かに導かれるように南方向を見上げると

吹き荒れる風となぐり雨の果て、灰色の雲間にうっすらと淡いピンクの光が・・。なんだか、希望の光という感じでした。

「もうすぐ、台風さんも去ってくれるかな・・」と思っていたところに、携帯が「ピピピッ」。おおお、高校時代からの友人・堀井勝美!。彼は作曲家として、そして自身でも「堀井勝美プロジェクト」というユニットで活動している、まさに知る人ぞ知るプロデューサーです。

その彼から、あの3月の大震災以来ひさしぶりの電話です。いきなり「マキロウ、台風は大丈夫か?、裏山の崖は崩れてないか?」。ウンウン、その声、ひさしぶりだね。気にかけてくれて嬉しいね。

堀井とはお互い、うーんと若い頃から音楽の話なんかをしたりして。たとえば、まださほどメジャーではなかった山下達郎さんのアルバムも、二人してお酒飲みながらあれこれとっかえひっかえ夜通し聴いてたっけ。

そう、こんなアルバムも。山下達郎「BiG WAVE」。 とても大きな波。今日の鎌倉の海もこんな感じ?

台風もどうやら去ったみたいだし、今宵、若かりし頃を思い出しながらこのレコードを聴いてみようかな。

連絡ありがと、堀井! 元気が出たよ!






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「鎌倉佐助のさんぽ市」の絵付け皿、本日「完成しました」

2011-09-19 20:50:29 | 鎌倉佐助のさんぽ市
本日9月19日は「敬老の日」。世の中は17日から3連休とあって、ここ鎌倉も観光の皆さんでいっぱいでした。この3日間、ウチの工房では自身の作品制作、ならびに陶芸教室の開講等でアッという間に過ぎていきました。

特に本日19日は、8月に催された「鎌倉佐助のさんぽ市」での「絵付け体験」のお皿がすべて焼き上がり、絵付けをされた皆さまにお知らせしました。ご近所のお客さま方は早速、作品をお引取りにお見えに。皆さまの笑顔でいっぱい、こちらまで嬉しくなりました。

この写真に写っている作品はほんの一部です。皆さま方の全作品を焼き上げるまで計4回の窯焚きをしました。

そして、そして、焼き物とは魔可不思議。各方面で話題を呼んだちびっ子・研ちゃん画伯の「蚊取り線香」は第1回目の窯焼きにて、深緑の色合いが表現されました。ちなみにこの作品は今のところ「非公開」。いつの日か「解禁」していただきたいな、と。ついで、2回目、3回目に焼いた大人の方の「蚊取り線香」は、なんとこげ茶色!こんな感じです・・。なんでだろ。時ならぬ猛暑のせい? そんなことはありませんね・・。

「茶色くなった蚊取り線香」の作者の方々に、「完成」と「茶色」を恐る恐るご報告すると、皆さまとても鷹揚でした。電話の向こうで明るく「オーガニックで高級な蚊取り線香になったのですね」と笑ってくれました。素敵です。


この2枚は、地元・佐助は小学2年のちびっ子画伯の作品。左はヒロちゃん画伯のお題は「開運」?。右は研ちゃん画伯のお題は「漢字が書きたい!」?。それにしても、二人とも神社仏閣に関係のあるテーマを見事に表現してくれました。ひょっとして、佐助のちびっ子は信心深い? よいことです。

絵付けのお皿がすべて焼きあがった満足感に浸りながら、本日の夕食は京都「なだ万」のお弁当。

昼間、横浜にお出かけしていた母が買ってきてくれました。「敬老の日」なのに、母からの貰い物。まだまだ修業が足りない、私です・・。
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いただきもの二題、なんとなくいい予感。

2011-09-17 21:21:16 | 日記
常日頃、ウチの工房にお越しのお客さまからお土産をいただいたり、また、いろいろな所に出向いた際にお菓子類をはじめさまざまなモノを頂戴する機会が多々あります。

その多くは日本各地の伝統的な和菓子やその地で評判の洋菓子で、いずれもウチの同居人とともに美味しくいただいています。ありがたいことです・・。

お菓子類以外にも愛車ルノー関連のレアグッズや、写真・クルマ・オーディオ関係の貴重な古い雑誌類などなど、少々マニアックなモノをいただくことも・・。

で、つい最近、立て続けにちょっと珍しい「健康モノ」をいただきました。


写真左の瓶は長野県製薬の「御岳百草丸」という胃と腸のお薬です。「おんたけひゃくそうがん」と読みます。普段からお付き合いのあるご近所の方からのいただきモノですが、体質的に腸が弱いウチのふたりにとってはまさに「救世主」となってくれそうな予感のする逸品です。幸いなことにウチのふたりは今のところ「快腸」でまだこのお薬のお世話になっていませんが、その効き目を実感すべく「不腸」な日々をひそかに心待ちしている私がいます。

直径約3ミリの真っ黒い粒、成人一回20粒。1日3回、食後に服用とのこと。どんな味なんだろ、苦いのかな。早く試してみたい・・。まったく本末転倒の私です。

そしてもうひとつ。健康モノというより美容モノですが写真中央と右、ウチの同居人が美容・健康関連のお仕事をしている関係でいただいてきた「ヴィ・ムーブ モイスチャーハンドクリーム」の昼用と夜用というアイテムです。

