鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

春の息吹きに誘われて、古典落語と現代のアートに触れた週末の夜…

2018-02-19 21:45:20 | 日記

2月初旬のワタシの誕生日を過ぎた頃から、まれにみる「厳冬」もようやく峠を超えた感があります。先の週末、北国からやって来た友人とともに葉山御用邸近くの「山口縫春記念館」を訪れた折、記念館前庭のなだらかな斜面に佇む梅も間もなく満開を迎えようとしていました。いよいよ、春本番…。


市内でも、ワタシの誕生日の頃から梅の花がそろそろ目立ち始め、バレンタインを迎えると開花がさらに進んできます。梅花の香りに誘われながらも、「花より団子」という言葉があるようにバレンタインともなると「花よりチョコ」という気分もちょっぴり芽生えます…。おかげさまで今年もいろいろな方々から「ご厚意の茶色いカタチ」をいただけました。ありがとうございます…。

バレンタインの夕刻からは、意気揚々と街に繰り出して…。良くしたもので、ワタシにも顔見知りのご婦人方から声がかかり、お馴染みのあのお店「六弥太」さんへ。

グラスを重ねるに連れ「いやはや、今宵はウチの同居人さんが横にいないので皆さんとノビノビ飲めます」などと言おうものなら、「あー、マキロウさん。ミツコさんに告げ口しちゃいますよ~」と、スマホをパシパシ!。

お店の大将からは生ビールのプレゼントを供されながら、「お互い、耐えましょう」と答えにならない妙な励ましをいただく一幕も。

閑話休題。

先の終末ではなくて、週末のこと。生業たる陶芸教室の予約状況が比較的余裕があったこともあり、市内で演じらた公演の数々を楽しむ機会に恵まれました。

まずは金曜日の夕刻…。大船にある鎌倉芸術館小ホールのシートに身を置き、

テキスタイル・デザイナー片桐由美子さんが「これから始まる舞台に想いを馳せて」との願いを込めて制作した緞帳に見入りつつ 静々と、そして華やかに

昨秋以来、待ちに待った 鎌倉はなし会「立川志らく独演会」の開幕を迎えます。

いただいたパンフレットによれば、この日のトリの演目は「火焔太鼓」の予定だったようですが、志らく師匠は お楽しみ の演目として早々に「火焔太鼓」を披露し、トリには木彫り師として二代目の悲哀をテーマにした「浜野炬随(はまののりゆき)」を熱演してくれました。志らく師匠の「浜野矩随」を観るのは2回目だったのですが、前回にも増してエッジの効いた筋立てに息をつく暇もないほど笑い、そして引き込まれ続けたことは言うまでもありません。

ふり返ってみると、かねてから注目していた志らく師匠の鎌倉市内での独演会に詣でるようになったきっかけは、さまざまなご縁から始まる「鎌倉はなし会」からのお誘いによるものでした。

蛇足ながら、今を去ること約6年前の冬、鎌倉はなし会主宰「立川志らく独演会」でのワンシーン。

志らく師匠とワタシ、そして、ワタシとともに写る「鎌倉はなし会」席亭・髭が良く似合う秋山真志さんも、みんな若かった…。

あれから6年の時を経て、ワタシのまわりには「志らく命」のご婦人が確実に増殖しつつあります。明日もまた、志らく師匠が出演するTBS系ワイドショー「ひるおび」が楽しみな 梅の夜。

志らく師匠独演会の興奮も冷めやらぬ昨夕、次にはこちらの公演へ。

当公演を主宰する秀島実さんは鎌倉市内在住で、現代わが国コンテンポラリーダンス界を代表する存在の方です。そして共演者の一人でもある早紀ちゃんはウチの二人にとっては娘世代にあたる仲の良いお友達。

この秀島さんと早紀ちゃん、そしてウチの二人の間には、なんとも不思議な縁があるのです。そのなんとも深い えにしについてはこちらのブログから…。

このたびの公演は、市内にある小学校のホールにて開催されました。ステージはこのようなカタチで。


当然のことながら、ステージでの公演の撮影は、惜しいことに少々はばかられます…。いつもいつも秀島さんのステージでの身のこなしは、かのチャップリンの可笑しくも物悲しさも漂わせる姿に通ずるものがあります。少々難解とも思えるストーリーに知らず知らずのうちに引き込まれ、ふと気がつくと感激の涙が頬を伝わってきます。あのなんとも妙な感動こそが、他の芸術では味わうことのできない「秀島ワールド」なのでしょうか…。

