劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

「橋渡し」としての授業

2006年07月23日 | 慶應義塾大学
私が担当している「映画演劇論」は、2・3・4年生を対象とした文学部の設置科目であるが、他学部学生も履修可能であり、また、履修外の学部生や院生、卒業生なども聴講希望者として受け入れている。年度によって履修者数の増減はあるが、現在は約50名~70名となっている。
春学期(前期)は「戯曲の面白さを知る」、秋学期(後期)は「感動の要因をつかむ」という講義テーマで授業を行っているが、私の授業におけるスタンスは、映画・演劇の世界と学生諸君との「橋渡し」でありたいというものである。私自身が感銘を受けた劇文学としての戯曲や、生の根源を揺さぶられるほどの衝撃を受けた舞台やスクリーン、美意識を目覚めさせ育んでくれた演劇や映画を紹介し、未だそれらの一級の作品に触れていない若者にその世界を知って欲しいという願いである。たとえその名作を知っていたとしても、それまでの印象とはまた異なった発見があれば、という思いもある。
昨年からは更に、劇場や映画館に出かけてもらい、指定した演劇公演・映画を対象に鑑賞レポートを課題にもしている。この場合も、私が事前に鑑賞した上で学生に薦められる作品を指定している。その基準は、演劇・映画作品として芸術的に優れているか、哲学的なテーマが底流にあるかであり、質の高さにもかかわらずあまり知られていない作品であることも目安にしている。その課題レポートのコピーを読んだ劇団関係者からは、『へたな評論家よりもいいよね』という声が上がっている。こうした取り組みが演劇の創造現場と若い観客との「橋渡し」になればとも思っている。



「映画演劇論」の受講生で特に印象に残ったのは、韓国からの留学生Bさんで、彼女からのメールを一部紹介したい。「…普段では観ることのあまりない演劇を紹介していただき観劇できたこと、授業中に多彩な内容の映像が観れたこと、そして戯曲そのものだけでなく現場の感覚までも聞かせていただいたことなど、私にはとても新鮮で、楽しい授業内容でした。特に作品内容について深く考えさせられた面もあり、単純に授業範囲を超えて実生活の中でも、ふと自分と作品との接点を考えたりしたこともありました。全てとても貴重な体験でした。…今月末で国に帰ってしまうので来学期の先生の授業は聴けませんが、普通の教養や専攻授業ではなかなか得られない知識や体験をすることができ、嬉しいです。…(韓国高麗大学日本語日本文学科3年・慶應義塾大学文部科学省日研生/2005年度)」
「橋渡し」としての授業が、日本の若い世代に止まらず、国籍を超え、多くの若者たちに芸術の素晴らしさとその社会的価値を認識する一つのキッカケになってくれれば、と願っている。
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自分の拠って立つ所への愛Ⅰ(後)

2006年07月14日 | 随想
(承前)東京文化会館・小ホールに入る。舞台には、二面の琴が置かれている。箏の演奏者が席につき、しばらくして藍川由美さんが登場する。演奏会の趣旨が語られる中で、伴奏にはピアノではなく、琴、中でも二十五絃箏が今回の演奏には必要で、その開発者であり奏者でもある野坂惠子さんの協力が不可欠であったと言う。
演奏会「明治の唱歌とエッケルトの仕事」は、声量豊かで伸びのある澄み切った歌唱と琴の合奏とのアンサンブルが素晴らしかった。情感がこもった硬質なソプラノは、曲の世界に自ら埋没したり、聴衆に押し付けることなく、「世界」そのものが呈示されるので、私たちはその「世界」を純粋に味わうことが出来る。演奏の合間のトークで、明治期の文部省音楽取調掛と外国人雇い音楽教師の活動と仕事ぶりが明かされる。日本の近代化の時代、西洋文明の導入が勢いを増す中で、日本人音楽関係者よりも日本の伝統音楽を高く評価し、ヨーロッパの器楽曲さえも箏用に編曲していたエッケルト。藍川さんは、芸大大学院博士課程の学生だった頃、芸大図書館でその資料と出会った。日本人が120年もの間、放置していたエッケルトの箏二面による伴奏譜である。日本の初期の音楽教育において彼の果たした仕事を再評価しすることで、美しい日本語を再発見し、日本人の伝統を生かした音楽を創り出そうという情熱は、その資料との出会いから数十年経った今でも藍川さんから消えていない。
私は、彼女の情熱と生きる姿勢に<共振>した。それは、「自分の拠って立つ所への愛」を感じたからだと思う。
この「日本音楽の根源的問題の求道者」の音楽会には、さぞ、若い音楽関係者が客席を埋めているだろうと見回したところ、20%ほどに過ぎなかった。偶然、隣に大学院生風の若者(実は教師だった)がいたので、この実態についてどう思うか質問したところ、『学生の大多数は西洋音楽専攻で、その現在の教育内容を受け入れている。自分は藍川先生に勤務先の学校で授業をしてもらっているが、音楽界では、先生は異端の存在である』と答えてくれた。私は彼に礼を述べ、会場で別れた。
雨上がりの清々しい夜であったが、「本質を見つめ、あるべき姿を追求し、それを広く共有することの困難さ」に思いをめぐらせながら、上野駅から家路につくことになった。





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自分の拠って立つ所への愛Ⅰ(前)

2006年07月10日 | 随想
或る雨上がりの夕べ、久しぶりに上野の森へ出掛けた。東京文化会館に向き合うように、セルフサービスのカフェテラスがある。開演前のひと時、濃い緑に目をやりゆっくり珈琲を味わいながら昔を想った。
当時、演劇科の学生だった私は、劇団文化座、そして民藝の公演『炎の人』を立て続けに観ていた。劇作家三好十郎の魂に圧倒され、芸術家としての生き方の厳しさを突きつけられ、自分の甘さを思い、打ちのめされていた。そして、若かった私は「ゴッホ小伝」と副題の付いたその作品の影響をまともに受け、絵の心得など皆無であったにもかかわらず、闇雲に、ここ上野の「芸大・夏期講習(デッサン)」に通ったのである。若気の至りではあったが、中途挫折も含めてその熱い感覚だけは懐かしく蘇ってくる。
さて、開演の時刻が迫ってきたので、文化会館・小ホールに向かう。「藍川由美『美しい日本の歌』演奏会」である。絵画ばかりでなく、クラシック音楽についても素養の無い私が、なぜこの会に足を運んだかというと、次の新聞の記事が目に留まったからだ。
「日本の唱歌研究がライフワークのソプラノ歌手、…歌唱法と言葉の研究までする歌手はユニークだ。オペラ歌手が歌う日本の歌は、なぜ発音が不自然で聞き取りにくいのか-…『西洋風の発声ではおのずと発音も西洋風になる。日本人が日本語の歌を自然に歌い、聴くことができなくなったのは、このことと無関係ではない』。かつての歴史的仮名遣いと発音の関係にも切り込んだ。…」(朝日)
私は演出家なので、言葉のリアリティを重視する。俳優のセリフばかりでなく、オペラ歌手の歌唱にも関心がある。大学や高校で木下順二作『夕鶴』を教える場合、必ず、團 伊玖磨作曲のオペラ上演の記録映像も見せることにしている。授業では触れないが、日本の物語を素材にする音楽劇におけるオペラ歌手の歌唱、その基になる作曲に対してずっと違和感を覚えてきたので、このことに関連するテーマをライフワークにしている藍川さんに惹かれたのである。(続く)



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