「演劇における音楽」というモチーフは、数十年前の<ストレートプレイにおける生の音楽>を端緒として、近年の<音楽演劇というジャンルの開拓>、<音楽演劇の追求と展開>へと向かい、<全体演劇の復活>をもって終止符を打つことになった。
では、「オペラにおける演劇」というモチーフはどうか。
半世紀以上も演劇畑に身を置いた私がどうしたことがキッカケでオペラに関わることになったのか。オペラは歌劇と名付けられてはいてもクラシック音楽のフィールドに属するのに、なぜ「ミニオペラ」というジャンルに意欲を燃やし個人プロデュースまで担うことになったのか。
その経緯および理由は当ブログの「語られる歌と歌われる音楽」(2017年8・9・10月)などに詳しいが、オペラの専門家による客観的な視点からその上演活動や創作内容を批評した論考が、近著『雪女とオフィーリア、そしてクローディアス 東京ミニオペラカンパニーの挑戦』(2019年・幻冬舎刊)に収められている。
※「音楽演劇『オフィーリアのかけら』からミニオペラ『悲戀~ハムレットとオフィーリア』へ(206ページ)/『雪女の恋』から『クローディアスなのか、ガートルードなのか』へ(244ページ)【森佳子 オペラ研究者 早稲田大学・日本大学非常勤講師(音楽学)、早稲田大学イタリア研究所招聘研究員】
また、同書には「オペラにおける演劇」をいわゆるグランドオペラにおける演劇性ではなく「ミニオペラ」という小歌劇ならではのドラマ性や劇的展開について、さらに「日本語オペラ」の可能性と重要性について制作サイドから述べられた文章がまとめられており、以下にその一部を抄録する。
…戯曲をオペラ化するのではなく初めから歌劇のための脚本を、演劇のセリフに付曲するのではなく歌唱されるための日本語の詞が書かれなければならない。そのためには作曲家との創作上の協働作業が不可欠である。演劇と音楽の骨法は異なる。その構成や表現法にはそれぞれ別の常識がある。『雪女の恋』の執筆は、作曲家とのやり取りに相当の時間を要し第八稿の段階で確定稿となった。…【佐野語郎 劇作家・演出家 東京ミニオペラカンパニープロデューサー】
…私なりのオペラもあるような気もしていた。それはきっと、非常にわかりやすく、オペラを初めてみた人にも即座に親しみをもってもらえる作品だろう。佐野語郎氏の台本はそういった私の考えに「ぴったり」だった。インスピレーションをかき立てられる 言葉、シンプルだけど奥が深い表現、厳選された心理描写…作曲は概ね順調に進んだと思うが、克服しなければならない課題があった。…【鳥井俊之 作曲家・ピアニスト 聖徳大学音楽学部教授】
…東京ミニオペラカンパニーの目指すところは、「うた」ということに尽きるのだと思う。オペラの舞台から不用なものを差し引いてゆくと、最後に残るのが人間の声。「うた」で人間を表現できる声。私の演出の仕事は、うたに潜むドラマを引き出し、うたを支える身体を発見し、ギリシャ古典劇以来、舞台芸術が創り上げてきた様々な演技の様式を、その発想にまで溯り、単なる型でも形でもない、身体感覚のリアリティとして捉え直す作業にあった。…【十川 稔 オペラ演出家 東京藝術大学音楽学部、二期会オペラ研修所にて舞台演技を指導】
…『雪女の恋』に現れる情景も心理も、「静寂」の中でこそ気付けるような繊細で豊かな情感に満ちています。普通の生活であればそれは自分一人の感覚でしかありません。それを音楽表現として拡大して客席の皆様にも感じ取って頂き、共有出来るようになるというのが、オペラという芸術の素晴らしいところであると思います。日本語ならではあるいは日本人ならではのオペラ表現をお楽しみ下さい。【佐藤宏充 指揮者 東京藝術大学音楽学部非常勤講師、二期会オペラ研修所講師】
…美しい日本語による歌と、本質に即したシンプルな舞台で新しいドラマを作り出す…!大きな舞台や装置、様々な演出、時には舞踏などもオペラの楽しみの要素ですが、心動くドラマを伝えることが最も重要だと考えます。基本的に「音とうた」で全てを表しながら、演劇的にも納得のいく芝居を展開する…それによりドラマが色濃く表出される舞台を創ることが、今回の目標と言えるでしょう。【宮部小牧 オペラ歌手(ソプラノ) 二期会・声楽アカデミー会員、聖徳大学・フェリス女学院大学講師】