私が担当している「映画演劇論」は、2・3・4年生を対象とした文学部の設置科目であるが、他学部学生も履修可能であり、また、履修外の学部生や院生、卒業生なども聴講希望者として受け入れている。年度によって履修者数の増減はあるが、現在は約50名~70名となっている。
春学期(前期)は「戯曲の面白さを知る」、秋学期(後期)は「感動の要因をつかむ」という講義テーマで授業を行っているが、私の授業におけるスタンスは、映画・演劇の世界と学生諸君との「橋渡し」でありたいというものである。私自身が感銘を受けた劇文学としての戯曲や、生の根源を揺さぶられるほどの衝撃を受けた舞台やスクリーン、美意識を目覚めさせ育んでくれた演劇や映画を紹介し、未だそれらの一級の作品に触れていない若者にその世界を知って欲しいという願いである。たとえその名作を知っていたとしても、それまでの印象とはまた異なった発見があれば、という思いもある。
昨年からは更に、劇場や映画館に出かけてもらい、指定した演劇公演・映画を対象に鑑賞レポートを課題にもしている。この場合も、私が事前に鑑賞した上で学生に薦められる作品を指定している。その基準は、演劇・映画作品として芸術的に優れているか、哲学的なテーマが底流にあるかであり、質の高さにもかかわらずあまり知られていない作品であることも目安にしている。その課題レポートのコピーを読んだ劇団関係者からは、『へたな評論家よりもいいよね』という声が上がっている。こうした取り組みが演劇の創造現場と若い観客との「橋渡し」になればとも思っている。
「映画演劇論」の受講生で特に印象に残ったのは、韓国からの留学生Bさんで、彼女からのメールを一部紹介したい。「…普段では観ることのあまりない演劇を紹介していただき観劇できたこと、授業中に多彩な内容の映像が観れたこと、そして戯曲そのものだけでなく現場の感覚までも聞かせていただいたことなど、私にはとても新鮮で、楽しい授業内容でした。特に作品内容について深く考えさせられた面もあり、単純に授業範囲を超えて実生活の中でも、ふと自分と作品との接点を考えたりしたこともありました。全てとても貴重な体験でした。…今月末で国に帰ってしまうので来学期の先生の授業は聴けませんが、普通の教養や専攻授業ではなかなか得られない知識や体験をすることができ、嬉しいです。…(韓国高麗大学日本語日本文学科3年・慶應義塾大学文部科学省日研生/2005年度)」
「橋渡し」としての授業が、日本の若い世代に止まらず、国籍を超え、多くの若者たちに芸術の素晴らしさとその社会的価値を認識する一つのキッカケになってくれれば、と願っている。
春学期(前期)は「戯曲の面白さを知る」、秋学期(後期)は「感動の要因をつかむ」という講義テーマで授業を行っているが、私の授業におけるスタンスは、映画・演劇の世界と学生諸君との「橋渡し」でありたいというものである。私自身が感銘を受けた劇文学としての戯曲や、生の根源を揺さぶられるほどの衝撃を受けた舞台やスクリーン、美意識を目覚めさせ育んでくれた演劇や映画を紹介し、未だそれらの一級の作品に触れていない若者にその世界を知って欲しいという願いである。たとえその名作を知っていたとしても、それまでの印象とはまた異なった発見があれば、という思いもある。
昨年からは更に、劇場や映画館に出かけてもらい、指定した演劇公演・映画を対象に鑑賞レポートを課題にもしている。この場合も、私が事前に鑑賞した上で学生に薦められる作品を指定している。その基準は、演劇・映画作品として芸術的に優れているか、哲学的なテーマが底流にあるかであり、質の高さにもかかわらずあまり知られていない作品であることも目安にしている。その課題レポートのコピーを読んだ劇団関係者からは、『へたな評論家よりもいいよね』という声が上がっている。こうした取り組みが演劇の創造現場と若い観客との「橋渡し」になればとも思っている。
「映画演劇論」の受講生で特に印象に残ったのは、韓国からの留学生Bさんで、彼女からのメールを一部紹介したい。「…普段では観ることのあまりない演劇を紹介していただき観劇できたこと、授業中に多彩な内容の映像が観れたこと、そして戯曲そのものだけでなく現場の感覚までも聞かせていただいたことなど、私にはとても新鮮で、楽しい授業内容でした。特に作品内容について深く考えさせられた面もあり、単純に授業範囲を超えて実生活の中でも、ふと自分と作品との接点を考えたりしたこともありました。全てとても貴重な体験でした。…今月末で国に帰ってしまうので来学期の先生の授業は聴けませんが、普通の教養や専攻授業ではなかなか得られない知識や体験をすることができ、嬉しいです。…(韓国高麗大学日本語日本文学科3年・慶應義塾大学文部科学省日研生/2005年度)」
「橋渡し」としての授業が、日本の若い世代に止まらず、国籍を超え、多くの若者たちに芸術の素晴らしさとその社会的価値を認識する一つのキッカケになってくれれば、と願っている。