鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

60年に一度の祭礼 北鎌倉円覚寺「洪鐘祭」、秋の風情とお祭りに寄せて

2023-10-29 20:07:03 | 日記
このところ季節はにわかに秋めいてきました。私が住む佐助の杜は秋色に染まるにはさすがにまだ早すぎますが、秋の朝日を浴びてあたかも紅葉のように光輝いていました。


そのような中、芸術、文化、旅行、スポーツその他のいろいろなシーンではまさに秋本番。私が大好きなJRA・日本中央競馬会も秋のG-1レース真っ只中。本日は府中市の東京競馬場にて秋の天皇賞が開催され、11年ぶりに天皇皇后両陛下がレースを観戦の運びとなりました。

11年前、このお二人は皇太子、皇太子妃でしたので、今回が初めての天覧レースということになります。自身をふり返ってみると、若い頃は皇室に対してさほど親近感をいだいてはいなかったのですが、歳を経てくると皇室の歴史や親愛の情が静かに、そして確実に増してきています。なんとも不思議な感じです…。

そしてこれまた私が大好きな野球界に目を向けると、目下、日本シリーズが始まっています。オリックス・バファローズと阪神タイガースの、ともに関西本拠チームの対戦はじつに59年ぶりとか。私が小学3年生当時、阪神タイガースと南海ホークスの戦いは東京五輪の盛り上がりの影響をもろに受けてとても地味な戦いだったことを記億しています。

今回の59年ぶりの関西対決は近畿圏では「阪神の38年ぶり日本一か⁉」と人気大沸騰。その一方で、こちらの関東圏での注目度は今一つ。されど昨夜の初戦からテレビ画面に釘付けです…。

そしてここ10日ほど前から市内のいたるところで話題になっていたお祭り「洪鐘祭」が本日午前、北鎌倉にて開催されました。「洪鐘祭」と書いて「おおがねまつり」というのだそうです。このお祭りはなんと、60数年ぶりの開催とのことです。今から700年以上も前の鎌倉時代に北鎌倉山ノ内の円覚寺に高さ2m60cmにも及ぶ大鐘が収められ、その御神体である弁財天を祀るお祭りとのことです。史料等によると室町時代の文明12年(1480)まで遡り、祭礼は60年に一度、庚子の年に行なわれてきており、コロナ禍にて今年の祭礼は数年遅れでの開催となったようです。


昨日、北鎌倉の知り合いで写真家の関戸勇さんがFacebookに「洪鐘祭」に向けてお化粧を施した鐘の風景をアップされていました。

関戸さんに「この鐘はどのようにしてお寺から移動したのですか…」と尋ねたところ、関戸さんは「本物の鐘は、移動などできません。このいわゆるハリボテの鐘を本物に見立てて行列のシンボルにします」と、説明してくれました。

市内では今回の「洪鐘祭」はやたらに盛り上がっていて、「北鎌倉は大変な人出で身動きが出来なくなる…」「北鎌倉の寺院では『北鎌倉に来ないで、ネット中継で観てください』と言っているらしい…」などと、言い伝わってきていました。なんだか「ハロウィンに渋谷に来ないで」と要請していた東京都渋谷区長の顔が浮かんできます…。

ともあれ、小雨交じりの朝8時、愛車メガーヌを駆って「洪鐘祭」の祭礼行列開始場所の建長寺に向かってみると

昨日の土曜日に関戸さんがFacebookにアップしていたあの鐘が雨除けのブルーシートに覆われて、小型トラックの荷台に鎮座していました。

家に取って返して、横須賀線で朝9時に北鎌倉駅へ。駅前の知り合いのお宅で暖をとらせている間にも、祭礼の車両が次々に建長寺に向かっていきます。


鎌倉街道で祭礼行列がやって来るのを待つ間にも、黒板アートの藍田留美子さん夫妻をはじめ多くの友人知人、そしてはたまた私の母がお世話になっている訪問介護レディさんからも「こんにちは」と挨拶され、このお祭りへの関心の高さが良くわかります。建長寺での祭礼行列開始時間9時40分から約30分ほど過ぎて、行列の一団が北鎌倉にやって来ました。先頭車両には北鎌倉八雲神社の榊が


数台置いて、「洪鐘祭」の主役たる大きな鐘がやってきました。

本物の鐘でないのは仕方ないのですが、鐘を載せた車両の飾りつけ、しつらえがもう少しなんとかならないものか…とも思ってみたりします。行列を見守る周りの方々からも、「なんだかなぁ…」とのささやきが漏れ伝わってきていました。

そして「洪鐘祭」の起源ともいえる円覚寺の横田南嶺管長が有風亭・青木登さんの人力車に乗車して移動して行きます。

その向こう側には、北鎌倉のお酒飲みのランドマーク「侘助」

そのあとにもある一定の間隔をもって、華やかないにしえの装束を身にまとった神主さんやお稚児さん、そしてお神輿が秋の鎌倉街道を練り歩いてゆきます。






じつのところ、60年前の「洪鐘祭」の時の様子を詳しく記憶している人はほとんどいないため、すべての準備が手探りで進められてきたようで、関係者の方々の苦労のほどがしのばれます。

