1968年だったと記憶している。安堂信也ゼミで『不条理演劇』(M.エスリン著)の原書を取り上げたことがあった。私は、芝居の忙しさもあってサボってばかりいたが、その際だったと思う、研究室で先生から『何もない空間』(P.ブルック著)も紹介していただいた。精力的に活動を開始していた英国を代表する演出家の著作なので、内容にも関心を持ったが、何よりもそのタイトル‘The Empty Space’に強く惹かれた。「魔力」を帯びた響きとイメージを深いところで喚起する力がその言葉にはあった。無から有を生み出す演劇創造の仕事に生涯携わりたいと考えていた若い時期だっただけによけいだったにちがいない。
あれから42年経った現在でも、「何もない空間」「無から有を生み出す」…その魅力は衰えるどころかますます強く私を捉えて放さない。戯曲(劇文学)の舞台化に興味を失ってからは、演出家としてフツウの劇場=額縁舞台(プロセニアム・アーチ)から気持ちが離れていった。もちろん、そこにも、公演が終了し役者やスタッフが舞台から立ち去れば「何もない空間」が生まれるし、また、新たな芝居作りを一から始める時には「無から有を生み出す」ことになる。しかし、私の場合は、劇空間そのものを新たに生み出したい、という欲求を抑えることができない。
演劇ユニット 東京ドラマポケット(TDP)での初仕事は、旧関東財務局の建物を横浜市が文化施設に転用した「創造界隈ZAIM」での公演『オフィーリアのかけら~予告篇~』であった。別館2Fの会議用ホールを公演期間だけ「劇場」に改装した。スタッフはこの試みに熱心に取り組み面白い空間に変貌させ、役者たちは目の前で見つめる観客たちの前で躍動感ある演技を繰り広げた。二番目の仕事は、新宿の小劇場「シアター・サンモール」での本公演『音楽演劇 オフィーリアのかけら』。こちらは既成の劇場だが、可動式で舞台空間がある程度自由に設定できる。舞台奥に、橋掛や屋台を組み、舞台前は、客席を一部取り外し傾斜舞台を張り出した。
TDPでは、現在第二期の活動に入っており、三番目となる公演も、「劇の場」にこだわることになる。構想している舞台作品に合致する「空間探し」がすでに始められているが、一般的な劇場ではないだけに、求めている「劇空間」に出会えるのは、た易いことではない。けれどもそれだけに決まった時の喜びは計り知れないものがあり、そこまで私たちを動かす「魔力」が舞台芸術にはあると言える。
あれから42年経った現在でも、「何もない空間」「無から有を生み出す」…その魅力は衰えるどころかますます強く私を捉えて放さない。戯曲(劇文学)の舞台化に興味を失ってからは、演出家としてフツウの劇場=額縁舞台(プロセニアム・アーチ)から気持ちが離れていった。もちろん、そこにも、公演が終了し役者やスタッフが舞台から立ち去れば「何もない空間」が生まれるし、また、新たな芝居作りを一から始める時には「無から有を生み出す」ことになる。しかし、私の場合は、劇空間そのものを新たに生み出したい、という欲求を抑えることができない。
演劇ユニット 東京ドラマポケット(TDP)での初仕事は、旧関東財務局の建物を横浜市が文化施設に転用した「創造界隈ZAIM」での公演『オフィーリアのかけら~予告篇~』であった。別館2Fの会議用ホールを公演期間だけ「劇場」に改装した。スタッフはこの試みに熱心に取り組み面白い空間に変貌させ、役者たちは目の前で見つめる観客たちの前で躍動感ある演技を繰り広げた。二番目の仕事は、新宿の小劇場「シアター・サンモール」での本公演『音楽演劇 オフィーリアのかけら』。こちらは既成の劇場だが、可動式で舞台空間がある程度自由に設定できる。舞台奥に、橋掛や屋台を組み、舞台前は、客席を一部取り外し傾斜舞台を張り出した。
TDPでは、現在第二期の活動に入っており、三番目となる公演も、「劇の場」にこだわることになる。構想している舞台作品に合致する「空間探し」がすでに始められているが、一般的な劇場ではないだけに、求めている「劇空間」に出会えるのは、た易いことではない。けれどもそれだけに決まった時の喜びは計り知れないものがあり、そこまで私たちを動かす「魔力」が舞台芸術にはあると言える。