年の瀬、祖父母・両親・孫たち三世代が茶の間に集まりテレビを見て楽しむ。視聴率80%前後のその国民的行事「紅白歌合戦」は10年ほどで衰退してゆく。高度経済成長期に入り、老親は田舎に残り親たちは子供とともに都会で生活し始める。大家族は崩壊し、核家族が一般的になる。祭りなどの年中行事や共同体から抜けて、「隣は何をする人ぞ」のアパートやマンションにそれぞれが閉じこもる。
孤立し何かに追われるような社会風潮が広まり、人と人とのつながりがバラバラになったことで、世代ごとに歌のジャンルも多様化していった。学生運動のうねりはフォークソングを生み、時代への異議申し立てはロックンロールを、内面の孤独はニューミュージックを生み出していった。また、アイドルやグループサウンズに夢中になる若者も増えていった。
昭和歌謡の場合、聴く者はその詞に描かれた世界や主人公の悲哀を共有するのだが、それ以後のJ-POPというジャンルは、歌手本人のメッセージや情景に共感しながら自分をオーヴァーラップさせる。旧世代は一人ひとりが歌の世界にじっくり向き合うのに対して、新世代はファンが一体となってコンサート会場を埋め尽くしペンライトを振る。こうして、「歌」のジャンルも楽しむあり方も世代によってまちまちになったのである。
さて、最近、「昭和歌謡がいま熱い」などというキャッチフレーズを番組表で見かけるようになった。時代遅れのはずの歌謡曲・演歌がテレビ画面から消えないのは、高齢化社会に浸透しているためなのか、演歌に関わる制作会社・作詞家・作曲家・歌手の生活が懸かっているからなのか、おそらくその両方なのだろう。しかし、旧世代の私はこれらの番組を見ない、パスしている。なぜか。そこには「痛み」のことばは内在しておらず、「歌としての真実」がどこにもないからである。新世代の歌い手たちが<自分なりに歌ってみせている>だけなのだ。
昭和歌謡は過去のもので、オリジナル曲に命を吹き込んだ歌手たちの多くは他界している。したがって、令和の出演者たちはそれらを「カヴァー曲」として歌うことになる。いくら歌が上手くても、個性的な世界を持っていても、オリジナル歌手の「ことば」にはならないので、空疎で表面的な歌になってしまうのだ。ここには「歌」というものに対する根本的な認識が欠落している。
歌は心の叫びである。詞と曲を通した歌い手の内面の爆発なのだ。そこには<自分だけしか歌えない>という熱い自負が充満している。無名の歌手、売れない歌手、新人歌手は、デビューまでの下積み生活が長い。昭和歌謡の場合、作曲家の邸宅に間借りして身の回りの世話や運転手、雑用係に数年を費やす場合が多く、その間、歌のレッスンは無い。師匠はじっと弟子の人間性・個性を見つめ続け、ある日、「一曲」を渡す。本人の音域や歌唱の個性ばかりでなく、詞を表現できる内なる言葉があるかどうかを見極めた上でのことだ。その彼(彼女)にしか歌えない歌、その本人だからこそ「歌としての真実」が生まれるレッスンが始められる。
昭和も後半に入った時期のヒット曲を例に挙げてみる。
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18歳になった時、コンセプトアルバム『365日恋もよう』<少女から大人の女に成長していく1年間を12曲で描く>が企画発売される。その12曲目が『津軽海峡冬景色』だった。阿久悠がタイトルを先行させ、三木たかしが作曲、それに詞をつけて完成させた曲だった。1年後にシングルカットとなり、大ヒットは第19回レコード大賞をはじめ様々な受賞、第28回紅白歌合戦への初出場をもたらした。
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19歳石川さゆりの紅白歌合戦初出場の時点での歌唱とアンジェラ・アキの活動休止の時点での弾き語りが「歌としての真実」にあふれていた根幹には何があったのか。本人にとって抜き差しならない状況下にありながら、歌の世界を自分のことばとして歌い上げた。その内面の奥底には「抱えていた痛み」と「歌への愛と希望」があったに違いない。私にはそう思える。