午後から所用があったため祭礼行列の途中で帰途についたのですが、小袋谷交差点から円覚寺までの復路が、よりいっそう見応えのある祭礼行列だったようです。

私が「そうか、行列後半が盛り上がるのか。次回は後半もしっかり見よう…」とつぶやくやいなや、すかさず同居人さんから「アナタは127歳まで生きるつもりなの?」とつっ込まれるやら、あきれられるやら…。






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鎌倉薪能の夜空の下、ふと耳元にひびいてきたあの曲…

2023-10-14 08:55:13 | 日記
それは今から一週間ほど前の先週金曜日のこととなりますが、当地を代表する神社のひとつで二階堂に位置する鎌倉宮で開催された鎌倉薪能を観賞する機会に恵まれました。鎌倉在住の陶芸教室会員さん夫妻からお誘いを受け、ウチの同居人さんとともに秋の夜長のじつに情緒あふれる夜長を過ごさせていただきました。


森に囲まれた境内には、この薪能に向けてこの日限りの舞台が設えられ

お集りの方々は開演を静かに見守っていました。

鎌倉宮での「鎌倉薪能」は1959(昭和34)年の初開催以来、半世紀以上続くそれなりに歴史ある公演とのことです。かのコロナ禍の影響により、この鎌倉宮での薪能は一部の協賛者のみを招待して実施していた後、今回は5年ぶりに特設舞台を設置して観客を入れての開催です。

このたびの主なる演目は

素謡「翁」金春憲和(シテ方 金春流81世宗家)

狂言「六地蔵」野村萬斎(狂言方 和泉流)

能「放下僧」金春安明(シテ方 金春流80世) 

私達にあてがわれた席は舞台中央、しかも前から2番目というまさにこれ以上の良い席は無いくらいのとても恵まれた位置でした。

私自身、能や狂言の分野とのかかわりといえば、今を去ること45年ほど前に叔母が謡いをちょこっと学んでいた折に東京・目黒の喜多能楽堂に何度か出入りした程度です。そのような極めて浅い知識ながらも、約3時間にならんとする伝統あふれる公演の中、狂言「六地蔵」の中で熱演してくれた野村萬斎さんがひときわ輝いて見えました。演目をとおして飄々と、そして時に眼光鋭い表情も併せて、約40分間を通じて片時も目を離させない実に魅力あふれる舞台でした。

兄弟が敵討ちを果たす能「放下僧」は、鎌倉のかつての外港・金沢六浦の瀬戸神社が舞台ということで、瀬戸神社や神社の前に広がる平潟湾を思い浮かべて、イメージがさらに広がります。萬斎さんの子息・裕基さんもこの「放下僧」にて若々しい演技を披露してくれました。。

ちなみにこの薪能の様子は10月13日発行の「タウンニュース」鎌倉版にも掲載されていました。


今回の薪能を観ている最中、なんとも不思議な感覚に見舞われました。秋の夜長、舞台の傍らで燃やされる薪の炎に照らされる杜と役者さんの姿を見ているうちに、ふと耳元に♪月のまなざしの…という歌詞から始まる荒井由実さんの「空と海の輝きに向けて」という楽曲が響いていました。この楽曲は今からちょうど50前の1973年にリリースされた荒井由実さんのデビューアルバム「ひこうき雲」に収められています。


この「ひこうき雲」から始まって荒井由実さんは「ミスリム」「コバルトアワー 」「14番目の月」に至る、まさに日本の音楽シーンの歴史に残る傑作を次々生み出してきました。それぞれのアルバムのバックをサポートした松任谷正隆さん、細野晴臣さんをはじめとするティン・パン・アレーのキレキレのアレンジと演奏はまさに「奇跡的」ではないかと思っています。とりわけワタシは、鈴木茂さんのギターの響きに今もメロメロです…。

この薪能が開催された先週の金曜日の夜から急に秋めき、そして夜空も澄みわたる中、「なんと心地良いひと時か…」と思う反面、ふと、遠く西方のヨーロッパのウクライナで続く紛争が頭をよぎり、なんとも複雑な気持ちに陥っていました。そしてまた、新たに中東の地がにわかに騒がしくなって来ています。

あの薪能の際にふと耳元に響いてきた曲のタイトル「空と海の輝きに向けて」の、なんとも素敵なことか。ひるがえって、世界の各地で戦火が広がりつつある今、「空と海が悲しみに尽きて」とならぬよう、せめても願う今日この頃です…
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祝 Music Bar「Cedar」開店。女学校とサザンのパワーは永遠に不滅です…

