劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

続・コラボレーション

2006年09月10日 | 創作活動
友人の版画家(6月18日・記事)の個展が東京で開かれている。
桐村 茜 展ー愛の島、と彼は言うー(9/19まで。K’s Gallery・中央区銀座1丁目・℡03-5159-0809)
昨日オープニングパーティーがあり、イヴェント「朗読とのコラボレーション」が開かれた。詩人・美術評論家ジャン・クラランス・ランベールの詩が、氏自身の朗読(原語・録音)と声優・女優甲斐田裕子の朗読(翻訳・関口涼子;水橋晋)とによって、フーガのように語られていく。打ち寄せる波の音と風の音がバックに流れ、それらを見つめるように画廊の壁面には、桐村茜の作品(銅版画と発光ダイオードの光の粒)が存在している。照明は朗読の進行にしたがって繊細に変化し、「終了」とともに元の明るい室内に戻された。数十人の参会者の間から、吐息と拍手が沸き起こった。ワイングラスを片手にした日本人やフランス人からは、白い衣装に身を包み、美しいアルトで朗読した甲斐田氏に賛辞が寄せられた。
この企画は6月の個展(鎌倉小町・画廊)の際、桐村さんから相談されてスタートした。私は早速、神奈川総合高校出身で現在活躍中(NHK-BS海外ドラマ「ER-緊急救命室」アニメ「ガラスの艦隊」シェイクスピア・シアター「ハムレット」などに出演)の甲斐田さんに朗読を、録音構成とCD製作を友人の情野喜男氏に依頼した。お二人の仕事に対する誠実な対応と、画廊オーナーの積極的な協力が「イヴェント」を成功に導いたが、画家自身の情熱がこれを推し進めたことは言うまでもない。パリから私への連絡は、メール・ファクシミリ・国際電話と多岐にわたった。打ち合わせばかりでなく、CD製作における立ち会いまで精力的に関わられた。そのパワーに、コーディネーターとして参加した私も頭が下がる思いである。
桐村さんは、この個展終了後は、自宅とアトリエのあるパリにではなく、ニューヨークへ旅立つ。文化庁芸術家在外派遣研修員として「マンハッタン・グラフィックスセンター」に赴き、技法研究のため80日間滞在されるとのことだ。
現代美術家としての更なるご発展とご活躍をお祈りしたい。


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ウチで描く、ソトで創る(二)

2006年09月03日 | 演劇
 「作・演出」タイプの創造者たちには「現場を抱えている」という共通性がある。劇団の主宰者である演出家や○○組を率いる監督は、印刷された台本を手に稽古場や撮影所・ロケ地に向かう。そこが彼らの主戦場であり、演劇や映画が実際に形作られていくのはその現場だからである。映画の場合、シナリオはその映像作品の土台でしかない。監督の本分は、創造集団のリーダーシップであり、優れた演出力にある。しかし、黒澤明はこんな言葉を遺している。『弱いシナリオからは絶対に優れた映画はできあがらない。弱い苗からは絶対に豊かな稔りは期待できない。これは絶対的である。』
 ところで、「作・演出」タイプである私は、当然、劇作と演出という創造作業に携わることになるのだが、本来は別々の分野に属するものだ。
 演劇の三要素は「戯曲」「俳優」「観客」だが、これに「劇場」と「演出」を加える説もある。演劇史に演出家が登場するのは19世紀後半の近代である。劇場設備が発達し、照明・装置などを含めた新しい表現の可能性が開かれたことで、俳優の演技ばかりでなくそれらを統合し、かつ時代思潮を反映した「総合芸術」としての舞台を生み出す才能が求められたからに違いない。一方、劇作家は、ギリシャ古典劇の例に見るように、紀元前から西洋演劇史にその戯曲と共に輝かしい名を刻している。哲学者アリストテレスは著作『詩学』に文芸学上の分類として、叙情詩・叙事詩と並んで、「劇詩」を挙げている。つまり、「戯曲」は文学として認知されつつも、演劇の三要素の一つで「上演を前提とした劇文学である」という事情がある。実は、この事情にこそ、演劇を人生に選んだ私の歓びと迷いの元があるのだ。
 私の卒業論文は「『セールスマンの死』を中心とするドラマトゥルギーの問題」というタイトルで、戯曲の構造(主として時間と主人公の意識)を扱ったのだが、論文というよりはテーマに関連する読書メモの総まとめのようなものだった。主査の安藤先生(ベケットの翻訳者・安堂信也)は、ニコニコしながら『努力賞だね』と仰って、「優」を下さった。浅学菲才ながら、私は今でも戯曲という文学に関心があり、新たな地平を切り拓く劇文学を創作したいと考えている。と同時に、劇場に来て初めて味わえる「総合芸術」としての舞台作品を演出したいという思いも強くある。
 

 これまで「作・演出」タイプであった私が、今後、「作」と「演出」とに分けて仕事をしていく場合、「ウチで描く、ソトで創る」という関係にも変化が生じるのは当然であろう。

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