公演を終えメイクを落とす前の秀島さんと、スッピンに戻った早紀ちゃんとともに、公演の感想を語り合う楽しいひととき。


家路につく途中、今回の公演「天井の園庭」での秀島一座のステージを反芻しながら、ワタシにとってはさまざまな えにし に導かれた「天井の縁庭」なのだ、と一人納得の一夜なのでした…。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんとも微妙な冬の五輪開幕の陰で、ワタシもチョピット「アニバーサリー」

2018-02-09 22:03:27 | 日記


またまた「厳冬」のお話しで恐縮ですが、ホントに毎日毎日寒い日が続きます。本日はワタシの60数回目の誕生日なのですが朝6時前の気温は愛車メガーヌの外気温時計によれば「-4℃」。でも、厳しい寒さに慣れてきているのか、「なんとなく、暖かいかな」と感じないでも…。2日前の7日の朝、メガーヌの外気温計にはこのような驚きの数字が。

玄関から足を踏み出した瞬間、「お~、この冬一番の寒さかな」と直感出来るほどの冷気に包まれていました。それでも、天気予報によると「この冬の寒さは明日からの3連休まで」ということなのだとか。また一歩ずつ、春が近づいてきています。

毎年「春近し」というこの時期になると、う~んと昔に勤めていた「週刊ベースボール」発行のプロ野球選手写真名鑑号」の制作当時の、とても地味で細かい作業の日々を思い出します。おりしも誕生日の本日、今年もこの「写真名鑑号」が家に届きました。

今年もあと一ヵ月半もすると、待ちに待ったプロ野球の開幕です。とはいっても、野球中継はほとんど観ることは無く、気分だけが「し烈なペナントレース」しているだけなのですが…。

この「写真名鑑号」の表紙を良く見ると、今年は「週刊ベースボール」創刊60周年の記念すべき年のようです。思えば前週の同誌には今から60年前の昭和33年4月に発行された「創刊号」の表紙が「再現」されていましたっけ。

写真左側の選手は立教大学から巨人に入団して後に歴史に残るプレーヤーとなったかの長嶋茂雄さん。そして右側の選手は後に監督として西武とヤクルトを日本一に導いた広岡達郎さん。当時はまだ、プロ野球よりも東京六大学野球のほうが人気があった時代だったようです。この年、東京六大学野球のヒーローだった長嶋さんが巨人に入団したことをきっかけに日本のプロ野球は隆盛を極めて今日に至っていくのでした、ジャンジャン…。

そして「創刊号」ついでに、もう一題。

今から30年以上も前の昭和60年、ワタシが「週刊ベースボール」記者として勤務していたベースボール・マガジン社は創社40年の節目を迎えました。その記念として、「週刊ベースボール」の前身である「ベースボールマガジン創刊号」復刻版が制作され、関係各位、ならびに社員に贈呈されたのでした。

あらためてこの復刻版を見ると、今から約70年ほど前の昭和21年4月20日発行、価格は¥2、50。すなわち当時のレート2円50銭で売られていたことが分かります。

つい先日、部屋の本棚を整理していた折、偶然に発掘に至り、あらためて30数年前の連日連夜、取材と編集作業に明け暮れていた当時を思い出しつつ、「今日の『手仕事』もあの頃の地味な作業の積み重ねから始まっていたのかな…」といくばくかの感傷にも浸る62回目の誕生日。

おりしも本日、お隣の国では冬のオリンピックが開幕を迎えました。されど北緯38度線を越えたかの国の話題ばかりが先行する摩訶不思議な雰囲気がなんとも腑に落ちない限りでもあります。


そんな気分を察したのか、ウチの同居人さんがなんと「お誕生日ですね。夕飯をプレゼントしましょう」と言ってくれました。このようなことは今だかつて一度も無かった「快挙」です。そのお言葉に従って、お馴染みのお店「六弥太」さんへ。お店の大将に導かれるままテーブルに向かうと、「まずはささやかに」と、お店お勧めの和風ナッツのプレゼント。


お店自慢の「鎌倉バーグ」のソースとして、今宵はポン酢醤油ベースの 鬼おろしソース をチョイス。

「鎌倉バーグ」に添えられた 鬼おろしソース はいつもにも増してさわやかな風味を醸し出していました。

去る年を思い起こしつ誕生日 SNSの便り 身に沁む…




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「鬼は外!」、豆まきながら春誘いつつ「浪花節だよ 洞門は」の濃密な一夜