2023-10-03 12:03:03 | 日記
先週の金曜日の晩に自宅から中秋の名月の見事なお月様を愛でたその余韻冷めやらぬまま、この週末の夕刻にはふと気がつくと? ネオンきらめく川崎駅前仲見世通りを歩いていました。

今から30数年前に野球の仕事に携わっていた頃に時折、ロッテ・オリオンズの本拠地だった川崎球場に取材に来ていた当時の少々裏寂びれた雰囲気は全く感じられない賑やかな飲み屋さん街に変貌していました。

夕闇の仲見世通りを歩きながら、ふりかえれば今を去ること56年ほど前の1966年春、当時大阪を本拠にしていた南海ホークスの若き投手だった村上雅則さんが日本初の大リーガーとしてサンフランシスコ・ジャイアンツに在籍した後に南海ホークスに戻り、開幕前のオープン戦でこの川崎駅近くの川崎球場での大洋ホエールズ戦に登板したことをこの目で見たことを思い出しました。当時、ワタシは小学5年生で「いずれは甲子園!」を夢見ていた野球少年。3月の裏寒い曇り空の下、若き村上投手の投球を食い入るように見つめていた記憶があります。

あれから歳月が過ぎ、ふと気がつくとワタシはなんと高齢者ということになってしまっています、まさに、光陰矢の如し、というか、歳月 人を待たず、というか、なんとも時の経つことの速いことか。ちなみにワタシの同学年の野球選手は元巨人の江川さんや元阪神の掛布さんをはじめ、なかなかの名選手揃い。相撲界では、ウルフと呼ばれた今は亡き大横綱・千代の富士関がいます。そして歌の世界では、サザンオールスターズのメンバーや世良公則さん、チャーさんはじめ、これまた個性豊かな面々が。おりしも「ちょうど今頃、サザンは茅ケ崎でライブ最終日…」などと思いながら、向かった先は、仲見世通りを少しばかり海側に歩を進めたこちらの紫色のネオンサインのお店


ワタシの同居人さんの女学校時代からの同級生で、とてもお堅い仕事を生業としている友人が「永年描いていた夢」を実現してこのほどオープンしたお店です。


プレオープンのひと時として呼んでくれた人たちとは、ワタシもそれなりに知り合い関係にある人ばかり。ウチの同居人さんは、ついぞ見たことがないくらいの軽い足取りで皆さん方の笑顔を写真に収めています。


ワタシが座った位置はカウンターの一番奥のとても居心地の良い場所。

まずはビールから始まって、イギリスの年代物のウイスキーまで少しばかりいただいて、勢い、グラスを重ねるペースも速くなってしまいます。

さらに、目の前にしつらえられた棚に大好きな「余市」を発見。

サントリーの「山崎も…」と所望したい気持ちを飲み込みながら、小樽郊外の風情溢れるニッカ余市醸造所を思い浮かべながら、ひたすら「余市」…。いったい、何杯飲ったのでしょうか…。

店内では、洋楽からはじまって松田聖子、荒井由実をはじめ、さまざまなジャンルの音楽が流れています。デノンのパワーアンプやJBLのスピーカーを配したオーディオシステムも限りなく魅力的です。音響をつかさどる彼は、このお店のママさんやウチの同居人さんとともに女学校時代に同じ時間を過ごしたMrs.Kのダンナ様。

Mrs.KもこのBarのスタッフとしてカウンターに入っているので、時には「女学校時代のチャキチャキの会話が飛び交うコアなMusic Barの一面も…。

まもなく正式オープンを控えて、バーのママさんとその奥のMr&Mrs.K夫妻、そしてウチの二人がそろって、記念のワンショット。

はるか遠い昔の女学校時代からの女子3名が居並ぶとそこで交わされる会話はまことににぎやか、さしずめ「かしまし娘」?、はたまた「黄昏キャンディーズ」⁉…

虹色のネオン輝く川崎の街から電車に揺られること約30分、鎌倉に戻って「いざ、飲み直し」のお店に向かう道すがら、ワタシの前を行く若い女性2人が身に着けている縦じまのユニフォー?が妙に気になり、遠慮気味に「そのユニフォームはどこの?」と、そっと尋ねてみると

「さっきまで楽しんできたサザンのコンサート会場で買いました!和歌山から来ちゃいました!」と、ニッコニコ笑顔で答えてくれました。なるほど、胸の文字は Southern…、数字の45はデビュー45周年、そして背中には誇らしげな45の文字とともにCHIGASAKIの地名がくっきりあしらわれていました。思えばほんの数時間前、川崎の仲見世通りを歩いていた時にチラっとサザンを思い出したのも何かのご縁だったのでしょうか…。

写真を撮らせてもらう時、屈託なく「ユニフォームをきっちり撮ってくださいね」と快く応じてくれて、しかもユニフォームの裾を両手で引っ張り広げてくれる心遣いをみせてくれた二人の女の子。

鎌倉も川崎も、そして日本の未来もまだまだ見捨てたものではありません…。































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