劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

新・活動模様日記風摘録1

2009年01月31日 | 随想
12月20日(土) 午後/東京藝術大学・千住校(音楽学部音楽環境創造科)
「千住Art Path 2008」鑑賞
12月22日(月) 午後/神奈川総合高校・多目的ホール
「集中講義・舞台技術」見学
12月23日(火) 午後/三軒茶屋・世田谷文化生活情報センター
「演劇討論セミナー」参加*演出家・鈴木忠志氏と歓談
12月27日(土) 午後/大塚・萬劇場
「劇団コトコト公演『銀河鉄道の夜』(TDPメンバーIR氏作曲)」観劇
1月8日(木) 夜/横須賀・C店→B店
日本橋女学館高校新校舎舞台設備打合せ・他(TDPメンバーHY氏)
1月10日(土) 夜/横浜関内・W店
「神奈川総合高校10期生同窓会」出席
1月12日(祭) 午後/新宿・紀伊國屋サザンシアター
『ディア・パーヴロヴィィチ』(TDPメンバーAT氏舞台美術)」観劇
1月16日(金) 夜/横須賀・O店
「横須賀市立ろう学校旧職員『小嶋会』」出席
1月17日(土) 午後/麻布十番アトリエ・フォンティーヌ
「別世界カンパニー公演(日本橋女学館高校演劇系列クラスWさん出演)」観劇
1月18日(日)夕方/葉山・IT氏邸
TDPメンバーIT氏と歓談。
1月23日(金)夕方/吉祥寺・NY氏邸
ロマン・ロラン研究誌主筆NY氏と歓談。
1月24日(土)午後/成城大学・7号館
「西洋比較演劇研究会1月例会」出席
1月26日(月)午後/豊島区雑司ヶ谷・雑司ヶ谷霊園
佐野家の墓(祖父・海軍主計中将佐野雄治墓)墓参。
1月30日(金)午後/五反田・DNP映像センター
日本橋女学館高校・卒業公演映像記録など打合せ
(日本橋女学館高校企画担当課長・DNP映像センター室長ほか)


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ココアと紅茶、そして珈琲(二)

2009年01月17日 | 随想
 横須賀唯一のデパート「さいか屋」裏の路地に、「ニューセントルイス」という喫茶店があった。当時としてはモダンな店で、こげ茶色のフローリングの店内にはジャズが流れていた。若松町の「青い城」がココアなら、ここはレモンティーだった。絶妙に淹れられた紅茶は、濃すぎず、美しい色合いだった。砂糖を入れレモンを浮かべると、向かい合う恋人たちはぎこちなくシックなデザインの紅茶茶碗に手を伸ばしたものだ。
 ココアに作者不詳の「ココアの詩」がふさわしいように、紅茶でなければならない詩がある。日本でのヒット曲「別れの朝」(歌・ペドロ&カプリシャス)―。

別れの朝 ふたりは
さめた紅茶のみほし
さようならの くちづけ
わらいながら 交わした
別れの朝 ふたりは
白いドアを開いて
駅につづく 小径を
何も言わず 歩いた
(作詩:F.JOACHIM・訳詩:堀内みち子・なかにし礼 作曲:JUERGENS UDO)

 ‘さめた紅茶’という訳詩が素晴らしい。さめたココアでもさめたコーヒーでも、その世界にはそぐわない。「紅茶」でなければならない文学的表現である。では、コーヒーはどうだろう…、評論家・森本哲郎氏の随筆にそれがあった。

 『開店このかた一度も店に手を加えない、というのがこのコーヒー店のなによりの特色であるのだが、…同じテーブルを前にして、同じ椅子に座る時、なによりもぼくは、過ぎ去った自分の三十年をみつめているのではあるまいか。コーヒーを飲むのと同じように、ぼくはあの店に時間をすすりに行くのだ、とふと感じることがある。』
 
 ‘時間をすすりに行く’これも「コーヒー」であるからこそリアリティが実感できる一節なのだが、口惜しいかな、その店が私には無いのである。もし、名店「ササヤ」が今でもあったら…と思う。肉厚で純白のカップ、濃いめだが香りが良くまろやかな味わいの珈琲、小太りで白髪、めがねの奥の目が優しい寡黙な主人、…もしタイムスリップが許されるなら、私は‘時間をすすりに’ 「ササヤ」へ直行するだろう。そして、当時の横須賀の喫茶店たちにじっくりと身を置きたいと思うのだ。


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ココアと紅茶、そして珈琲(一)

2009年01月08日 | 随想
 高校時代、文芸部で活動した。「驟雨」という伝統の部活誌を刊行するために、原稿を書き、編集し、広告取りのために商店を回り、小さな印刷所に出向いた。私はバドミントン部の部長も務めていたので、いわゆる体育会系で「タテ社会」の先輩後輩の世界の人間であって決して文学少年ではなかったし、図書部の諸君のように古典や名作文学に通じているわけでもなかった。ただ、中学時代から短歌を書いていたことと、文芸部の友人とはウマが合ったこともあって、この「ヨコ社会」の部室に入り浸る次第となったのである。
 3年生の秋ころだったろうか、一人の友人が一篇の詩を教えてくれた。17、8歳という多感な時期である。異性とのチグハグなやり取りに空回りし、自分の能力の限界と見えない先行きに重く沈んだ気分に覆われていた頃で、彼と私は、同じ出身中学校近くの広場のベンチに腰掛けて葉の落ちた桜並木とかつての学び舎を見つめていた。

 悲しいことが いっぱいあった
 人に語れぬ悲しいことが いっぱいあった
 悲しみを忘れるために あまいココアを飲もう

 青春時代を過ごした横須賀には本物の喫茶店があった。本物とは、店構え・内装、主人の品格、そしてもちろん「味」である。若松町にあった「青い城」は、ココアだ。湯気がやわらかく立ちのぼるココアの表面は泡立っていて、薄いカップに口をつけると、あまい香りとともにコクのある味がいっぱいに広がる。店内には、ブラザース・フォアの『グリーンフィールズ』がゆったりと流れていた。 「青い城」はとうの昔に消えて、今、その一角にはビジネスホテルが建っている。その後数十年、この店を超えるココアに出会っていない。けれども、あの味はしっかり私の内に残っているし、あの日友人が教えてくれた詩は今でも時折口ずさむ。
 昨年の正月、彼と伊豆高原に仕事場を持つ共通の友人を訪ねることになり、東海道線の車内であの詩のことに話が及んだ。私は作者が知りたかった。
 『あの詩はさぁ、兄貴が持っていた本の中に載っていたんだよなぁ。お前が作者を知りたいって言っていたから、大阪にいる兄貴に電話で聞いてみたんだ。そしたら、その本のことは覚えてないって言うんだよ…』
 『…そうか、ありがとう』彼に礼を述べながら、私は「心の中に生きている詩」は‘作者不詳’でいい、そう思った。


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