ウチの同居人は「陶芸家は手が命」と言いながら、このクリームの特徴をひとしきり語っていました。焼き物は水仕事が多いので、冬に限らず一年中指先がヒビ割れてしまいがちで、今ではすっかりハンドクリームオタクに化しております。このハンドクリーム、まだ昨晩一回の使用だけですが、これまでに感じたことのないくらい自然でしっとりとした「触感」で、しかも無臭というのがありがたい。

50グラム入りで昼用1,260円、夜用1,680円というお値段は、これまで私が試し続けてきたあまたあるクリームと比べるとやや高額ですが、その効果のほどは限りなく◎の予感です。



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小泉元総理と進次郎氏、私とコラボ?です・・

2011-09-12 08:30:53 | 陶芸
まずは、お茶の世界での「呈茶」の際に使う二客の抹茶碗の写真から・・。ちなみに「呈茶」とは実用日本語表現辞典によると、「茶を呈すること。客人にもてなしの茶を差し上げること」とのこと、だそうです。さらに私のきわめて浅い認識において「呈茶」とは、「かしこまった茶室ではなく、立礼席でいただくお茶。されど、凛とした心持を忘れずに・・」といったところでしょうか。

記銘:小泉純一郎元総理 茶碗制作:私です・・


記銘:小泉進次郎代議士 茶碗制作:私です・・


この二作は今年の春に私がろくろにて制作、その後、小泉元総理と進次郎氏が記銘した後にこの8月半ばに焼き上がり、9月初旬に茶道裏千家横須賀支部・ゆうなぎの会にお納めしました。この二作を私の工房にてお預かりさせていただいた間、陶芸教室の生徒さんや体験陶芸に訪れた方々に紹介すると一様に「うわ、すごい」、「ここで書いたの?」、「さわってもいいですか?」、「小泉さんの円相、枯れてていい感じ」、「進次郎さん、書が上手!」・・、それはもう、大変な反応でした。

で、続いてこの二作を見た方々は「小泉さんとはどのようなご関係で?」となります、当然の疑問です。残念ながら、私と小泉さんとの間にはドラマチックなお付き合いはありません。ただし、私の作品に記銘いただいた陰にはさまざまな方々とのご縁がありました。

今からちょうど5年前の平成18年9月、書家の山本翠章氏と横須賀にてコラボ展を開催した際に、山本氏の友人で地元横須賀の神奈川県議会議員・牧島功先生と茶道裏千家横須賀支部・村瀬宗園幹事長(当時)と出会いました。その後、村瀬さん、牧島先生らのご尽力により、裏千家横須賀支部に新たに茶道を基に横須賀を興す願いをこめた「ゆうなぎの会」が発足。私も「ゆうなぎの会」誕生当初よりお仲間に加えていただいき、さまざまな催しに参加させてもらっています。

そして今年、かの大震災により「ゆうなぎの会」がかかわる「茶会」は変更につぐ変更の末、9月11日・横須賀での「観月茶会」に決定。私も村瀬さんからかねてより「茶会の際に呈茶で使用する数茶碗30客、制作お願い」。「数茶碗にはゆうなぎの会のお歴々に記銘していただたく予定なので準備お願いします」とのオーダーをいただいていましたので、制作により一層拍車がかかりました。

さらにさらに・・。村瀬さんは私より一回り以上お歳上のご婦人ですが、あくまでも前向き。そして常にみんなが喜ぶことを第一にお考えです。「せっかくのハレの会ですから」ということで、地元・横須賀で古くからお付き合いのある元総理のもとへ茶碗への記銘のお願いをしてこのたびの抹茶碗二客誕生となった次第です。

「観月茶会」となった一昨日。私は朝から陶芸教室、落語鑑賞を経て、「茶会」の時刻は打ち合わせと重なり、お茶碗のお披露目には居合わせることができませんでした。

小泉元総理と進次郎氏の記銘入りの抹茶碗は、私にとってはまさに「家宝」ものです。村瀬さんは「皆さんに喜んでいただくために、総理と進次郎さんが記したお茶碗もお手前にお使いしたいと思います」と言っていましたが・・。常日頃、「焼き物は使ってこそ生きる」と言っている私ですが、今回、元総理と進次郎氏記銘の二作だけは「大事に飾っておいてほしい」ような、「使ってほしい」ような、複雑な気持ちです。

もう、ウチの工房にてこのような「親子」の姿は見られません。ちょっとさびしい・・。


うーん、この二客。私も欲しい・・。














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立川志らく独演会、シネマの如く輝いて

2011-09-11 19:25:49 | 日記
本日9月11日はかのニューヨークのテロ事件から10年、そしてこの春の東日本大震災から半年の節目の日でした。この日の朝を迎え、真っ先にあらためて鎮魂の思いを寄せた次第です。

朝からテレビ各局が放映するNY911や大震災の特集を横目で見ながら、本日の陶芸教室の準備を経て10時から教室がオープン。本日のメンバーは、私の高校時代の女友達テッカさんとその職場仲間の方々です。


そして本日の午後からはこのご婦人方とともに総勢7名、鎌倉駅の向こう側のホールでの落語家「立川志らく独演会」へ向かいました。真夏を思わせる日差しをものともせず、皆さん早足で会場へ。いや、その前に小町通りの「なると屋」さんにて腹拵え。数多くの野菜を使った1575円の定食がとってもいい感じでした。店内が混んでいたので、写真撮影は自己規制をかけました・・。


そして会場へ到着。辺りは「志らく」モード全開です!?。


ここまでの流れを時系列的にたどれば、まことに淡々と7月始めに独演会前売り券7枚をキープ、本日の陶芸教室終了後に独演会・・、ということなのですが、実は昨夕になって想定外の出来事が・・。

昨日の夕方、改めて7枚あるはずの前売り券を整理してみると、どうしても6枚しかありません。今朝から慌てていろいろなところに問い合わせ、事務局のご協力もあってなんとか残りの1枚を手にするという一幕もありました。お世話になった皆様がた、本当にありがとうございました。

さて、本日の演目は「死神」と「中村仲蔵」の二題。「シネマ落語」という新境地を確立しつつある志らく師匠はこの二題の背景をわかりやすく解説しながらの熱演です。その、押さえすぎず、熱すぎず、ちょうどいい塩梅の仕草を交えた高座はまさに「志らくなシネマワールド、ここにあり」という感じです。志らく氏の一挙手一投足、主催者側からの「撮影禁止」とのお達しを破って激写してしまいたいとの衝動に駆られることしきりでした。

一緒に鑑賞していた陶芸教室のご婦人が「志らくさんのお師匠さんはあの立川談志さんなの?。志らくさん、その仕草と語り口がなんだか談志さんに似てるみたい」との感想を述べていました。なかなか鋭い。高座で演じる志らく氏を見ながら実は私も「若い頃の談志みたいだなぁ」と感じ入っていたところでした。

独演会終了後、会場にて志らく師匠の著書「落語進化論」を購入。


サインなんぞもいただいて。


志らく氏はラジオの文化放送・朝の「くにまるジャパン」毎月第4金曜日に出演、ならびに私が同番組のヘビーリスナーというつながりから、ツーショットの撮影を快くお許しいただき、パシャ!。

うーん、惜しくも少々手振れしています。でも、それはそれでにしえの8ミリシネマのようで、お後がよろしいようで・・。


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家に届いた本を読む前に思った「あの日以来」

2011-09-10 23:23:39 | 日記
今日は午前に陶芸予定の生徒さんから「風邪のため、行けそうにありませ」との連絡が入り、急遽、午前の陶芸教室は「休講」になりました。かなりのガラガラ声、大丈夫?と心配になるほどでした。お大事に。午後は教室の予定を入れていませんでした。その結果・・。

「制作モード」が全開となり、お昼ごはんもそこそこに、大好きなおやつタイムもかなぐり捨てて午後5時頃まで陶芸です。あぁ、ちょっと疲れました。

作業終了を見計らっていたかのように、これまた朝からパソコンと睨めっこしながら黙々とお仕事していた妻が「ネコのご飯を買ってから、海を見て・・」とモグモグ言ってます。海はともかく、ネコご飯は買わなきゃね、ということで、いざ買い物に。

ネコご飯を調達後、海の方へ向かうと、大仏トンネルの手前から時ならぬ大渋滞。ノロノロの車中、助手席の妻は「これこそ鎌倉っぽくていい感じ」。まったく・・。

で、渋滞の原因はコレ。

大仏さまの横の県道を提灯みこしがワッショイしていました。このお祭りやおみこしの所以はわかりませんが、9月のこの時期、そして夕暮れとあって、もの悲しい感じがことさら心に響きます。偶然とはいえ、ウチのメガーヌのダッシュボードが映り込んでしまったこの写真がなんとも現代アートな感じ、でしょ・・。

この後、夕闇に暮れ行く鎌倉の海を巡ってから、発泡酒のあるわが家に帰宅。

家に入り際、なに気なく郵便受けをチェックすると、さるところから書籍小包が・・。「ひょっとして・・」と思いながら開封すると、「あらら、やっぱり」。

大好きな池澤夏樹さんの近著です。じつは今朝、新聞にこの本の広告が掲載されていて、「読みたいなあ」と思っていたところでした。あまりのタイミングにびっくりです。お送りいただき、ありがとうございます。明日からしっかりと読ませていただきます。

この書のあとがきを見ると、最後に 二〇一一年八月十一日 遠野 と記されていました。この書を書き終えたのが、大都会の東京でも、札幌でも、仙台でもなく、柳田国男が日本民俗学の名著といわれる「遠野物語」を書きしたためた遠野であることにも、氏にとって何かの意味があるような気が・・。

時あたかも、明日で震災から6ヶ月。私にも、福島にいまだ連絡の取れない友人一家がいます。元気でいてほしい。ただ祈るばかりです。


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