劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

「芸術の根底―捨てる・拓く・貫く―篠田桃紅103歳」(後)

2015年12月25日 | 創作活動
 芸術行為に勤しみ、芸術家を志す―心構え。それは、一人=独り=孤で生きることであり、美を求めた結果、内なる己から生み出されるその作品は商品を提供する目的のために制作されるものではない。
「ひとりで生きる」とは、属する社会共同体と離れ距離を取ることであり、それは芸術家の宿命である。世間の価値に 異議を唱え、その集団内営為から抜けることである。そして、自らの魂を揺さぶる「美の世界」と出会った後、己の独自の創作世界を生み出すために根源的なエネルギーを傾注する生き方である。同時代の社会的評価を受ける受けないは二の次であり、産み落とした作品が受け入れらることなく放置されている間に病死や自死の運命をたどった画家・作家・音楽家の例は枚挙にいとまがない。ただ己(おのれ)のやむに已まれぬ創作情動に突き動かされ、絵筆を握りペンを持ち鍵盤をたたくのである。

 美術家・篠田桃紅は、幼少の頃に父の手ほどきで書と出会うが、臨書の枠に収まり切れず、書道から「水墨の抽象画」へ抜け出ていく。お手本を見事に書くことに彼女の美意識は限界を感じたのであろう。前衛書道の活動を経て、43歳で単身渡米。抽象美術の洗礼を受ける。特にリトグラフとの出会いが桃紅の墨象の世界を広げ定着させたと考えられる。著名人との出会いや応援という幸運もあり、その気品ある抽象美術作品が現代とマッチしたとも言えるが、壮年期から老年期へその社会的評価は高まっていったのは芸術家としての一貫した姿勢の結果であって、「受ける商品」を目的とした制作では決してない。
 学校の押しつけ教育に異議を唱えた少女時代、結婚から家庭婦人の道を説く父に背き家を出る二十代、伝統的な書の世界に決別する三十代、…独身を貫き「世間」を捨て、自立して「ひとりを楽しむ」在り方は芸術家として見事である。(来歴は、ウィキペディア・フリー百科事典などに詳しい)。

 72歳を目前にしている無名の芸術家は、30歳以上も先輩の姿にただ頭を垂れるのみである。19歳で初めての公演製作(横須賀市民会館=現在よこすか芸術劇場)。高校の同窓生に呼びかけ、演劇・舞踊・軽音楽・ブラスバンドをプログラムに組んだが、53年前のその原点は現在も生きているような気がする。近年上演した音楽演劇・全体演劇を経て、いまミニオペラ作品に取り組んでいる。「ひとりを楽しむ」在り方は追いついても、芸術家として多くの人々から賛辞を惜しまれない篠田桃紅氏の姿は遠くに在るままである。

※写真上は、NHK/ETV特集「墨に導かれ 墨に惑わされ~美術家・篠田桃紅102歳~(2015年5月30日)」より
写真下は、ホテル内展示作品(佐野撮影)



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