劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

時々作る父の手料理、母の味

2014年02月28日 | 随想
 「夕餉」―ゆうげ…いい響きの日本語だ。家族がそろって毎晩囲む食卓。台所で、鍋釜から湯気が立ち上り、まな板の音がリズミカルに響く。ゆったりと流れる時間。 

 我が国からこの光景が消え去ってから数十年が経つ。父・母という役割よりも男・女という個人へ。お父さん・お母さんという普通名詞から○○△△という固有名詞へ。「家庭」を失えば「我が家の味」は雲散霧消し、マスコミから流される<レシピ>に頼るかスーパーに並んでいるパック食品を買ってテーブルに並べることになる。
 昨夜TVで「児童たちの体脂肪の増加・肝臓の変調」が報告され、「コンビニのスナック菓子やケーキを夕食代わりにする親たち」の実態が放送されていた。親でも何でもない浅ましい大人たち、親を選べない悲惨な子どもたち。この現実はやがて再生産され、文化国家は瓦解する。
 「食」をないがしろにする人間には、食を成り立たせている労働や提供者たちに対する想像力と敬意がない。食べさせたいと思う、相手に対する愛がない。食事が家庭から抜け落ち、町のレストランや回転寿司にお任せとなった事実は、手間ひまを惜しみ金銭で「食」をやり過ごそうとすることを良しとする親たちの横着さが背景にある。

 親の役目を終え、老母の介護も終えて、一人暮らしを始めて数年になる。古稀を迎える年齢になったが、有り難いことに仕事があり職場がある。したがって、三食全てを自炊とはいかないし、ゆっくり起きることが許される生活なので、ブランチとサパーの二食で事足りる。馬込界隈の魚屋や肉屋・スーパーなどで食材を仕入れ、台所に立つ。男の手料理だから簡単なものを手早く作ることになる。
 小学生の頃から、母が外で働くようになった。食材を町の個人商店に買いに行くのは、私の役目だった。駐留米軍の通訳兼マネージャーを辞職して以来働かなかった父は、台所に立つようになった。その手料理の一つを見よう見まねで作ることがある。懐かしい味だからだ。鍋に張った水に醤油、そこへ、ざく切りしたほうれん草を入れ、ポークソーセージ(ハムではダメ)を数枚乗せる。砂糖を加え、酒を少々、ぐつぐつ言いだしたところで、溶き卵をさっと回し掛ける。半熟状態で火を止める。温かいうちはもちろんのこと、冷めても美味いので翌朝のごはんに乗せて食すこともある。
 もう一品は母の手料理で、酒のつまみにもってこいだ。かまぼこ(焼き板がよい)を数枚と、水洗いしたワカメを食べやすい大きさに切っておく。三つ葉を軽くゆで、さっと水に通す。「三者」をわさび漬けであえてから、少々醤油をふる。
 
 『いただきます』と声をかけ、この素朴なおかずやつまみに箸をのばす時、父や母の在りし日の姿が瞼に浮かんでくる。


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