詩人は原稿紙に、画家はカンバスに、作曲家は五線紙に、自らの作品世界を描き出せる。それが書斎であれアトリエであれ、創作活動は芸術家個人によって完結を見る。しかし、演出家の仕事場はウチではなくソトであり、しかもその活動は本人単独では完結どころか進行すらしない。上演に関わる多くの他者の存在があってはじめて成り立つものだ。それが稽古場であれ、劇場であれ、演出家は役者の言葉と身体、スタッフの技能による装置・照明・衣装・音楽などを通してのみ作品世界を造形することが出来るのである。
私は、大学時代から数十年演出の仕事を続けてきたが、早い時期から戯曲の創作にも手を染めるようになった。仲間と作った劇団やプロデュースカンパニーにおいて日本および外国の戯曲を上演していたが、自分なりの言葉で劇宇宙を現出してみたい欲求と所属集団の制作条件に適合する脚本が必要だったからである。しかし、もちろん、書き始めの頃は技術が伴わないため稚拙であり、類型的で劇的連関性に欠ける代物だった。それでも、仲間はそんな脚本を基に何とか上演まで漕ぎつけてくれた。私も、当時『美しきものの伝説』(初演・文学座/演出・木村光一)執筆中の劇作家宮本研氏のお宅を訪ね、劇構成について助言を仰いだりして創作修業に励んだ。しかし凡才ゆえに、戯曲のイロハというものが身に付いてきたのは、それから大分経ってからのことだった。
こうした経緯もあって、私の場合はいわゆる「作・演出」タイプに分類されるだろう。書き上げた戯曲を劇団に渡したら、仕事は完了!という劇作家ではない。演出の仕事を兼ねているので、書斎で書き上げた場面を稽古場で稽古し、スタッフと打ち合わせをする「脚本家」なのである。
映画にも、「作・演出」タイプの監督はいる。巨匠黒澤明は、熱海の旅館に共同執筆者と45日間籠もって『七人の侍』のシナリオを完成させるが、その祝いの席で、脚本家橋本忍と小国英雄に『…いいなぁ、君たちは。ボクはこれからこれを撮るんだよ。』と呟いたそうだ。頭の中で構築し終わったウチの世界を、改めてソトの作品として自ら造形していく作業には、正直、辛いものがある。
私は、大学時代から数十年演出の仕事を続けてきたが、早い時期から戯曲の創作にも手を染めるようになった。仲間と作った劇団やプロデュースカンパニーにおいて日本および外国の戯曲を上演していたが、自分なりの言葉で劇宇宙を現出してみたい欲求と所属集団の制作条件に適合する脚本が必要だったからである。しかし、もちろん、書き始めの頃は技術が伴わないため稚拙であり、類型的で劇的連関性に欠ける代物だった。それでも、仲間はそんな脚本を基に何とか上演まで漕ぎつけてくれた。私も、当時『美しきものの伝説』(初演・文学座/演出・木村光一)執筆中の劇作家宮本研氏のお宅を訪ね、劇構成について助言を仰いだりして創作修業に励んだ。しかし凡才ゆえに、戯曲のイロハというものが身に付いてきたのは、それから大分経ってからのことだった。
こうした経緯もあって、私の場合はいわゆる「作・演出」タイプに分類されるだろう。書き上げた戯曲を劇団に渡したら、仕事は完了!という劇作家ではない。演出の仕事を兼ねているので、書斎で書き上げた場面を稽古場で稽古し、スタッフと打ち合わせをする「脚本家」なのである。
映画にも、「作・演出」タイプの監督はいる。巨匠黒澤明は、熱海の旅館に共同執筆者と45日間籠もって『七人の侍』のシナリオを完成させるが、その祝いの席で、脚本家橋本忍と小国英雄に『…いいなぁ、君たちは。ボクはこれからこれを撮るんだよ。』と呟いたそうだ。頭の中で構築し終わったウチの世界を、改めてソトの作品として自ら造形していく作業には、正直、辛いものがある。