劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

「詞」――歌われるための文学~オペラおよび歌曲を中心として⒀

2022年03月26日 | オペラ
 エディット・ピアフの短い生涯(1963年/47歳没)は悲しく辛く激しいものでフツウの幸福とはほど遠いものだった。しかしだからこそ、その歌は聴く者の胸を打ち心に響く源泉を得て、「シャンソンの女王」として後世に語り継がれる存在となったのである。
 ピアフが世界の女王とすれば、越路吹雪を日本のシャンソンの女王と評しても的外れではあるまい。しかしそうなるまでの道のりは長かったし、成功を得るまでには本人のたゆまない努力はもちろんのこと、才能豊かなスタッフとの出会いがあり、優れた文化を生み出そうとする時代の空気に恵まれたという幸運もあった。
 1953年、越路は本物の歌を求めてパリへ旅立つが、エディット・ピアフの『愛の讃歌』を生で聴いて打ちのめされる。『…ピアフを二度聴く。語ることなし。私は悲しい。夜、一人でなく。悲しい、寂しい、私には何もない。私は負けた。…』29歳の日記である。しかし帰国後、彼女は「自分の歌」を求めて立ち上がる。(※その前後の経緯については、前々回に触れた)
 ピアフにはなれない。あの叫びにも近い歌は私には歌えない。だとしたら、私が歌えるシャンソンとはどんな歌だろう…。苦悩する越路のために親友岩谷時子は歌詞を紡ぎ出す。

あなたの燃える手で あたしを抱きしめて    
ただふたりだけで 生きていたいの    
ただいのちのかぎり あたしは愛したい    
いのちのかぎりに あなたを愛したい    

頬と頬よせて 燃えるくちづけを 
かわす喜び かわす喜び    
あなたとふたりで 暮らせるものなら 
なんにもいらない    
なんにもいらない 
あなたとふたりで 生きていくのよ    
あたしの願いは ただそれだけよ 
あなたとふたり

かたくいだき合い 
燃える指に髪を    
からませながら いとしみながら    
口づけを交わすの 
愛こそ燃える火よ    
あたしを燃やす火 
 心とかす恋よ

 ここには、ピアフ自身か書いた原詩の世界は跡形もない。西洋人の愛の形ではない日本人の“二人だけの世界”が描かれている。越路はこの「翻案詞」をメロディに乗せてささやくようにそしてダイナミックに歌い演じた。自分自身の根底から湧いてくる心情と思いを込めて歌い上げた。ここに、借りものではない越路吹雪の『愛の讃歌』が誕生する。
 『愛の讃歌』を皮切りに、『ラストダンスは私に』『サン・トワ・マミー』『ろくでなし』…と岩谷の訳詞によってヒット曲が次々と生み出され、この勢いが時代の文化的潮流となって越路吹雪を「日本のシャンソンの女王」に押し上げていくのだが、そこにはエネルギーにあふれた音楽界・演劇界の実力者たちの存在があった。
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