劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

「音楽演劇」から「ミニオペラ」へ(後)

2016年06月12日 | オペラ
 上演活動を終えた「東京ドラマポケット」は、≪演劇ユニット≫であった。主宰者(脚本・演出・制作=佐野)を中心に、舞台監督・美術・照明・音響・制作統括のメインスタッフは固定メンバーだったが、出演者は公演ごとに声掛けをし参加してもらうことになる。一つの公演を目指す数十人の有機的集合体を形成するのはかなり困難な作業だ。
人間関係や経済的な問題以上に、スケジュール調整がことのほか難しい。プロデュース集団の場合、各自がそれぞれの仕事場や帰属する劇団から集まってくるので、稽古日程を立てるのに一苦労する。例えば5人の場面。3人はOKでも、だれかとだれかが来られず、その日の稽古は出来ない。いきおい、稽古期間は数カ月におよび、役者の拘束期間が長くなる事態が発生する。そうした条件下で芝居のアンサンブルを作り上げるのは並大抵のことではない。
 さて、<無名の小団体>による小オペラであるが、脚本と作曲という創作面での進行はスムーズに運んだが、いざ上演態勢へという段階で種々の問題が表れた。その小団体は、クラシック歌手たちを集め彼らのレパートリーをプログラムに組みこんでコンサート活動を続けていたのだが、本格的な創作オペラは経験がなかった。「名曲コンサート」の場合と異なり、たとえ小オペラとはいえ創作ものとなると、暗譜に時間をかけたり、集まってピアニストと練習したり、全員でリハーサルをしなければならない。経済的にもスケジュール調整の上でも、<持ち歌>をぶっつけ本番で歌うのとは大違いなのである。結局は、事務所所属のしばりなどスケジュール調整不能によりこの企画は白紙となった。
 こうして1年かけた台本と楽譜が宙に浮いてしまったが、なんとか上演の道はないか、できれば小規模の音楽専門ホールで…私と作曲家は動き出していた。そうした中、偶然あるコンサートで一人だけ心に残る詠唱を聴く。ショーソン『果てしなき歌』を歌われたソプラノ宮部小牧氏だった。私はその後宮部さんと会う機会を得て、台本と楽譜をお渡し、声楽表現中心の「ミニオペラ」上演への協力をお願いした。
 上演の成否は、まずソリストの皆さん(テノール・バリトン・ソプラノ・メゾソプラノ)が親密な関係にあることだった。宮部さんは東京芸術大学音楽学部卒業のご友人、ごく親しいソリストの方に声をかけてくださった。そのお蔭でメンバーはそろうことになったが、もう一つの鍵となる公演制作の実務をどうするかが問題だった。しかし、これも後日、ソリストが所属する東京二期会の事務局により「後援・マネジメント」公演としての許可が下りた。
 こうして紆余曲折を経た「ミニペラ『悲恋~ハムレットとオフィーリア』公演」は、東京二期会のコンサートラインアップに加えられることになり、9月3日(土)東京虎ノ門「JTアートホールアフィニス」(午後5時開場)にて幕を開ける。これからチケット販売などの制作活動、スタジオでの練習、ゲネプロ、本番…とエネルギーを要する日々が続く。この公演を皮切りに立ち上げた「東京ミニオペラカンパニー」は、やはりプロデュース集団であるため、多忙なソリストたちのスケジュール調整が一筋縄ではいかない。それでもプロ意識をもって充実した稽古が積めるに違いない。
 「音楽演劇」から「ミニオペラ」へ、演劇から歌劇へ。俳優の演技から歌手の演唱へ。これまでと比べ、演出上、音楽の表現が前面に出ることになる。舞台美術(装置・照明・衣装)が捨象され、演奏会形式に準じた歌唱とピアノ演奏のみになるからだ。


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