劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

俳優芸術の復活は夢なのか(2)

2015年01月27日 | 演劇
 本格的な演劇に接したのは、10代の後半だった。最初は、東京・日比谷「芸術座(現・シアタークリエ)」で上演された『悲しき玩具~石川啄木の生涯~』。主演は市川染五郎(現・松本幸四郎)で、東映映画でファンだった高千穂ひづるも出演していた。脚本・演出は、菊田一夫だったと思う。函館・小樽・釧路と場面転換する詩情豊かな伊藤熹朔の舞台装置が印象に残っている。そして、昭和が生んだ記念碑的舞台『夜明け前』に出会う。この体験は、私の生涯における僥倖と言えるだろう。「ロランの『民衆劇論』の精神は日本の新劇運動へ」という小文(「ロマン・ロラン讃歌」こぶし書房2013年刊所収)でもそれに触れている。
 …同時代の演劇人に久保栄と村山知義がいる。当時の突出した知識人であり、プロレタリア演劇人の代表格である。その二人が生み出した舞台作品『夜明け前』(第一部・第二部)は、原作島崎藤村・脚色村山知義・演出久保栄という豪華版であった。初演(新協劇団上演/築地小劇場)は、第一部が1934年11月、第二部は1936年7月である。筆者は、1963年に第一部を、1965年に第二部を鑑賞した。この再演は久保栄の自死後だったが、補演出松尾哲次の参加もあって実現している。劇団民藝による公演(有楽町・読売ホール)だったが、キャスト・スタッフとも初演と同様であった。演技陣は、主人公青山半蔵を滝沢修、父親の馬籠本陣主人を清水将夫、その妻おまんを細川ちか子、装置は伊藤熹朔、照明は篠木佐夫とそれぞれが当代一の舞台人によるものだった。このリアリズム演劇の極致とも言える上演を観客たちは本物に出会えた感動で身じろぎ一つできず見入っていた。角川文庫「戯曲夜明け前」の帯には、「…時代の背景は、幕末から維新をへて明治国家の確立するに至るまで、その変転する社会相と歴史の進行―歴史劇の新しい質をかち得ることができた決定稿である。」とある。
 前々回のブログ記事「俳優芸術の復活は夢なのか(1)」で、『…50年間の中で三つの作品・三人の俳優が今でも脳裏から離れない。まずは、日本の歌舞伎。「勧進帳」で弁慶を演じた七世松本幸四郎である。』と書いた。二人目は、『夜明け前』で青山半蔵を演じた新劇の名優・滝沢修である。
 木曽・馬籠宿は中山道にあり、江戸と京阪の中間に位置する交通の要衝であり、否応なく時代の転変にさらされる。主人公は本陣・問屋・庄屋を務め、武士と農民、支配と被支配の狭間に立たされる。「…さういふ彼が、自己矛盾の解決のために求めたものが、本居・平田の復古主義の學説―国學であり、この古事記的・神道的信條の實現のために、彼は生涯を賭けて悶え苦しみ、理想と現実との鋏のひらくまゝに、つひには悲慘な狂態をさらすのである。…」(「演出おぼえ書」久保 榮~角川文庫「戯曲夜明け前」)
 滝沢修は、この難役を奥行きのある実在感をもって表現した。第一部での若き庄屋半蔵は希望に燃え溌剌としていた。その軽やかな動きと柔らかな声が心地よかった。第二部では、状況の矛盾に戸惑い苦悩する壮年を、やがて追い詰められ発狂する晩年の半蔵を滝沢修は体現する。その自然な変容に心を奪われ、時代と身分に押し潰される主人公の姿に胸をつぶされる思いだった。
 以下は、第二部の終盤、劇のクライマックスとなる第四幕第一景である。
     ・・・・・・
    その時、遠くで「火事だ、火事だ」といふどよめきが聞える。人の驅けてゆく音。 「萬福寺だ、萬福寺だ」 「助けてくれエ」「水だ、水だ」といふどよめき。兼吉、桑作が驅け込んでくる。半信半疑で半藏をみながら、

兼吉 お前さま、萬福寺へ行かつせいたか?(半藏が持ってゐるマッチを見る)半さま!お前さまは何をなさつせいただ。
半藏 (やがて)ああ、寺か。俺は寺を焼き棄てた。神葬になれば、あんなものは無用の長物だからな。 
                                        ―暗轉―

  ※写真は、ネット公開(撮影:酒井慎一/1965年8月劇団民藝上演)。


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