ある日、私はシャンプーハットを求めて新宿や渋谷の街を歩き回っていた。入浴時の洗髪の際、シャンプーが目に入らないように被るウレタン性の「輪っか帽子」だ。近代小説の祖ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラが書いた世界的名作の主人公名を冠したふとどきな安売り店をまず覗いたが、「輪っか帽子」は無かった。次に、コーポレートカラーが黄色地に黒、店名が英語で‘屋根裏部屋’を意味する大型店にも寄ってみたが、やはり無かった。『今の時代、幼児を風呂に入れる際、シャンプーハットは使わないのか、いやきっと需要はあるはずだろ』などとブツブツ呟いた瞬間、『あっ、百貨店だ!』とちょっと閃いて、渋谷駅直結の老舗のデパートに行ってみた。あった!それも大人用の「輪っか帽子」があったのだ!値段は900円くらいで安くはなかったが、お目当ての品物を入手できた満足感に浸りながら山手線に乗り込んだのであった。
母は97歳になる明治の女性で、激動の昭和を生き抜いてきた名もない日本人の一人である。当時としては晩婚(29歳)だったため、一粒種の私を慈しみながら育ててくれた。数々の苦労に遭遇しても、本質的に楽天的な性格のためか、暗く落ち込むようなことはなかった。その明るさを見つめることで、私は生きていくことへの安心感と人生に対する肯定観を得ることが出来た。70、80になっても、大好きなテレビを見る時間以外は、じっとしていることはなく立ち働く毎日だったが、さすがにこの数年は様子が変わった。腰を痛めてから歩行も困難になり、トイレに立つのがやっとである。それでも、介護のヘルパーさんたちは、口をそろえて、『このお歳で受け答えもしっかりしているし、英(ひで)さんは立派ですよ』と言ってくれる。
私は「二粒種」に恵まれた。二人の息子は、今は成人し社会人となっていて、時折、一席設けて酒を酌み交わしながら音楽・ダンス・演劇の話をしたりしているのだが、そんな時にも、私の脳裡には彼らが幼い時の映像が浮かんでいる。夕暮れ時、団地の狭い浴室、湯船ではしゃぐ幼い兄弟、…30代初めの父親は声を掛ける。『スイカは?←ウォーターメロン!』『リンゴは?←アップル』。親バカもいいところである。兄にシャンプーハットを被せ、シャンプーを垂らして泡立てる。ザバーッと湯をかけて洗い流す。『はい、交代!』弟がニコニコしながらシャンプーハットを自分で被る。幸せな思い出である。
あれから30数年が経ち、今は老いた母がシャンプーハットを被っている。子供用から大人用へ、わが子からわが母へと代わったが、洗髪される方にとっても、洗髪をする側にとっても、この「輪っか帽子」はなかなかいいものなのである。
母は97歳になる明治の女性で、激動の昭和を生き抜いてきた名もない日本人の一人である。当時としては晩婚(29歳)だったため、一粒種の私を慈しみながら育ててくれた。数々の苦労に遭遇しても、本質的に楽天的な性格のためか、暗く落ち込むようなことはなかった。その明るさを見つめることで、私は生きていくことへの安心感と人生に対する肯定観を得ることが出来た。70、80になっても、大好きなテレビを見る時間以外は、じっとしていることはなく立ち働く毎日だったが、さすがにこの数年は様子が変わった。腰を痛めてから歩行も困難になり、トイレに立つのがやっとである。それでも、介護のヘルパーさんたちは、口をそろえて、『このお歳で受け答えもしっかりしているし、英(ひで)さんは立派ですよ』と言ってくれる。
私は「二粒種」に恵まれた。二人の息子は、今は成人し社会人となっていて、時折、一席設けて酒を酌み交わしながら音楽・ダンス・演劇の話をしたりしているのだが、そんな時にも、私の脳裡には彼らが幼い時の映像が浮かんでいる。夕暮れ時、団地の狭い浴室、湯船ではしゃぐ幼い兄弟、…30代初めの父親は声を掛ける。『スイカは?←ウォーターメロン!』『リンゴは?←アップル』。親バカもいいところである。兄にシャンプーハットを被せ、シャンプーを垂らして泡立てる。ザバーッと湯をかけて洗い流す。『はい、交代!』弟がニコニコしながらシャンプーハットを自分で被る。幸せな思い出である。
あれから30数年が経ち、今は老いた母がシャンプーハットを被っている。子供用から大人用へ、わが子からわが母へと代わったが、洗髪される方にとっても、洗髪をする側にとっても、この「輪っか帽子」はなかなかいいものなのである。