劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

西洋比較演劇研究会10月例会

2008年10月26日 | 日本演劇学会
 
 日本演劇学会の研究集会では、演劇教育者としての実践報告、また、演出家としての創造過程等を何度か発表してきたが、分科会の「西洋比較演劇研究会」では、長らく会員でありながら発表の機会はなかった。演劇研究者である諸賢の学術的な発表を聴講するのが楽しみで‘高出席率者’になっているのだが、学者でもない身としてはそれで十分、満足だったのである。
 しかし、舞台制作の現場に携わりながら、大学で学生に「映画演劇論」を講じている者として、どうしても問いかけたいテーマがあったので、今回のシンポジウムを企画し、実現の運びとなった。企画の趣旨は、大学教員と劇団制作者との交流であり、その場が実現できたのは、私と文学座・燐光群の制作スタッフとの数年にわたる交流があったからである。
 「会」は前半、制作担当者の参加の珍しさもあって、活発な質疑応答が交わされ、参会者にとって様々な発見があったようだ。後半は、もう一つのテーマ、会員たちも観劇した「文学座9月アトリエの会公演」についてだったが、演出家および制作者の話と質疑応答・意見交換となり、盛会のうちに終了した。その後は、恒例の立食形式ワインパーティーが開かれ、あちこちで歓談の輪が広がった。
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西洋比較演劇研究会 10月例会  2008年10月4日(成城大学)
【小シンポジウムA】
「大学と劇団との共同作業による<創客>の可能性について」
~慶應義塾大学「映画演劇論」(佐野)と文学座・燐光群との実践報告を中心に~
司会・報告者 佐野語郎(慶應義塾大学文学部非常勤講師)
報告者 最首志麻子(文学座企画事業部)、古元道広(燐光群制作)
【企画要旨】
近年、演劇が多様化し、大都市での公演回数は大小合わせると爆発的に増加したが、一方、ストレートプレイ、特に新劇系劇団の観客層は高齢化が進み、若者たちの芝居離れが進行している。また、小劇場系の翻訳劇上演やアクチュアルな問題をテーマにした公演においても、青年層の関心が高いとは言えない。これまで各大学では文学部・芸術学部を中心に公演案内や優待チケットの取り扱いなど、学生たちに演劇情報の提供や観劇機会の促進を図ってきたが、慶應義塾大学「映画演劇論Ⅲ・Ⅳ」では、受講学生に課題を与え、観劇とレポート提出を授業内容に組み込んできた。その際、劇団制作担当者を招いて、資料の提供およびその上演意図を語ってもらい、観劇後に提出されたレポート内容をフィードバックすることで、若い観客層の反応を届けてきた。言うまでもなく、観客の存在が無ければその演劇は消滅する。創造サイドの劇団が若い観客層に対する<創客>の問題をどう捉えているのか。鑑賞サイドの若者たちに接している大学教師は、冒頭で触れた演劇文化の危機に対してどのように考えているのか。学生たちを劇場へ導くための大学と劇団との共同作業の可能性について探ってみたい。
【小シンポジウムB】
「翻訳戯曲の上演と文学座アトリエの会~『ミセス・サヴェッジ』を中心に~」
発表者 上村聡史(文学座演出部)
報告者 伊藤正道(文学座企画事業部)
文学座9月アトリエの会公演『ミセス・サヴェッジ』を中心に、『焼けた花園』『文学座AWAKE AND SING!』などの翻訳戯曲をなぜ選び、どう演出したか。演出家と制作担当者の報告をもとに行うシンポジウム。(企画要旨は省略)


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本物の映画に出会えた!

2008年10月18日 | 随想
 
 その映画の存在は知っていた。‘観る価値アリ’の勘が働き、新聞の映画広告を切り抜いたことを覚えている。いつもなら忙しさにまぎれて、気がついた時には、上映期間はとっくに過ぎていた、と見逃すことが多い。しかし、この日はポコッと夕方までの時間が空いたので、有楽町スバル座(JR有楽町駅日比谷口前のビル)を覗いてみると、その『宮廷画家ゴヤは見た』が上映中だった。
 映画を観ながら、久しぶりに「本物」に出会えた感動が突き上げてきた。エンドロールが流れている間も身動きできなかったのは、2年前、日比谷シャンテシネで観た『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』以来のことだった。こういう場合、映画館を出てからは、誰にも会いたくないし、しゃべりたくもない。「ひとり」でいたい。盃を片手に、じっくりと思いに沈んでいたい。しかし、生活のため、夕方からの仕事に向かわねばならず、それ以上の贅沢な時間は持てなかった。
 以下は、「本物の映画」の紹介です。読者の皆様に、贅沢な時間をたっぷりと味わって頂けたらと思い、ご案内いたします。
 
 「映画『宮廷画家ゴヤは見た』(原題“GOYA’S GHOSTS”)」は、動乱のスペインの歴史を背景に、政治・宗教・権力の実相と、体制と芸術との関わりをあぶり出し、人間の本質、尊厳、愛を運命の流れの中に見事に描き出しています。製作・監督・脚本・俳優陣は、どれをとっても一級品です。巨匠ミロス・フォアマン監督が50年間温めてきたアイディアを発酵させ実現した名画、深い思想と映画ならではの表現技法、各スタッフの優れた仕事、これ以上は無いという配役、監督の期待に応えた俳優の演技、…。
 なお、現在、都内を初め各映画館で上映中(11月上旬まで?)なので、劇場案内・内容などについてはホームページ(www.goya-mita.com)を開いてみてください。