2018-02-03 21:04:36 | 日記


あらためて今年に入って以来したためてきたワタシの拙いブログを振り返ってみたところ、「底冷え…」「大雪」「氷がガチガチ!」といった感じで、なんともかんとも「お寒い」限りの話題に終始してきているような感があります。そして昨2月2日も朝から「また雪…」。わが家の窓から見える佐助の街もうっすらと雪景色。


幸いなことに午前中には雪も止み「ああ、良かった」とほっと胸を撫でおろし、午後2時過ぎに「これで安心して、華のお江戸にお出かけだぃ!」と勢いつけて横須賀線で東京に向かいます。

銀座にある煙草の煙モンモンの喫茶店で打合せを済ませ、夕闇に包まれた築地のCOMMUNICATIOI GALLARY「ふげん社」で開催中の「関戸勇写真展 視線の先」の展観へ。

かねてよりワタシはいろいろな方々のご縁から北鎌倉史跡研究会(北鎌倉緑の洞門を守る会)に所属し、北鎌倉の自然や文化に親しみながら街の象徴でもある緑の洞門の保存運動にも微力ながら関わってきています。同会の中にあって、関戸さんはワタシにとってまさに兄貴分のようなとても頼りになる存在です。

この日は写真展の「クロージング・パーティー」ということで、関戸さんも自らの写真への想いを控えめに、そして次第に熱く語りかけてくれます。

その挨拶の中でも「どんなカメラでも、人の心に訴える写真を撮ることは出来ます。今回展示した作品の中にはスマホで撮ったのもあります」という言葉が印象に残っています…。

関戸さんの挨拶を経て、写真展クロ―ジング・パーティーは、北鎌倉史跡研究会・共同代表の鈴木一道さんと出口茂さんが、関戸さんへのエールと緑の洞門保存に向けて様々な提言を披瀝。

経営学者でもある鈴木代表は、写真家・関戸さんをなんともイイ感じにこき降ろしつつ持ち上げながら、緑の洞門開削計画が暗躍し始めた頃から現時点までの経緯を時系列的に解説、ならびに問題提起を穏やかな口調で。


大手進学塾のカリスマ数学講師にして、ワタシの飲み友達でもある出口代表は、五島列島や隠岐、そして房総をはじめ全国に残る洞門への訪問紀行を熱く語りながら、あらためて北鎌倉緑の洞門の価値を穏やかに解説。

カリスマ数学講師から、洞門オーソリティに転身の予感も!?

この日の関戸さんの写真展クロージング・パーティーには、写真展開催記念特別バージョンとして若手浪曲師・東家一太郎さんの浪曲会が催されました。数年前、関戸さんとそのお仲間の写真展に東家一太郎さんが訪れたことから、一太郎さんが北鎌倉の洞門にまつわる浪曲「浪花節だよ 洞門は」を作り上げ、これまで北鎌倉や鎌倉、そしてこの築地のふげん社等、数次にわたり公演してくれています。そして、このたびも、北鎌倉からの聴衆をはじめ、ふげん社は万来の人で超満員。


一太郎さんは、自らと北鎌倉を繋いでくれた写真家・関戸さんが撮った洞門の写真やポストカードを紹介しながら

徐々にムードをたかめつつ、

いよいよ、ともに鎌倉にまつわる「浪花節だよ 洞門は」と古典「恩讐藤戸渡り」を大熱演!。これまでにも「浪花節だよ 洞門は」を観てきた人達からは異口同音に「今回は洞門問題の状況の変化や緑溢れる北鎌倉の街の風情をふんだんに織り込み、とってもバージョンアップしてる!」と驚嘆の声が上がっていました。ワタシもまったく「同感!」。


蛇足ながら、一太郎さんの傍らで曲師を務める妻の美(みつ)さんの合いの手と三味線のちょっとタメを効かせた響きがこれまたとっても良いのです。その昔、まだ二人が結婚する前、一太郎さんが「別離」を覚悟して「浪曲師を目指す」と打ち明けた時、美さんは「では、私は三味線を習ってアナタの脇で曲師として一緒に舞台に…」と、支える決意を即座に告げてくれたのだとか。このハナシだけでも、一編の浪曲になりそうです…。

今回、大幅にバージョンアップした「浪花節だよ 洞門は」は、来たる3月18日(日)の昼日中、横浜・JR桜木町駅から徒歩数分の横浜にぎわい座でも観ることが出来ます。詳細は以下のとおり。


お時間のある方はもちろん、お忙しい方も時間をこじ開けて是非ご参集のほどを。けっして損はさせません! と思います…。

まれにみる厳冬のもと、ふと気がつくとお隣の家の梅の古木が花開き始めています


浪花節の夜を越えて 節分祭の梅の花 白き花弁に透ける春…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする