劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

「詞」――歌われるための文学~オペラおよび歌曲を中心として⑹

2021年09月06日 | オペラ
 「詞」は歌われるための文学だが―そこには「言葉と音楽」というテーマが内在している。それを「歌曲と歌劇」「歌手と聴衆」というジャンルとライブの両面から具体的に考えてみよう。

 Ⅰ「言葉と音楽」
 声楽は、器楽とは異なり人間の声を中心にすえた音楽である。多くは楽器演奏を伴うが、vocal musicは歌手が譜面に書かれている世界を表現する芸術に他ならない。五線譜に並ぶ音符の下には言葉が付いており、音楽と文学が同居しているのが常だが、時として以下のような例外もある。
 「ヴォーカリーズ」…本来は発声練習の際、歌詞を伴わずに母音のみで歌われる「母音唱法」なのだが、この技法をあえて用いた音楽作品がある。有名なのはセルゲイ・ラフマニノフの『ヴォーカリーズ』(作品34-14)だ。初演のコンサート(1916年2月6日・モスクワ)では、ピアニストとしても高名な作曲者自身の伴奏で、ソプラノ歌手アントニーナ・ネジターノヴァが歌唱している。ロシア音楽の愁いを底流に、バロック音楽の「紡ぎ出しのモチーフ」などの西欧的な技法が施された傑作である。
 ラフマニノフがこの言葉のない歌曲を初演者の彼女に献呈するにあたって、『あなたの美しい声とその表現力があれば、言葉なんかいらない』と語ったと伝えられている。ここに声楽という音楽芸術の本質の一端が示されている。優れた楽曲とその世界を深く理解し豊かに魅力的に歌唱できれば、詞がなくとも音楽は成立するだろう。というより、この『ヴォーカリーズ』は詞が存在しないがゆえに、ロシア語の制約を受けることがない。そのため、管弦楽版への編曲や様々な調性にアレンジされ、ラフマニノフの他のどの歌曲よりもよく知られることになったのである。音楽にとって言語は必要条件ではないし、声楽も詞がなくても成立するケースと言えるだろう。
 また、クラシック音楽ばかりでなく大衆音楽のジャズでも「スキャット」という歌詞のない表現があるし、意味言語によらない「歌」で聴衆を惹きつけたシャンソン歌手のエピソードも残っている。パリにある場末のレストランで、外国人観光客に声を掛けられた流しの歌手が、彼らのテーブルを回りながら情感をこめて哀感漂う世界を歌って聴かせた。フランス語の分からない観光客はハンカチを取り出しながら訊ねた―『今のは何という歌なの?詞の意味は?』流しの男はいたずらっぽく手にしていたメニューを開いて見せ、『ここに載っている料理を片っ端から歌ったのです』…。
 以上は声楽や歌唱における特別な例なので、次からは一般的な声楽における「言葉と音楽」について、まずは「歌曲と歌劇」にスポットを当てて考えることにする。
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