劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

新・活動模様日記風摘録の「続き」2

2009年05月31日 | 随想
4月27日(月) 夜/信濃町・文学座アトリエ
「文学座4月アトリエの会『犀』」観劇(バックステージ・ツアー/慶應学生引率)
5月2日(土) 午前/渋谷・ユーロスペース
「映画『マリア・カラスの真実』」鑑賞
5月6日(火) 午後~/品川・ホテルパシフィック
「演劇ユニット 東京ドラマポケット公演№2劇構成」執筆
5月7日(木) 午前/川崎・アートガーデンかわさき
「第35回記念 秀華書展」鑑賞*鈴木幽峰氏と歓談
5月10日(日) 夜/渋谷・7thFLOOR
「キオクノオト2ndAlbum『g6hk6s』発売記念ワンマンライブ・
遠のく沖(トオノクオキ)vol.2」鑑賞
5月13日(水)午前/日本橋馬喰町・清水建設事務所
「日本橋女学館高校・新校舎ホール設計打合せ」舞台機構技術顧問H氏ほか。
5月16日(土)午前/新宿・N店
「第2期演劇ユニット 東京ドラマポケット(TDP)/制作部・演出部会議」参加
5月17日(日)午後/池袋・シアターグリーン
「ルナパンクヴァリエーションズ公演(神奈川総合高校卒業生Sさん出演)」観劇
5月20日(水)夜/三田・慶應義塾ファカルティクラブ
「美学・芸術学関係講義担当者懇親会」出席
5月23日(土)午後~夜/逗子・蕎麦屋→葉山・I氏邸
TDPメンバーI氏およびお仲間と歓談。
5月25日(月) 夜/新宿・紀伊國屋ホール
「文学座公演・北村和夫追悼『花咲くチェリー』」観劇
5月29日(金) 夜/両国・シアターΧ(カイ)
「Χレパートリー劇場『OGURIとTERUTE』」観劇
5月30日(土)午後/成城大学・2号館
「西洋比較演劇研究会5月例会」出席
夜/横浜南太田・R店
「高校同期『語朗会』~鈴木先生金婚式お祝い~」出席


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高校恩師との絆~50年~

2009年05月18日 | 随想
 昭和34年(1959)、皇太子殿下と正田美智子さんご成婚の馬車パレードがテレビ放送で流れていた頃、私は15歳、横須賀市立商業高等学校(現・横須賀市立横須賀総合高等学校)に入学したばかりだった。各学年4クラス、私は1年D組で、担任は新婚間もない27歳の鈴木和昭先生、溌剌とした青年教師だった。あれからちょうど50年、私はあっという間に「還暦」を通過し、先生も「喜寿」を越えられた。早生まれの私は申年だが、同期の仲間はほとんど未年で、先生も未、つまり、私たち教え子は先生より一回り下となる。
 日本が戦後の復興をなし社会的安定期に入っていたとはいえ、まだ庶民の生活は貧しかった。子どもたちの進路は、中卒が三分の一、高卒と大卒もそれぞれ三分の一の割合だった。学習意欲があっても、大学進学はもちろんのこと、高校進学でさえ、親の経済力を考えねばならない時代だった。それだけに、高校時代を満喫できた私たちは幸せだった。そして有難いことに、「恩師」と呼べる先生と出会えたのだ。授業に対する熱情と誠実さ、曲がったことは大嫌いで厳しいと一面もあったが、生徒に対する愛情の深さと人間としての謙虚さにおいて、他の教師とは比較にならなかった。
 私たちは卒業後まもなく男ばかり9人で「語朗会(かたろうかい)」を結成した。定期的に集まり、旅をし、飲み・語り・歌い続けてきたが、鈴木先生も「長瀞小旅行」(私たち19歳時)から、こちらがお声を掛けると必ず参加してくださった。先生は、酒は嗜まないが、歌はお好きで今でもその美声を聴かせてくださる。
 鈴木和昭先生の担当教科は国語と書道で、長らく高校教育に携われた後に、東京家政学院大学教授を務められて教員生活を終えられた。先生はいつお会いしても若々しい。それは何故か。生涯、情熱を傾注できる対象をお持ちだからである。先生の場合は、「書道」である。雅号は、鈴木幽峰。横浜国立大学で、師・中山鶴雲先生に学ばれてから一貫して「書」に生きてこられた。私たち教え子は、小旅行(年に一回)でご一緒するたびに、車中で、眼を輝かせながらお話される恩師にお目にかかれる。話題は、これから取り掛かろうとされている「書」についてである。
 先週、先生主催の書展(「第三十五回記念 秀華書展」JR川崎駅前アートガーデンかわさき)に足を運んだ。先生はにこやかに出迎えてくださり、最新作の案内をしてくださった。学校統合で今は消えた母校の白い木造校舎、教室で黒板を背に陶淵明の漢詩や若山牧水の短歌を語る若き日の先生の一挙手一投足が眼前に思い浮かぶ。
 気がつけば、あの日から半世紀が経っている。それでも私たちは先生と繋がっている。青春の学び舎で同じ時代を共有したこと、卒業以後の親しく楽しい交遊の歴史、がある。しかし何よりも、鈴木先生には「書」があることによる「若さ」があるからだ。
 作品の解説をしてくださった折、『佐野君、米寿(88歳)の書展開催を目標にしてみるかな』と微笑みながら言われた。…先生が大きな和紙を前にして、筆にたっぷりと墨を含ませるお姿、その気迫を想像し、襟を正す思いを胸にしながら書展会場を後にした。

*写真右は、書展会場入口、鈴木先生と私。写真左は、鈴木幽峰書「爨(かまど)」。写真下は、「書譜(孫過庭の書論)」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『マリア・カラスの真実』を観る

2009年05月03日 | 随想
 渋谷の「ユーロスペース」は、国内外の貴重なドキュメンタリー作品を上映し続ける老舗の映画館である。以前は、渋谷駅南口近くの坂道のビル内にあったが、今は<東急文化村交差点左折>に移っている。こうした「ミニシアター」にいつでも通えて視野を広げられることを思う時、東京が生活圏であることの幸せ、有難さをしみじみと感じる。
 今回もまたこの「ユーロスペース」で、優れたフィルムに出会えた。『マリア・カラスの真実(原題CALLAS ASSOLUTA)』フィリップ・コーリー監督・2007年仏。ヴェネツィア映画祭・トロント映画祭出品。『マリア・カラス。オペラファンでなくても、一度はその名を聞いたことがあるであろう20世紀最高の歌姫<ディーヴァ>。華やかな名声とスキャンダラスな伝説に彩られたオペラ歌手。…この映画が今までに数多く作られたカラスのドキュメンタリーと決定的に違っているのは、カラスを“無敵なようでいて、実はガラスのようにもろく壊れやすい一人の女性”として描いていることだ。監督は、カラスを知る関係者のインタビュー証言集ではなく、アーカイブ映像を交えながら、本人の生の言葉などで、その足跡をたどり構成する手法を取った』(上映パンフレット/INTORODUCTIONより)。
 私がこのドキュメンタリーを観て思ったことが三つある。
 まず、カラスの生い立ちと少女時代に、やがて不世出の大歌手となる土台があったことだ。男の子の誕生を期待されて生まれたために母に愛されず内気な少女に育ち、「かつてオペラ歌手を志した」母は、末娘を歌手への道に進ませる。『14歳でギリシャに戻ったカラスはアテネ音楽院で最年少の特待生となる。“完璧で素直で知性に溢れ熱心で音楽的な生徒でした”と指導教官のエルヴィラ・デ・イダルゴは言う』(同上映パンフ/REVIEW)。誰よりも早く教室に来て最後まで一人残ってピアノ練習や楽譜研究に取り組み、1回レッスンすれば次の日には完璧になっていた、という。内気な少女は歌の演奏に「自分の住む世界」を発見し、抑圧されていたエネルギーをそこに注ぎ込めたのではないだろうか。
 次に、オペラ芸術における歌唱と演技に対する貪欲なまでのこだわりである。3オクターブまで出る声を美しく自在に奏でる歌唱力に止まらず、舞台に佇む圧倒的な存在感、彫りの深い顔と眼力、しなやかな身のこなし…は、歌手であると同時に女優であり、オペラの時空を豊かに現出する稀有な才能であった。『椿姫』にしろ『ノルマ』にしろ、激しくまた切なく、恋に生きる主人公である。これらのヒロインに命を吹き込めるのは、歌手本人の体験とそれへの葛藤が深い場合に限られる。男性との出会いと別れが切実なものであり、恋に身を焦がし、悲嘆にくれ、絶望にさ迷う実体験こそがリアルな表現の源泉になる。しかし、それだけでは、聴衆が17回ものカーテンコールで絶賛する舞台は生まれない。入念なリハーサル、演出者や指揮者が『もういいでしょう、あなたは自分に厳しすぎる』と言っても、納得するまで続ける稽古、芸術に対するその完ぺき主義の精神を持ち続けたからこそのものである。
 最後に、偉大な芸術家も時代の移り変わりとともに去っていくということだ。『60年代になると新しい世界が始まる。芸術の世界から聖なるものが追いやられテクニックが重視されるようになった。テレビを代表とするメディアの世界では尊大な振る舞いの女神は不要であり許されなかったのである』(上映パンフ/DIRECTOR’S NOTE)。スポンサーの権限、細切れの時間、番組優先主義など、およそ良質の作品を生み出すべく基盤は崩れ去ったのだった。マリア・カラスは仕事を失い、愛人に先立たれた後、1977年9月浴室で倒れているところを発見される。失意のうちに閉じた53歳の生涯であった。波乱万丈の生涯と劇場で歌い聴衆に応えるという身を削るような日々は大歌手の命を縮めたのであろう。シャンソンのエディット・ピアフは47歳、演歌の美空ひばりは52歳でこの世を去っている。
 『カラスほどの卓越した歌唱と個性、そしてその生き方そのものがオペラのようにドラマチックな歌手はカラス以前にも以後にも現れない。歌が上手い歌手はいくらでもいるが、その生き方までもが、オペラのように劇的なヒロインとなりうるのは、カラスしかいないのだ。その歌声はダイヤモンドのように輝きを失わず、ギリシャ悲劇さながらの人生が、彼女をより伝説化させるのである』(INTORODUCTIONより)。
 【『マリア・カラスの真実』5月8日まで/10:00~11:30、「ユーロスペース」にて1回上映。5月9日より「渋谷シアターTSUTAYA」(「ユーロスペース」と同じビル内)にて上映】

 *写真は、「ユーロスペース」外観とロビー掲示板、上映パンフレット。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする