劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

ひとり旅~生活圏外で出会う古人の足跡と伝説

2024年01月09日 | 随想
 ふだんの暮らしから離れて、様々な地を訪れる…私の旅は一般と何ら変わらない。やや変わっているとすれば、観光が目的ではなく非日常的な時間を過ごすことで作品構想のキッカケを得る点かもしれない。また、その土地の温泉に浸り伝えられる歴史の一端に触れることも楽しみとなっている。

 昨秋は、岐阜県養老温泉に宿を取り土色がかった湯を堪能した。翌朝タクシーを利用し、異郷の雰囲気を味わいながら「養老の滝」を訪れる。この名勝の由来は歴史をさかのぼること千三百年余の717年、第44代元正(げんしょう)天皇が行幸されたことにある。緑の山間にしぶきをあげながら流れ落ちる滝を目の当たりにして、『もって老を養うべし』と述べられ改元「養老」の詔を発布されたという。元正天皇は生涯独身を通した女帝で『続日本紀』には母親(元明天皇)譲りの美しさと慈悲深さが記載されており、奈良時代を代表する聖武天皇の補佐役も務めている。古人が足を運ばれた同じ道に佇み、名瀑養老の滝を前にひと時を過ごした。

 養老駅でタクシーを下車、地元ローカル私鉄「養老鉄道」に乗り25分で東海道本線「大垣」駅に着く。旅の目的は(前回の記事の通り)大垣藩の歴史と関連する史実の調査であったが、予定外の遺跡にも巡り合った。八幡神社境内の「さざれ石」―国歌となっている詞「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巖となりて 苔のむすまで」にある“さざれ石”である。
 平安時代、古今集に収められた一首で、古歌をもとに天皇の御代を末永く寿ぎ詠まれた歌だが、“さざれ石”がこの地・揖斐郡春日村の産の石灰石であることは初めて知った。粘着力が強い石灰質のため長い年月の雨水により溶解し大小の石が凝結して自然に大きな巖となったと記念碑にある。
 この“さざれ石”に心が動いたのは、遺跡の由縁に感銘を受けたからだけではない。筆者の戸籍上の名が「巖」であったからだ。
 小学校一年生の教室での出来事を思い出す。校長が机間巡視の際、「巖」を見て『君の名前は難しいね』と言った。「画数23画」の一文字を小さく書けず氏名欄からはみ出していたのだ。周囲は親しみを込めて「ガンちゃん」「いわおさん」と呼んだが、本人はこの人名漢字に馴染めなかった。
 しかし、八幡神社境内の「さざれ石」の前に立った時、「長い年月が掛かって大小の石が集まり大きな巖となった」ことに自分の半生を見る思いになった。国歌「君が代」の趣旨からは離れるが、これまで生きてきたあれやこれやの集結が今の自分ではあるまいか…。

 ひとり旅は、自分一人だけの時間であり、考える余裕も生まれる。旅の目的には無かった「予定外の心の糧」にも出会える。
 たとえ短期間であっても生活圏外での「ひと時」をこれからも持っていきたいと思う。
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