鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

年度末のひと時、桜もクルマもクラシックな趣気に包まれて…

2022-03-31 20:55:19 | 日記

街は桜、さくら、サクラで溢れています。とはいうものの私はといえばここ数日、どういうわけか用事やお客様が続き、お花見のカケラもありません。ただただ、先週のイベントの名残りのお花を眺めることで精いっぱい…。


ふと気がつくと、玄関先の紅葉も若葉が一斉に萌え始めていました。

例年、もう少し葉が育ったところで枝を軽く剪定します。間引く枝の選び方はまったくの自己流ですが、この選定こそがこの後の枝ぶりの良し悪しを決定するようにも感じます。はたして今年はどんな姿の紅葉の木になるか…。

例年、わが家の窓から望む佐助の里山の山桜が盛りを過ぎた頃に、街のソメイヨシノが花開いて満開へ…と言う流れです。現在のところ、山桜は良い感じ


では、街のソメイヨシノはこれから…と思っていたら、鶴岡八幡宮の段葛はすでに満開! 

お昼のラジオ交通情報でも「鶴岡八幡宮の桜見物で若宮大路は大渋滞」と報じています。

佐助のお店仲間さんとの会話でも「3月のお彼岸の3連休後から人出が増えて、この週末は街中が人でいっぱいに?」との観測で一致しています。「いろいろ予定も詰まっているし、今年の桜は段葛だけでいいや…」と思っていたところ、佐助のお店仲間「ブンブン紅茶店」のマスター・小木曽さんから「今からお宅の前にクルマで行きま~す」と嬉しいお誘いが。

そして、小木曽さんの愛車がこちら。

英国のMG TDミゼット 1951年型、エンジンの排気量は1250CCと控えめですが、クラシックカー特有の重厚な走りを体感できます。

ということで、さっそく佐助から進路を西に取って、常盤、鎌倉山をぐるっと巡る、小木曽さんとの定番ドライブコースを一巡り。鎌倉山の桜はまさに満開。

しかしながら、沿道の桜はいずれも老境の域に入り、往時の勢いたっぷりの花模様ではなく静かに咲き誇っている感じが伝わってきます。

鎌倉山ロータリーにたどり着くと、そこは桜のトンネルの最終ゴール。


今から70年ほど前に製作されたMGに乗って、桜連なる街並みを駆け抜けるこの一瞬こそ、まさに「オトナのお花見」。

時あたかも、明日から4月。新年度の始まりに向けて、この春もご近所のお店仲間さんに「いい夢 見させてもらいました」。

あらためまして、感謝、感謝の春の宵…。




コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜の花開く週末、イタリア仕込みの彫金を展観いたします。ぜひ、お越しくださいませ     

2022-03-23 21:23:51 | 日記
つい先ごろ、かの「まん延防止等重点措置」が全国的に解除されました。おりしもまもなく春本番、この週末あたりから全国各地は「桜咲く…」との報で賑わうことでしょう。ここ鎌倉もNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の波及効果もあってか、連日、コロナ前を彷彿とさせる人出で活況を呈しているようです。かの流行り病いに対しては毅然とした対処法を講じながら、来るべき春爛漫のひと時を思う存分楽しみたいと思う今日この頃…。

ウチの工房&カフェでもこの週末、25日の金曜日から27日の日曜日までの3日間にわたり、昨年11月にも開催して好評を博したmanamiさんのジュエリー展示会 「3rd Exhibition 」を展観いたします。




今回のテーマは vivace - はるのいぶき…。まさに今の季節にぴったりの、きっちりとしたスキルに裏打ちされた爽やかにしてクラシカルなテイストもある彫金の逸品の数々を展観いたします。





会期中においては暖かな陽気な日々が続く…との予報が出ています。お時間ありましたら、是非とも私どもの工房&カフェにお越しくださいませ。イタリアの名だたる工房で学んだ彫金の技はもちろんのことながら、鎌倉の春とともにお集まりいただいた方々との楽しい語らいの時間も思う存分お楽しみいただけるものと思っています。

よろしくお願いいたします。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春本番の三連休、世界を覆う不安の影の向こうに桜と甲子に躍る心。これで良いのか…

2022-03-19 22:13:48 | 日記
時あたかも、春のお彼岸の3連休真っ只中。本日は朝から郊外へ向かう各高速道路は渋滞を示すオレンジや赤いラインが長々と。


かたや、わが家の連休事情はといえば、これまたいつものように陶芸&控えめにカフェ営業中…。まことに困ったものでというか、はたまた、今年もお客様が足を運んでいただいて感謝の至りというべきか、なんとも嬉しく そしてちょっぴり取り残された感も漂うなんとも微妙な3連休、といったところでしょうか。

ひるがえって広く世の中に目を向けてみると、昨日・18日の朝日新聞第1面が世界と国内の状況をじつに的確に伝えてくれていたように感じます。

かの東北地方での大きな地震のその後から始まって、現在の世界の中で最も深刻とも思われるロシアとウクライナの状況をきっちりと、そしてこの先の世界の経済の行方を大きく左右するであろうアメリカのゼロ金利解除の話題をメインに実にバランス良い? 構成となっています。さらには「愛子さま、成年後初の記者会見」もさりげなく伝え、その上、「春はセンバツから」との想いが強い野球ファンにも「春の甲子園 開幕へ」も網羅する心配りが憎い…限り。

