劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

ワセダ実習公演とホームカミングデー

2012年01月19日 | 随想
 高校卒業後、羽田空港で貨物搭載係・神宮前や銀座の貿易会社での事務員を経て3年、大学進学を決めたのは、NHKへの就職もその動機の一つだった。東京オリンピック後、テレビ受像機が一般家庭に普及し始め、高度経済成長に伴って番組内容も充実したものになっていった。優秀な人材が映画に代わる新しいメディアとしてテレビ界にどんどん飛び込んでいった時代である。
 当時の早稲田大学文学部は、15専修別(英文・仏文・独文・国文・演劇・美術・心理・西洋史…東洋哲学)に入学願書を受け付けていて、「演劇」は上位3番目くらいに位置していたため難関の専修だった。坪内逍遥や島村抱月という近代演劇の道を拓いた早稲田の伝統が一般に知れ渡っていて人気を呼んだためだろう。
 45年前、大学では組織機構や教育内容の改編が進められており、それまで行われていた演劇科の実習公演は私たちの期(昭和40年入学)で最後となった。私は同期の年長者だったこともあって上演リーダーとしての舞台監督を引き受けることになり、さらに制作活動にも関わることになった。
 上演パンフレットには安藤信敏(ベケット翻訳者・安堂信也)先生を初めとする教授たちや評論家の他に、NHK芸能局チーフディレクター・和田勉氏の文章も掲載されている。当時、飛ぶ鳥を落とすような活躍を見せていた先輩に寄稿してもらおうと制作担当が考えたのだろう。その原稿を新築なったNHK放送センターへ戴きに上がったのが私である。渋谷へ向かう帰りのタクシーの中で、勉さんは『映画界は大先輩ばかりがひしめいているから、テレビ界に入ったんだよ』と打ち明けてくれた。
 私は卒業期を迎えて迷うことなくNHKを受験しようとした。ところが、「あなたは25歳で年齢超過のため、応募を受け付けられません」と門前払いされた。河竹登志夫先生(比較演劇学/現早稲田大学名誉教授)は研究室を訪れていた演劇科出身の局員に『受験だけでも…』と問い掛けてくださったが、どうにもならなかった。
 さて、早稲田演劇科最後の実習公演は大隈講堂で行われたが、それから四半世紀後、卒業25年&50年ということで校友会から「ホームカミングデー」の通知を受けた。当日、大学構内は開放され、キャンパスには模擬店が出され、40代後半と70代前半の卒業生たちで賑わっていた。式典が行われる主会場はもちろん大隈講堂、演劇科の卒業生はほとんど姿を見せなかったが、それでも年賀状のやり取りだけは欠かさなかったY.R.さんとは会うことができた。彼女とともに構内を歩くことで、あの怒涛の60年代後半の思い出を蘇らせることができた。もし時間を共有した相手がいなければ、母校への「里帰り」も味気ないものになるだろう。
 演劇博物館を出て、大隈侯銅像方向へ歩き出した時だった。『佐野君、』と呼びかけられ振り向くと、鳥越文藏先生(日本近世演劇/現早稲田大学名誉教授・元演劇博物館館長)だった。大学2年の時、文学部の古い木造校舎で「日本演劇史(一)」を教えていただいた。当時、先生は講師で助教授になる前だったと記憶している。現代演劇志向だったので、わずか一科目の履修学生だった私を覚えていてくださったのである。この日、「先生に名前を覚えてもらっていること」の嬉しさを初めて身に沁みて知った。
 「卒業50年」にはまだ間があるが、健康であること・演劇科出身らしい仕事を積み重ねることを願いつつ、2回目のそして最後のホームカミングデーに出席したいと考えている。

 ※写真左は、実習公演パンフレット表紙・和田勉氏文章。右は、交友大会パンフレット表紙・大隈講堂入口・講堂内部。下は、キャンパスでの団欒(同級生と大先輩と)。


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