劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

慶應義塾・佐野最終講義予定表の紹介

2009年09月29日 | 慶應義塾大学
2009年度 慶應義塾大学文学部 映画演劇論Ⅳ(秋学期) 講義予定表  講師/佐野語郎
水曜日第3時限(13:00~14:30) 南別館4F・641教室

    日付       タイトル             内容
1  9/30   講義テーマ「創造という行為を探る」概説~創造と鑑賞との関係性~
2 10/07  「鑑賞という行為」1自画像~小栗康平「泥の河」エリア・カザン「エデンの東」三好十郎「炎の人」~
3 10/14  「鑑賞という行為」2同時代性~別役実と早稲田小劇場・蜷川幸雄と現代人劇場・坂手洋二と燐光群~
4 10/21   「鑑賞という行為」3芸術性~劇団民藝「夜明け前」/ニコラ・バタイユ「夏」/太田省吾「水の駅」~ 
5  10/28  「鑑賞という行為」4娯楽性~別世界への飛翔「宝塚歌劇」と自己投影「美空ひばり」~
6 11/04  「演劇教育の実践とその意味《発見と感動の共有》」~県立神奈川総合高校の場合を中心として~
7  11/11   対談「劇場機構と舞台芸術」/質疑応答~新国立劇場技術部・小川幹雄氏を迎えて~
8  11/25  「創造という行為」1~その創造行為の根源を考える。映画監督/黒澤明の場合~
9   12/02   「創造という行為」2~日本の伝統演劇・舞台の虚構と役者の芸。歌舞伎の場合~
1O  12/09   「創造という行為」3~俳優の存在と気品、生き方と姿勢。銀幕のスター(A.ヘップバーンと市川雷蔵)の場合~
11  12/16  「創造という行為」4~名作映画の根底にある精緻な構成と主題の深さ。~ウィリアム・ワイラー「黄昏」の場合~
12   1/06   「創造という行為」5~演劇芸術の独自性と全体演劇の可能性を求めて~演劇ユニット・東京ドラマポケットの場合~

◎お問い合わせは、sano560@ybb.ne.jp(佐野のメールアドレス)へ
※写真は、641教室のある南別館の外観。


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日本のオペラ2公演から受けたもの

2009年09月13日 | 創作活動
  9月5日、第一生命ホール(晴海トリトンスクエア内)で上演された東京室内歌劇場定期公演・実験オペラシリーズ《往きと復り》・《妻を帽子と間違えた男》を鑑賞した。
旧知の神谷真士氏が出演参加されていたこともあるが、公演チラシに、「1927年に書かれた室内オペラの代表作・時が逆行し物語が巻戻る不思議なオペラ」「(1987年)脳神経に異常を持つ男性の話として、現代の病理を衝いた問題作」と書かれていた一節に惹かれてのことだった。前者は「新古典主義時代の多作家パウル・ヒンデミット作曲の字幕付原語(ドイツ語)上演」、後者は「イギリスのミニマルミュージックの旗手で映画音楽の重鎮マイケル・ナイマン作曲の字幕付原語(英語)上演」―この短編オペラのダブルビルは、期待に違わない興味深い展開だったし、アフタートークでの指揮者や演出家の話も好感の持てる誠実な内容だった。
 演劇ユニット 東京ドラマポケットでは、「演技・音楽・美術の連関性に重点を置いた創造的実験公演に取り組」んで来たので、このような劇構成や主題の舞台に注目するのは自然の成り行きかもしれない。オペラの世界に関しては門外漢の私だが、こうした実験的な取り組みが継続され、また客席も七割がた埋まっているのを知って、嬉しく心強く思った。
 さて、公演パンフレットの巻末に東京室内歌劇場の役員一覧が掲載されており、そこに「顧問 伊藤京子」とあった。私は一瞬にして時間がさかのぼる感覚に襲われた。1966年2月12日東京文化会館大ホール、オペラ『夕鶴』(主催=毎日新聞社・新芸術家協会)の舞台で主役つうを歌う伊藤京子氏―歌声も容姿も美しい「つう」が眼前に浮かんできたのである。戦後日本が生んだ代表的な戯曲『夕鶴』のオペラ版(團 伊玖磨作曲)は、日本で高く評価されたばかりでなく、海外で最も上演回数が多い日本オペラの代表作品である。私がその夜観たオペラ『夕鶴』から3年後の1969年に東京室内歌劇場は創設されたとパンフレットにあり、何かフシギな感慨を覚えた。
 ところで、名作オペラ『夕鶴』には、当初から私はある違和感を持ち続けてきた。日本の民話が素材であり、衣装ももちろん着物である。そして、音楽(歌詞部分)は、原作戯曲の台詞に付曲されている。劇の物語も視覚的な世界も日本そのものなのに、音楽という聴覚的な世界だけが西洋のものなのだ。ベルカント唱法の美しい響きだけがとって付けたような印象を与え、日本の風俗を借りた西洋歌劇の世界に映ってしまうのである。オペラ『夕鶴』のパンフレットに、次のような評論が掲載されている。
 …「どんなことばも、みんなうたってしまう不自然さ」が、《夕鶴》のなかにはある。/現代では、むしろ、そのような不自然さをなるべく避け、それぞれの民族のことばのもつ音楽的な美しさを生かして語られ、かつ、それが劇としての発展のなかで音楽とかかわりあった独自の効果を生み出す方法が、さまざまなかたちで追求されている。(夕鶴の音楽=木村重雄)
 演劇における音楽のあり方、セリフ(言葉)と音楽との関係、そして、劇の構成―これは「演劇ユニット 東京ドラマポケット」において重要なモチーフであり、このことを外して創造活動が行なわれることはない。2009年の東京室内歌劇場の実験オペラ公演と1966年のオペラ『夕鶴』公演から受けたものは、私の創作意欲を刺激し、何らかの影響を与え続けることだろう。

写真左上は、晴海トリトンスクエア(第一生命ホール入口)。写真左下は、東京室内歌劇場の公演チラシ。写真右下は、オペラ『夕鶴』のパンフレット。


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独りの時間の幸せⅠ~横浜関内篇~

2009年09月05日 | 随想
 散歩や散策というものに、縁のない半生を送ってきた。「とくに目的も無く、一人で外へ出かけ、ぶらぶらする時間」―自分にはその意義や必要性がピンと来なかったし、そもそも生活の中に「散歩や散策」が入り込む隙間は無かった。少年期から働き、芝居に明け暮れ、創作活動に身を投じてきたので、「ぽつんと独りで過ごす時間」の記憶がない。もちろん、息抜きや楽しみの時間はある。友人と語り合う時のコーヒー、稽古の帰りや打ち上げに仲間と酌み交わす酒、…しかし、独りで喫茶店や酒場でひと時を過ごすということはなかった。時折、そうした大人のたたずまいを素敵だなと思ったことはあるが、話し相手もなく独り沈黙の中でコーヒーをすすり、酒を飲み干す姿は自分には無縁のものだと思っていた。
 ところがこの「独りの時間」がいつの間にか私にも生まれていることに最近気づいた。あれほど誰かと一緒にいることが好きだったのに、独りでいることが心地よくなっているのだ。歳をとったためだろう。気遣いも要らず、自分だけの自由な時間が楽に感じられるのだ。かつては他人との関係を作り、培い、拡げていくことに情熱を掻き立てていたものだが、あれだけのスピードとエネルギーを今は持ち合わせてはいない。  
 もう一つ、「独りの時間」を生み出したと思われる理由―老親の介護の始まりがある。これも歳をとったこととつながっているわけだが、他人との関係からの自由ではなく、肉親との時間からの自由という点で異なっている。何年も前、『子育てや家事から解放されて外で自分だけの時間を持ちたい』という若い母親や中年の主婦の声を聞いたことがある。その時は『何をゼイタクなことを言ってるんだ!』などと的外れな放言をしてしまったものだが、今になって、彼女たちの気持ちが少し分かるのだ。空間的・時間的に拘束されているという束縛感から解放されたいという思いは、単なるわがままでも家族への愛情の希薄さからくるものではなく、人間としての正常な感情の発露であり、これからも続くであろう日常生活を機嫌よく推進していくための「リフレッシュ時間」への希求なのである。
 先日、介護ヘルパーさんのサポートにより日常から解放されて、横浜関内の散策、「独りの時間の幸せ」を味わうことが出来た。昼下がり、中華街をぶらぶらした後、遅めの昼食をとる。こちらの条件は、こじんまりとした店内で落ち着いた雰囲気、リーズナブルな料金、そこそこの味である。生ビール、シュウマイと焼きソバをつまみに、燗をした紹興酒(グラスに砂糖)がこの日の注文だった。ほろ酔い気分で小説家大仏次郎や進駐軍司令官マッカーサーの定宿の老舗ホテルへ。ゆったりとコーヒータイムを過ごした後、2Fの「ザ・ロビー」へ上がる。宴会が無い日は自由に出入りできる場所で、非日常的な気分を味わえる空間だ。やがて夕刻となり、山下公園に出る。ベンチはほとんど家族連れやカップルに占拠されていたが、一つだけ空いていた。足を伸ばしてふんぞり返る。潮のにおいが漂っている。…ああ、いい気持ちだ!大桟橋まで弧を描いている海辺、右手には氷川丸が美しくもどっしりと係留されている。この風景が夕闇に沈む頃、日常に戻るべく帰宅の途についたのだった。


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