春の「センバツ高校野球」に限っていえば、雨のために1日遅れで本日から開幕を迎え、困ったことに工房での作陶の際にもついついテレビの高校野球中継に目が向いてしまいます。開会式後や試合と試合の合間、実況を伝えるNHKテレビでは「センバツ球春譜」というプレイバック企画にて、今年で94回目を迎えた大会をふり返っています。

今から90余年前にセンバツ大会は始まったのですが、当時は旧制学校制度だったために大会名は「高校野球」ではなく「全国選抜中等学校野球大会」でした。

この「センバツ球春譜」が伝える映像の中では、我が国の野球史上の名選手たる川上哲治氏、別所毅氏をはじめ、かの世界のホームラン王である王貞治氏の球児時代の活躍ぶりをふり返ってくれます。

私も高校野球を見始めてからなんと60年にもなります。この「センバツ球春譜」を観ながら、中島みゆきさんの「♪そんな時代もあ~たよね」で始まる「時代」という楽曲を思い浮かべつつ、画面はいきなり1989年のセンバツ決勝戦・東邦(愛知)VS上宮(大阪)の強豪私立校決戦へ。延長10回裏、1点をリードした上宮が勝利まであと一人までというところから同点に追いつかれ、最後は中継プレーの送球ミスから悪夢の逆転サヨナラ負けで優勝を逃した、高校野球ファンにとっては今も語り草の一戦です。ちなみにこの時の上宮の主将・主軸打者はその後に巨人で「曲せ者」と称された元木大介選手です。

私はこの試合を甲子園のネット裏の記者席で観ていました。上宮の送球とカバーのダブルミスによって白球が外野の右中間を転々とする間に東邦のランナーがサヨナラ勝ちのホームを踏んだ瞬間、球場内には「え~っ…」というタメ息とも驚きともつかぬ何とも不思議な響きに包まれたことを昨日のことのようにはっきりと覚えています。そして上宮が敗れた瞬間、マウンド脇に崩れる1年生エース・宮田の姿も忘れることが出来ません。

記者席では「あ~っ、こんなカタチの結末かぁ。この試合、もう少し長くじっくり観ていたかったなぁ。多分、良い原稿が書けそうな予感があったのに…」と、こちらもタメ息とともに誰も想像できなかった意外な幕切れに戸惑う表情がそこかしこにありました。

このたび始まった94回目のセンバツ大会のNHK中継において、この「センバツ球春譜」では、きっと、私と同年代の「怪物・江川」をはじめ、「東海大相模のアイドル原辰徳」「前橋高 松本投手の甲子園史上唯一の完全試合」がレビューされることでしょう。大会の行方とともに「センバツ球春譜」にも目が離せそうにもありません。作陶の妨げになることは間違いありません。まこと、甲子園の高校野球中継は罪作りです…。

そして、作陶に向けての妨げとなるであろうもうひとつが春の桜の花吹雪。そろそろ東京や当地でもソメイヨシノの開花がカウントダウンの時を迎えています。今現在の若宮大路のソメイヨシノの状況は、今か今かと開花の時を待つかの如くその枝々がほんのり桜色に染まってきています。

おそらく明日あたりにも「開花」…?

このソメイヨシノの開花と満開へ向けての時の移ろいに時を合わせるが如く、ウチの工房&カフェでも3月最終週に女性の心をそっとくすぐるイベントをご用意しています。

詳しくは来週はじめの当ブログにて…
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな時こそ、あらためてつくづく思う「平和なひと時がいかに大事か…」

2022-03-10 20:05:45 | 日記
先月下旬、かねてから危惧されていたロシアのウクライナ侵攻が現実のものとなり、以来約2週間が経ちました。

当該国であるロシアとウクライナはもちろん、西欧を中心にアメリカその他各国から、ウクライナ主要都市が壊滅的な攻撃を受けて廃墟目前に変わり果てた映像等が配信されています。この先も事態の行き先はほとんど見えない状況です。

今から約30年ほど前の1991年に勃発したユーゴスラビア内戦の折、「一応は民主主義のようなものが確立していると思っていたヨーロッパでも大きな紛争は起こってしまうのか…」と愕然とした記憶があるのですが、今回のロシアの暴挙は私にとってまさに「言葉にならない…」くらいの大ショック。ゆえに、ロシアがウクライナに攻め入った2月24日以来、柄にもなく心理的に少々落ち着かず何となくカラダも不調をきたしてしまっています。

その上で、テレビやインターネットを通して伝わってくるキエフを始めとする攻撃を受けたウクライナ各都市の影像を見るにつけ、日本もかつて80年近く前の太平洋戦争時にアメリカから空襲を受けたという事実が呼び起こされてきました。

