マリア・カラスは100年に一人のディーヴァ(歌姫)であり、ライバルのレナータ・テバルディも一世を風靡したプリマ・ドンナであったが、それはいわば宝石の山に燦然と輝く大粒のダイヤモンドであり、その山をなす宝石群の頂にあるだけに時代を超えてその存在を示し続けているのであろう。
しかし、大粒のダイヤモンドは宝石の山の1%にも満たないとすれば、その大半を占める宝石群の存在にこそオペラ芸術や声楽が内包する課題や可能性、そして新たな魅力が隠されているに違いない。小粒の宝石ながら、聴衆の心を打つティーバ(歌姫)はいる。エメラルド・サファイア・ルビー…それぞれに美しく輝くソリストたちがいるし、メゾソプラノ・アルトの声楽家たちはソプラノとは別の魅力をオペラ劇場や音楽ホールで表現している。男性歌手は、20世紀にその名を轟かした「三大テノール」ばかりではない。世界各国で活躍する逸材がテノール・バリトン・バスそれぞれの声域の魅力を聴く人に届けている。
ただ21世紀の今日でも、クラシック界はポピュラー音楽よりも市場は狭い。外国から招かれてコンサートを開く機会を与えられオペラにも出演できる声楽家はごく限られる。いきおい、多くのソリストたちは、国内で催されるオペラ公演に参加したり、音楽仲間のコンサートに賛助出演したりすることが一般的となる。しかしそうした中にも煌めく「小粒の宝石」は存在するのである。
もちろん宝石はどこにでもあるものではない、数少ないから宝石なのである。埋もれている原石。その素材を自ら磨き出し、さらに多面体にカットして燦然と輝くように仕上げる。色と輝きと粒の大きさと稀少価値、評価が決まるまでには時間とエネルギーと様々な人手がかかる。歌手も同じである。まずは土台となる天分と人間性。次に音楽的環境と声楽家としての修練、国内外でのコンクール入賞、舞台へのデビュー。日本声楽アカデミー会員をはじめ、二期会・藤原歌劇団などに所属するソリストの中にも「小粒の宝石」たちは存在している。私は6年前にその宝石の一粒、気品のある輝きに巡り合えた。その幸運が「東京ミニオペラカンパニー」設立に結びついたのである。
※「東京ミニオペラカンパニーの誕生」佐野語郎【『雪女とオフィーリア、そしてクローディアス 東京ミニオペラカンパニーの挑戦』234ページ(2019年幻冬舎・刊)】
新たなオペラユニット創設のキッカケとなった演奏(歌唱)鑑賞の数分間の体験。その感動と共感はどこから来たものだったのだろう。舞台で歌うソプラノ歌手と客席で見つめ耳を澄ます自分(聴衆)。両者を結びつけるのは音楽と歌唱。そこに描き出された世界(=主人公の心情と状況)を共有できたからに違いない。
歌曲の世界は「詞」が基盤を担っている。声楽に占める「ことば」の働きとはどのようなものか。歌い手はそこから何をくみ取り、どのように表現したのか。聴き手は「歌われることば」をどう受け止め、なぜ深部において共振したのか。そこを検証し考察を深めることが「感動と共感の核」を突き止めることになり、オペラ芸術・声楽の課題と可能性への糸口にもつながることだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます