劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

甦る詩句Ⅱ「ベル・エポック。…何がよき、時代なものか。」

2015年08月08日 | 演劇
 1967(昭和42)年の初秋、私は東京下落合の宮本研氏宅にいた。わが劇団のために書いた『小夜の鈴』の構成を見て頂こうとお邪魔したのである。当時、俳優座をはじめとする大劇団や変身などの小劇団にみずみずしくもインパクトのある戯曲を提供し続けていた愛称“研さん”は、新劇の売れっ子劇作家だったから、まさに、お邪魔だったにちがいない。しかし、その多忙な日常にもかかわらず、池袋の戯曲教室で一度だけ教えた青年のために、時間を割いてくれたのだった。
 その日、研さんに『松井須磨子のことを調べたいんだが、佐野君は早稲田だったね。』と聞かれたので、『演劇博物館には先輩の学芸員もおられるので、いつでもご連絡ください』と答えたことを覚えている。実はそのときすでに、あの名作を文学座のために執筆中だったことを後になって知ったのである。
  『明治の柩』で足尾鉱毒事件の田中正造を主人公にして近代における権力と民衆を、『ザ・パイロット』で長崎原爆投下のパイロットと防空監視係の男とを通して国家と個人および天皇制の問題を提起した後、この戯曲によって、大逆事件後の大正時代に生きた思想家・芸術家・社会運動家の行動と葛藤と死を群像劇として世に問うたのである。
  『美しきものの伝説<幕間狂言をもつ二幕>』は、1968年4月、新宿西口・朝日生命ホールで初演。客席の一隅で、私はその舞台に立ちあうことが出来た。魅力的な人物、軽妙な会話とテンポのよい展開、深刻な現実を距離化した喜劇性で見事に描き切っていた。研さんが自立劇団出身の新進だった頃、文学座創立三幹事の一人、久保田万太郎に『君はセリフが書けるね』と声をかけられたそうだ。その面目躍如、戯曲作家の資質が花開いたと言えるだろう。
 また、この舞台の成功は、演出家・木村光一氏の力によるものとも言える。書下ろし作品の場合、演出家とのやり取りが劇の方向や細部を決定することが多いし、時間・空間芸術としての演劇の魅力を生み出すのは演出家だからである。ラストシーンは、日本の演出史に残る秀逸なものだった。
 無政府主義者・大杉栄と伊藤野枝が憲兵隊に逮捕される日、出がけに、クロポトキン(大杉)がぽつりとつぶやく。

クロポトキン ベル・エポック。(中略)…何がよき、時代なものか。
(中略)
野枝 ……参りましょうか。
   野枝、パラソルをひらき、クロポトキンにさしかける。
   微笑。
   二人、そのままのポーズで凍る。

 この後、一瞬ストップモーションになった後、二人が立っていた「舞台」がゆっくりと回り出す。コスモスが咲き乱れる外縁に潜んでいた人物たちが手動で回り舞台にしていたのだ。
 演劇は、時代と人間を映す「鏡」である。上演当時は1960年代の後半で、権力に異議申し立てをした学生運動、米国によるベトナム北爆に対する「ベ平連」の市民運動が繰り広げられていた激動の季節。この劇が扱っている大正期の人間像や闘争と時代は異なる。しかしだからこそ、この舞台と向かい合い「今の自分」と対話することで、「痛い何か」を感じられれば、それは「鏡」になり、「鑑」ともなるだろう。
 さて、あれから47年経過した2015年の今日、現政権は、主権国家としての哲学もないまま、平和憲法を骨抜きにし、米国のアジア戦略の一翼を担おうとしている。繰り返してはならない歴史を凝視する必要があるとき、劇は存在感を増す。作家が血を吐く思いで書きつけたセリフが甦る。

 ※写真中・下は、文学座公演パンフレットより。


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