おりしも本日3月10日という日は、昭和20年の大空襲で東京の下町が灰塵と化したなんとも悲しい一日です。私が生まれたのは終戦から約10年後。子供の頃には、戦争を体験した大人達から戦地や空襲の苦しい思い出を折に触れて聞かされながら育ってきました。この東京大空襲に関しても、当時女学生だった母は東京・向島にほど近い川沿いの街に住み、大空襲の時には自宅まで1キロほどのところまで空襲に伴う大火災が近づいて来てとても怖い思いをしたそうです。そして朝を迎えて多くの友人や知り合いの大人達の多くが犠牲に…。そのようなこともあり、今も母は3月10日をむかえるたびに「ほんとにひどい一夜だった」と目を細めてふり返っています。

そして明日は、今から11年前に東日本大震災が起こった日。あの日もたしか、金曜日でした。東北地方を中心に大きな被害を受けた方々とは比べるべくもありませんが、私たちもあの地震の大きな揺れとその後の少しばかり窮屈な日常は今も忘れることはできません。

今週の朝日新聞・文化欄では日を変えて「ウクライナとロシア 歴史の実相は」「東日本大震災11年 若い世代 いま紡ぐことば」とのテーマで、ウクライナとともにかの震災に焦点を当てた企画を掲載していました。


おりしも今週のこの文化欄に並載されている「語る 人生の贈りもの」では、私が今から40年以上も前の大学生時代に佐賀県有田町で陶芸修業をする際にまずはじめに手ほどきを受けた井上萬二先生がたどってきた道すじが描かれています。


井上先生は若き頃は軍国少年で海軍に憧れ予科練に、そして特攻部隊で偵察担当として特攻機を見送る日々を経て終戦を迎え、以来、陶芸の道まっしぐら…。まずは自宅の隣の酒井田柿右衛門窯に無給での修業から始まったそうです。

記事では「若いころ、土はなかなかいうことをきいてくれませんでした。1995年、66歳で人間国宝になったころ、やっときいてくれるようになりました」と語っていましたが、私も今年ちょうど66歳になりますが、土と同居人さんはともに今だにいうことをきいてくれません、トホホ…。

私が有田町で陶芸を学び始めたきっかけは、父の「陶芸、やってみる?」というひと言からでした。大学生当時、地理学を学ぶごく普通の学生生活でしたが、なんとなく満足できない自分がいる最中、考古学を生業として陶芸史も研究していた父から「昔、佐賀県有田町の古窯を発掘した時の知り合いがいるので、有田で陶芸してみる?」と促され、「ならば」と有田に向かったのでした。そして、まずはじめに2ヶ月ほど陶芸の手ほどきを受けたのが井上先生でした。

当時、井上先生は自らの窯を営むとともに、有田町にある佐賀県窯業試験場で陶芸を目指す若者たちの指導に情熱を傾けていました。有田随一のろくろ名人との誉高く、有田で一番ということはそのまま日本一のろくろの達人と評判が立っていました。

大学の春休み、朝8時から夕刻の6時まで、先生の窯では修業中の若い陶工さんがほとんど無言で粘土と対峙していました。工房内に流れるのはNHK第一ラジオ。体力勝負の側面のあるハードな陶芸体験の中、春休みということで大相撲三月場所やセンバツ高校野球中継の音声が流れているのが「なんともラッキー」の感がありました。

私が井上先生から陶芸の手ほどきを受けた2ヶ月のうち、一ヵ月半はただただ土捏ねとろくろ作業の見学の日々。慣れない土捏ねによる強烈な腰痛と闘いながら、最後の2週間だけ、ろくろの手ほどきを受けましたが、その時に先生からかけられた言葉が今も心の中に深く刻まれています。

いわく、「土捏ねもろくろも、ある瞬間に土から手ごたえが返ってくる」「ろくろを引く時は、横からカタチを確かめるのではなく、上からカタチを確かめる」「真ん丸にろくろを轢けるようになって、ようやく半人前…」その他、当時はその意味すら良く理解できなかったのですが、今となっては先生が投げかけてくれた言葉の一つ一つがだいぶ理解できるようになってきました。

当時は自分が陶芸を生業とするなど全く思ってなかったのですが、今振り返っているとじつに貴重な2ヶ月間を過ごさせてもらったと、ただただ感謝するばかりです。陶芸のことなど何もわからぬまま2ヶ月ほどお世話になり、東京の大学生活に戻る私に向けて、井上先生は自らの師匠である奥川忠右衛門作の夫婦湯呑みをプレゼントしてくれました。

この湯呑みは今でも大事にし、そしてあまりにも思い入れが強過ぎて使うことがためらわれています…。

そしてもうひとつ…。先生は窯に来るお客様や私達に「平和な世の中があってこその、陶芸、絵画、そして音楽をはじめとする芸術」としきりに伝えかけていました。同様の言葉は、その後に私が有田の街で陶芸を学んだ窯場の先輩を始めとして陶芸に関わる多くの方々が一様に口にしていました。

ウクライナの今、そして明日の東日本大震災を鎮魂する日に向けて、あらためて平和の意味と尊さを考えさせられた今日この頃…
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする