劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

幸せのBASE「心技体」~体②(終)

2023年10月02日 | 随想
 …子どもたちの「遊ぶ力」は、昔に比べると衰えているのではないか? 私にはそう思えます。(前回の「中略」に当たる部分を補ってみよう)
 ひとつにはカラダを使った遊びが減ったことが挙げられます。屋外で、走り回ったり、生き物と触れ合って遊んだりすることが激減しました。五感を鋭敏にし、身体感覚を磨くには、自然の中に入って遊ぶのがいちばんいいのです。
 空き地で草野球や三角ベース、ボール蹴りをやることも少なくなりました。(略)
 カラダということでいえば、他の子とカラダを触れ合わせる遊びもほとんどなくなっています。相撲は何百年にもわたり、日本の子どもたちの王道でしたが、いま、相撲を取って遊ぶ子どもはほぼ見られなくなってしまいました。押しくらまんじゅうも、馬跳びも、ほとんどやりません。友だちとカラダを接触させて遊ぶ経験が少ないのです。「遊ぶ力は生きる力」(齋藤 孝/光文社)

 子どもたちの「遊びの場」、すなわち大人が関与しない自由な空間である「自然」や「空き地」は消えてしまっている。昭和の子どもだった私は「他の子とカラダを触れ合わせる遊び」を全て体験していた。相撲の場合、「土俵」は校庭の砂場で、小学5年の私に付けられた四股名(しこな)は、栃若時代の“若ノ花”。小柄で粘り強い男子だったからだろう。他の子どもと同様に、こうした環境で自らの身体感覚や級友たちとの付き合い方を身に着けた。三角ベース(ごろベース)もやったし、押しくらまんじゅうや馬跳びをやって冬の寒さを吹き飛ばした。
 高度経済成長期を経て、昭和⇒平成⇒令和と時代が移った。都市化・少子化がものすごいスピードで進行し、学校の他に塾通いが当たり前になり、そのうえ種々の習い事やスポーツクラブまであって、大人以上のタイトな週間スケジュールに子どもたちは追われている。私たち世代が享受していた「子どもの解放区」はどこにも見当たらない。親も教師も、カラダを思いっきり動かして遊び、ココロを通わせながら友だちを作ることの重要さを考えもしない。モンスターペアレント・ヘリコプターペアレント、セクハラ教師・知らんぷり管理職が日常的にニュースソースになっている。

 どうして「子どもたち受難の世」になってしまったのか。それは、学歴はあっても「哲学」がない大人が増えたからである。ここで言う「哲学」とは、「子どもとは大人にとって何か」「親とは生きる上での最も身近なモデルとなる」を指す。子どもは天からの授かりもので、親の私有物ではない。伸びやかな成長を見守り社会に送り出す務めがある。そして、子どもは親を見て育つ。自分に注がれる無私の愛情があるかどうか。親自身の生き方は人生を左右する。それが立派でなくても、否定されるようなものであっても。
 さらに、「哲学」は、子どもに対する親や大人としての姿勢に止まらない。その前に「自らがどう生きるか」という根本的な命題がある。昭和までは、基本的な生き方が決まっていた。結婚までの流れや家庭での夫と妻の役割、年功序列・終身雇用・学歴社会まで、その流れに乗ってさえいればよかった。しかし、この令和の世ではそれらがほぼ崩壊しているので、自分なりの人生設計を生き方を考えなおさなければならないのだ。
 朝のテレビ小説のモデルとなった植物学の父・牧野富太郎の場合は、一つの典型と言えるだろう。単に植物が好きだ、興味関心がある、ではなく、それを突き抜けたピュアで一直線な愛情が内在している。植物は「唯一無二の親友」であり、日本はおろか世界中にその「親友」を求めて動き回りスケッチし記録する。その情熱と無私の志に周囲が共感し協力した結果があの世界的業績につながったのである。「94歳」の生涯は、心と志が「体」につながっていた好例ではないだろうか。         
 東山魁夷画伯には哲学的代表作「道」がある。
 「一本の道」が心に在るか否か、それに尽きる。
 子ども時代から青年時代にかけて出会った「世界」を生涯追い求めることが幸せの根源である。
コメント
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