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集まり散じて~早稲田での夕べ~

2008年10月14日 | 随想
 東京ドラマポケット本公演を終えた翌週、久しぶりに母校のキャンパスをぶらついた。夏季休業中の9月初めなので、まだ学生の姿もまばらである。大学構内の静寂なたたずまいに、60年代後半をここで過ごした者として感慨を覚えざるを得ない。当時は、時季を問わず、大隈通りも銅像前も学生たちであふれかえっていた。セクトの立て看板が乱立し、ハンドスピーカーのシュプレヒコールがこだましていた。喧騒と熱気が渦巻いていた闘争の早稲田は、いまや夢物語である。
 坪内逍遥博士記念演劇博物館も休館だった。通りがかりの‘後輩’ に声を掛けてみると、快くシャッターを切ってくれた。この「演博」の閲覧室には、卒論の準備で毎日のように通ったし、学芸員だった先輩を度々訪ねたことも懐かしかった。思い出深いのは、近くにある政経学部の建物である。階段を数段下りると、右側に数箇所の支払い窓口があった。日本育英会の奨学金の支払日になると、われわれ奨学生は手帳を片手に一列に並び、窓越しのS銀行の行員たちが「貸与額」を支払ってくれた。その一角の暗い印象は40年前そのままだったが、現在その窓口は使用されていないようで、長い板が打ち付けてあった。
 さて、陽がかげる頃、大隈講堂の手前奥、鶴巻町の蕎麦屋へ向かった。以前から明星大学のO教授(ドイツ演劇)と小さな会を企画していたのだ。早稲田でかつて学んだ者といま学んでいる者とが集まって「早稲田の蕎麦屋で語ろう」という会である。参会者を絞るために、共有できる何かが必要に思われたので、東京ドラマポケットVol.1「音楽演劇 オフィーリアのかけら」の公演にした。劇場(新宿シアター・サンモール)という空間で、上演スタッフとして、また、観客として、同じ時間に同じ空気を吸った者同士ということで…。
 参会者は、まず、私、演劇科で同期のT氏(月間「ドラマ」編集長兼発行者)とO教授の年配者組。そして、文学部出身のKさんとHさん、理工学部大学院在学のOさんと文学部在学のW君の若者組である。若者たちの内3名は神奈川総合高校の教え子であるが、Oさんだけは別で「再会」は偶然だった。終演後の劇場ロビーで、演出助手を務めてくれたHさんと歓談していた女性が突然私を見て声を上げた。『あっ、佐野先生!どうしてここに…?』私がこの芝居の演出者だと告げると、『え?え、そうなんですか?』とまた眼を丸くした。無理もない、Oさんは、彼女が小学生の時に塾で国語を教えた女の子であった。10何年も前の塾の先生が、突然友達の芝居の演出者として登場したのだから驚かない方がおかしい。
 蕎麦を手繰りながら、酒を酌み交わしながら、会は楽しく過ぎていった。年代を超えて、母校を共にする者同士が演劇の話で盛り上がる…愉快な夕べであった。

*写真左は、早稲田大学構内。写真右は、「早稲田の蕎麦屋で語ろう会」。


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「無」から「有」へ~線と面~④

2008年10月06日 | 創作活動
 ‘神懸かり的な展開’は、配役決定までの過程ばかりではなかった。演奏家の構成もアトリエ公演時とは変わったため、音楽監督が決定までには思いがけない巡り合わせを経験したようだ。さらに、スタッフ参加の輪の広がりも後から考えると恐ろしいぐらい奇跡的だった。新たに立ち上げた「演劇ユニット」であるため、コアメンバー以外、当初、スタッフ体制はまったく整っていなかった。旧知の舞台監督をはじめ、演出部・制作部のメンバー、小屋入り後のスタッフも、こちらからの呼び掛けだけでなく、本人からの申し出もあって、徐々に充実した組織になっていった。照明・音響・衣装・宣伝美術・宣伝写真・映像記録、所作指導・演技アドヴァイザーの方々…総勢40名のスタッフである。
 本舞台で演じる5人の役者、紗幕の下がった奥舞台で奏でる8人の演奏者、その背後で40人のスタッフが各自の持ち場で関わっている。客席で150名の観客がその舞台を見つめる。わずか90分という上演時間に掛けられる時間とエネルギーとお金…贅沢だ。経済効率から見たら、これほど滑稽な‘無駄’はないだろう。けれども、「これ人はパンのみにて生くるものにあらず」である。その‘贅沢’にかける思い、その‘贅沢’からもたらされた悦びは、終演後のロビーに溢れている。

【速報!近刊 「東京ドラマポケット公演 BOOKLET vol.1 ―音楽演劇 オフィーリアのかけら―」】
B5フルカラー20ページ(代表者・演出家・音楽監督の言葉、演劇人・演劇研究者から寄せられた劇評、舞台美術・衣装・ヘアメイクのデザイン、稽古場風景、出演者・演奏家紹介、上演記録、ほか)
お申込み・お問い合わせは、info@tokyo-drama-pocket.com、または、私(sano560@ybb.ne.jp)まで。

*写真は、東京ドラマポケットvol.1「音楽演劇 オフィーリアのかけら」
 終演後のロビー風景(新宿/シアター・サンモール)。
  


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