人間は自分の存在を確かなものとして感じたい。しかしそれには他者による承認や支持が必要で、「自分は受け入れられている、この世に生きている」という実感はそこから生まれる。人間が社会的動物といわれる所以だ。
そのことは芸術作品にも当てはまる。いかに芸術性に富んだ作品でも、誰一人としてそれに目に留めなければ、そして後世に残らないとしたら、それは存在していなかったと同然、虚しく消えてしまう。
文学は書物としてその世界を留めることができる。建築や絵画を中心とした美術は、破壊や焼失などから免れればその姿を残すことができる。しかし、音楽は演奏されている間だけ生きていて終了すればその実体は跡形も無くなる。演劇にしても同様、幕が下りれば観客の脳裏にしか残らない。
ただ、音楽はレコード・CDなど記録媒体によってその演奏を伝えることはできるし、映画はもともと「活動写真」なのでフィルムやデジタル媒体によってその姿を完全に再現できる。一方、演劇やオペラという舞台芸術はそうはいかない。上演を撮影したDVDは映像資料に過ぎず、その概要は伝えられても劇場での直接体験には遠く及ばない。それでも、上演記録として広く知ってもらうという点で映像資料にも意義があるとも言える。
東京ミニオペラカンパニー公演vol.2『雪女の恋(初演)』(東京文化会館小ホール/2019.2.25)が盛大なるアンコールをもって終了した後、指揮者から手紙があった。『新作オペラの初演、良い台本と良い作曲、歌手・合唱・オーケストラ、そしてお客様の感動、すべてが揃うことは本当にまれです。』…このマエストロの思いは上演に関わったメンバーに共通のもので、後援・マネジメントの東京二期会事務局からも次のような報告メールがあった。『入場者数は一般 461 学生22 招待券24 合計 507名 座席数649なので78.36% 18:30 開演 (休憩19:31-19:47) 20:50終演 完成度の高い素晴らしい作品に仕上がり、大好評でブラボーも沢山かかってよかったですね。』…平日月曜日の公演が満席に近い状態だったことは珍しいとのこと。
無名のオペラユニットにとって一般の集客を当てにすることは難しい。出演者をはじめ上演関係者が周囲の方たちへの広報およびチケット販売にいかに努めたかが分かる。また、当日回収されたアンケートや次々とメールで寄せられた「客席からの声」はこの新作オペラに対する共感と感動にあふれていた。
…これが一晩で消えてしまう。日本語による新作オペラの再演は容易ではない。個人プロデュースとしては経費面から1回公演が限度であり、また、一般のオペラ団体や劇場主催のレパートリーは集客面からポピュラーなグランドオペラに絞られ、母語による新作が取り上げられることは見込めない。そこで、せめてこの『雪女の恋』を中心に東京ミニオペラカンパニーの活動を一冊の本にまとめたいと考えた。『雪女とオフィーリア、そしてクローディアス 東京ミニオペラカンパニーの挑戦』(幻冬舎・刊)は一般図書として発売されたが、同時に<学術研究資料>として演劇・音楽関係の学部を擁する全国の大学および日本演劇学会、東京二期会などに寄贈された。すると、昨年、日本演劇学会から「演劇学論集 紀要71」の新刊紹介ページへの掲載」の連絡が入った。個人出版の図書が公的機関の出版物に「記録」として残り、消え去る運命の公演作品が命を留めたことになった。
さらに、今年に入って「日本のオペラ年鑑2019」が届けられた。文化庁委託事業「令和2年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」として、昭和音楽大学オペラ研究所がまとめたものである。一昨年の日本全国のオペラ上演の実態を1年間かけて蒐集・整理して論評を付した貴重な記録で、東京ミニオペラカンパニーの『雪女の恋』についても<2019年の公演より 舞台写真集><オペラの公演記録/Ⅱ.中小規模会場公演><日本初演オペラ一覧>に掲載されており、特に<2019年のオペラ界/その他の公演より(東京)>の『雪女の恋』に対する舞台評(関根礼子氏)には励まされる思いであった。上演関係者はこのオペラ年鑑の記事に接し、『雪女の恋』再演の道を探り始めた。作曲者と台本作者は、この作品の更なる完成度のために協働することになった。
「演劇学論集 紀要71」そして「日本のオペラ年鑑2019」における<記録>が、消え去る運命にあったオペラ作品を蘇らせる力を秘めていることを示したのである。