劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

演劇教育の現場に踏み止まる人たち

2007年01月26日 | 日本演劇学会
 先週の土曜日、日本大学芸術学部(東京・江古田)にて、「演劇と教育」研究会・1月研究会が開かれた。会場となった演劇学科研究室Aに私が通うようになったのは、1998年7月研究会「神奈川総合高等学校類型科目『基礎演技』の教育実践」の報告をさせていただいた頃からだと思う。当時は、故・高山図南雄先生が会長になられ、実務を熊谷保宏先生が担当されて活動が継続されていた。そして今日まで、演劇教育に携わる教員たちや演劇関係者が集まり、各自の実践を報告し意見を交換しながら、演劇教育の可能性やあるべき姿を追い求めてきたのである。
 さて、今回のテーマは、「なぜ表現教育に取り組むのかー高校の教育現場からの提言―」だった。5人の報告者が教育実態の調査や現場での教育状況を語り、参加者からの意見・感想の交換もあって、4時間を越える熱心な会となった。演劇的手法による社会科・国語科の授業実践の工夫、表現科・演劇科におけるカリキュラムの実際や生徒指導の試行錯誤などの実例をめぐって討議が重ねられたのである。生徒の主体的学習の促進、読解など学習内容の定着、コミュニケーション力や自己表現力の育成、劇表現や舞台芸術・映像作品発表など芸術創造の体験。これらの教育実践は、生徒たちの学習意欲を増進させ、表現力を引き出し、個性を磨くことで生きる力を身につけさせる基盤となっている。
 しかし、その教育現場は様々な問題も同時に抱えている。第一に、演劇が教育課程に取り入れられ各地で授業が行われ始めたのは最近のことであり、またその数も限られているため、教育委員会・管理職・同僚の教員たちの理解や協力を得られにくいということ。第二に、担当する教員自身、演劇の経験が必ずしも豊かではなく、具体的な指導方法が手探りであること。いきおい、演劇人など専門家?を社会人講師として招き、ティームティーチングを行うことになる。その場合、その講師の教育者としての資質が問題となる場合や生徒とのトラブルが起きるケースもあり、経済的な保証も薄いこともあって、長続きしない例も少なくない。第三に、保護者たち(学校サイドも)は、進路のことが念頭にあり、演劇教育の実効性に疑問を感じ、受験にとってマイナスであると考えること。
 このように社会的認知度が低いことは、演劇教育の歴史の浅さが主たる要因である以上、授業を担う当事者が自らの経験を積むことで指導力を向上させ、教育効果を上げて、その実態を周囲に認めさせることが必要不可欠だと思われる。また、演劇の専門教育の場合については、演劇教育に関心のある演劇人に対する「教育実習」を実施することで、教員免許に準ずる資格を与えるなどの教育行政の対応も求められよう。外部講師と専任教員とによるティームティーチングではなく、専任教員単独による表現教育と、「資格」を取得した演劇人講師による演劇教育が行われるようになって初めて「社会的認知」も得られるのではないかと考える。ちなみに、私は教員免許取得者と同時に演劇人として「教育現場」に立たせてもらっている一人である。
 さて、演劇教育の歴史の浅さに触れたが、その歴史を先頭になって切り拓いた方に、内木文英先生がおられる。この日も研究会に出席されて貴重なご意見を述べられていた。先生は高齢になられたが今なお精力的に演劇教育に携われている。「私の高校演劇(上・下)」(晩成書房)をはじめとする著書があり、また、多くの要職に就かれていて、韓国と日本との高校演劇交流の中心人物としても尽力されている。周知の通り、演劇上演は多額の費用が掛かり、しかも商業的なものでない場合、出費は当事者負担である。行政の支援もほとんど無い。先生は、個人的な負担を厭わず東奔西走され、今月、世田谷パブリックシアターで、韓国の高校生による上演を実現させた。舞台写真をお見せになり、本番の様子を話して下さる先生のお顔は耀いていた。久しぶりにお会いしたので、会の終了後、お誘いを受けた。江古田駅近くの小料理屋でおいしい豆腐と秋田の酒をご馳走になった。

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「絵本と演劇Ⅱ」

2007年01月19日 | 創作活動
 絵本の構成は、演劇に通じるものがあると述べたが、映画に近いとも言える。空間の自由な移動、ズームアップやロングショットで展開されるからだ。舞台の演出家としての私は、こうした表現技法を前提として画面を構成し、文を付ける自由さを心密かに楽しみながら仕事に臨んだ。特に好きだった「カメラアングル」は、映画におけるクレーン撮影のような「俯瞰」の構図だった。昔話には、天に昇った主人公の物語や、雲や雷、月や太陽が擬人化されたお話はたくさんある。私は嬉々として「絵コンテメモ」に地上を見下ろす<鳥瞰図>の指定をさせてもらったのである。
 ところで、私のこれまでの数少ない出版物の中であえて代表作を挙げるとすれば、『ほしのこ ピッカル』(ひさかたチャイルド刊)である。この作品は、私に童話創作への道を開いてくれたE氏が生みの親である。氏が編集責任者であった月刊誌の7月号に「星」をテーマにという依頼により、10枚程度のお話を書いた。すると、しばらくして他の出版社Cから絵本月刊誌に載せたいという話があり、絵本向けに再構成し、やがて「紙芝居」にもなり、最終的には同じC社から、ハードカバーの絵本になった<幸運児>である。しかし、この幸運児も2刷りであえなく打ち止めとなり、今や「Used Books」「本のネット通販」のリスト入り、という不運な運命をたどっている。『名作だ!』と一人強弁しているのは、作者の愚かさに違いない。いや、学生時代にお世話になった方からこんな声が寄せられてもいるのだ。「読んでやる度に、孫が『ごしごし キュッ キュッ』と言って喜び、絵本がボロボロになったので二冊目を買った」…読者からの評判はすこぶるよいのである。
 『ほしのこ ピッカル』のお話は…。天の神さまが、お風呂嫌いで逃げ回る主人公に手を焼いて彼を「地上」に追放してしまう。解放されて楽しいはずのピッカルは、汚れたままの体のため、イヌからも男の子たちからも「星」と認めてもらえない。夜になり、天を見上げると、仲間の星たちが、ぴかーり、ぴかーり、と光っている。『ぼくだって、星なのに…』と涙をこぼしていると、女の子がやってきて、ピッカルをハンカチで磨き、天へ帰してあげる。天に戻った主人公は、今はキラキラと輝いている。
 この作品を読んで、高校時代の友人の奥さんが『離れてみて、初めて分かるのよね…』と感想を述べられた。作者の私はハッとした。そうか、テーマはそんなところにあったのか、と。創作は、生まれるものであって、テーマに即して作り上げるものではない。ピッカルは「別の世界」を知ったことで、「自己の本質」を悟ったことで、他の星たちとは決定的に違う存在になれたはずだ、と作者としては思う。
 慶應義塾での授業後、一人の女子学生が声を掛けてくれた。『先生のHPを見て、先生が『ほしのこ ピッカル』の作者だと知り、驚きました。私は小さい頃、この絵本が大好きで、毎日のように読んでいました』…私は驚いた。貴重な読者が大学生となり、偶然私の授業を履修してくれるとは!!この話には未だ続きがある。『その本には先生の署名があるのです。それは私の父に贈られたものだったからです』…父上は、版画家・小原有月氏であった。二昔ほど前、朝日新聞の文化欄に掲載された小原有月氏の版画に惹かれるものがあって、個展会場に足を運んだことを想い出した。その際、立ち話をさせて頂いたこともあって、絵本を献呈させて頂いたのであろう。
 この『ほしのこ ピッカル』は、作者の私にこれほどの幸福をもたらしてくれた有り難い絵本なのである。


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「絵本と演劇Ⅰ」

2007年01月08日 | 創作活動
 幼年童話の仕事を始めた頃、幼稚園・保育園向けの月刊誌の「お話ページ」や「絵本ページ」が発表の舞台だった。新幹線や動物や自然を主人公にした創作の依頼もあったが、編集者から圧倒的に多かった注文は、昔話や名作童話のリライトであった。原作の主題やストーリーの骨格を押さえながら、幼児たちが楽しめるようにその作品世界をコンパクトにまとめる作業である。50字程度の短文でたたみ込んでいく地の文と、人物の性格が生き生きと表れる会話、物語の展開上必要でなおかつ無駄のない文章でなければならない。その上、紙幅が限られている中での仕事なので、まさに職人技が求められると言えるだろう。
 私が特に楽しいと思ったのは、「絵本ページ」や「月刊絵本」の仕事である。これは、ライター単独ではなく、いわば画家との協同作業である。「お話ページ」と違って、「文」は脇役で、主役は「絵」なのである。しかし、物語絵本であるので、文が無くては成り立たない。読者である子どもたちは、ページごとに変化する絵を見つめながら、保母(保育士・幼稚園教諭)や親が読んでくれる文にも耳を傾ける。会話の面白さや擬態語・擬声語の楽しさにワクワクしながら「作品世界」に没入する。主役は「絵」なのに、ネーム(文)を付ける仕事がなんで楽しいかというと、原稿依頼から始まって、入稿までの編集者とのやりとりが面白かったのである。
 1.(編集者)原作の指定と「ページ割り」【例:8ページ、各頁20 w(文字)×17 l (行)】
 2.(ライター)ページごとのネームと「絵コンテメモ」【例:遠景は、山並みと教会。近景は、駈け寄ってくる村人たち。前景は、大男に立ち向かう主人公の少年。驚き騒ぐニワトリや犬たち。遠巻きに見つめる子どもたち。】
 3.(編集者)各頁ごとの絵のラフスケッチとネームの貼付。
 4.両者による最終調整。
 以上があらましだが、その後の流れとして、編集者と画家との画面構成などの打合せになるわけで、ライターである私の立場からすると、“画家との”というより編集者との協同作業なのであった。何しろ数ページという限られた舞台で物語を展開しなければならないし、主役は「絵」なので、ネーム量は極端に制限される。絵で語れるところは絵に任せる。文は、その絵に込められた物語性を前提にした必要不可欠な、最小限の、生きた表現でなければならないのである。したがって、ネーム原稿に入る前に、私は絵コンテメモを書き、ページごとの「場面設定」をしたのだ。一時、編集者の間では「佐野先生の絵コンテメモ」が話題に上ったそうである。
 この仕事がなぜ楽しかったのか、それは、劇作・演出家としての私に向いていたからではないだろうか。絵本には、物語があり、場面があり、ページごとに展開する流れがある。特に、昔話や名作童話を素材とする場合、クライマックスとともに明快なテーマもある。これは演劇に通じる。私は、劇を書くように、舞台を演出するようにして、この仕事に取り組んだのである。



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