満席。場内の照明が弱まり、ピンスポットがマエストロを浮かび上がらせオケピの指揮台へ導く。聴衆のざわめきが拍手に変わる。
第一幕
第一場
テーマ音楽。
劇場内に闇が広がる。音楽「民衆のソング」。徐々に舞台に光線が射しこんでくる。
静止していたオブジェのような塊(民衆八名)が動き出し平舞台いっぱいに広がる。
〈ソング&ダンス〉がダイナミックに展開される。
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劇場内に闇が広がる。音楽「民衆のソング」。徐々に舞台に光線が射しこんでくる。
静止していたオブジェのような塊(民衆八名)が動き出し平舞台いっぱいに広がる。
〈ソング&ダンス〉がダイナミックに展開される。
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第二場 エルシノア城下の空き地
つむじ風が吹き荒れ、木の葉やゴミが舞い踊っている。
素っ頓狂な声やざわめきとともに、平舞台に光が入る。
ある日。
肉屋、肉屋の女房、パン屋、酒屋、酒屋の女房、大工、鍛冶屋が、噂話にうつつを抜かしている。
離れた所で、伝令が竪笛を吹いている。
肉屋の女房: な、なんだって~!王妃様と王様の弟が?
酒屋: (伝令を気にして)こ、声がでかいよ!
パン屋: (声を潜めて)ホ、ホントか?
酒屋の女房: くっ、へっへっへ……。驚いたかい?
肉屋: ……まさかぁ。
大工: いや、火のない所に煙は立たぬ。王族貴族でも人は人、高貴な方でも男と女、あってもおかしくない話。
肉屋の女房: 王妃様と王様の弟が……ふ~ん。
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・第一の物語はクローディアスとガートルードの物語であり、シェイクスピアが『ハムレット』で描くことのなかった彼らの致命的な愛情を切なくも美しく描き出している。
・第二の物語は、第二幕第七場で執事アルバートの求婚が女官長マリーに受け入れられた瞬間に突然前景化され、この作品を悲劇のモードから喜劇のそれへと変貌させている。
・これらふたつの物語を覆い包む形で、常に平舞台にいる民衆の物語がある。彼らは国の政治や戦争に常に生活を左右されながらも、王侯貴族のスキャンダルを楽しむたくましさも持っている。
【安田比呂志氏(イギリス文学・シェイクスピア/開智国際大学教授)/「雪女とオフィーリア、そしてクローディアス 東京ミニオペラカンパニーの挑戦」(2019年8月・幻冬舎刊)249~250ページ所収】

・…すでに触れた通り、オペレッタの場合、朗唱やレチタティーヴォは全くなく、会話や独白には普通の会話が使われる。(中略)大衆的で親しみやすい台詞が挿入されるものの、単なるオペレッタ形式に留まることなく、叙事詩風の合唱がさらに重要な役割を果たすことになる。しかし『雪女の恋』と異なり、「日本の民話」に拠らないため、いわゆる『夕鶴』に始まる「創作オペラ」には該当しない。すなわち、『クローディアスなのか、ガートルードなのか』は、おそらく日本の創作オペラ史上、異色の作品の一つになるのではないか。近い将来上演されることが望まれる。
【森佳子氏(音楽学・オペラ研究/早稲田大学ほか講師 )/同著247~248ページ所収】
演劇人である筆者がオペラ創作にシフトした切っ掛けは音楽が感性に直接訴えかける力であった。演劇は言葉を武器とする以上、音楽の分野としては器楽ではなく言葉を伴う「声楽」となる。そして「歌」は、クラシック音楽から大衆音楽まで幅は広い。となると、それら表現の多様性に惹かれるのは自然の成り行きであった。オペラのアリアは「王と王妃」に、オペレッタのデュエットは「女官長と執事」に、ソングは「民衆」によって歌われる。しかも、この三層における物語は時間的にシンクロしていて「城内と城外」で同時に起きている…これは面白いはずと考えたのが執筆動機であった。

この作品は「雪女とオフィーリア、そしてクローディアス 東京ミニオペラカンパニーの挑戦」(2019年8月・幻冬舎刊)出版の際に、将来の上演を目論んで書き下ろした脚本である。同著所収の『悲戀~ハムレットとオフィーリア』(2016年9月・JTアートホールアフィニス)『雪女の恋』(2019年2月・東京文化会館小ホール)は筆者主宰のカンパニーで上演可能であったが、この『喜歌劇 クローディアスなのか、ガートルードなのか』は大作で、しかもオペラ・オペレッタ/ミュージカル・ストレートプレイの3ジャンルの人材を必要とするため、広いネットワークと莫大な製作費が必須なので、興行会社(東宝や松竹)の主催公演でなければ不可能と考えられ、現時点では未上演となっているのだ。
暦がめくられ、新年となった今、作者として「『喜歌劇 クローディアスなのか、ガートルードなのか』初演」を夢見ている次第である。
※写真(中)は、「シェイクスピア時代のイギリス生活百科」(2017年・河出書房新社発行)の表紙から。