劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

終の棲家か~東京城南東馬込~

2014年01月31日 | 随想
 神奈川県横浜市から東京に居を移したのが3年前だった。都営浅草線馬込駅近くに事務所&演劇ライブラリーとしての一室を構え、住居として京浜国道を越えた中馬込のマンションを借りたが、昨年の「演劇ユニット 東京ドラマポケット」活動終了に伴い、今年から生活を一新することにした。
 まず住まいを事務所から徒歩1分のアパート(1K)に移した。2Kのマンションは一人暮らしには充分だったが、駅から10分ほど掛かり坂の上り下りもあった。また古稀を迎えた無産階級の身には家賃負担を少しでも軽くしなければならなかった。引っ越してから1週間、アパートと事務所の往復がぐんと楽になり、予想以上に快適な毎日を送っている。公演活動が無くなったので、事務所の機能は、演劇ライブラリー&書斎に変わり、同時に今後は知己友人たちの交流サロンにも利用される。
 3年も生活していると、身も心もこの馬込という町に馴染んできた感じがする。駅前にある老舗の喫茶店と小さなスーパー、地元の豆腐屋。自転車に乗れば数分の商店街、途中にある魚屋。食いしん坊で自炊生活の人間ならば、よい品物やちょっとした会話を提供してくれる顔なじみの商店に足が赴くのは自然な成り行きかもしれない。
 私はこの地で生涯を閉じることになるのだろう。横須賀で生を享け市内を転々とし、長じて鎌倉に移った。人生の前半は三浦半島で過ごし、結婚を含めた転機を生きたのは横浜だった。そして晩年は、神奈川に隣接している(川崎駅までバスで30分)東京都城南地域の馬込にて暮らすことになった。昭和初期まで著名な作家たちや文化人が暮らしていた「馬込文士村」は、大田区の観光コースになっているようだ。自転車でゆっくり回ってみるのも一興かもしれない。
 小林一茶の句に「これがまあ終の梄か雪五尺」がある。生まれ故郷へ戻るも、切なくわびしい思いの中で生きねばならなかった一茶。それに比して私は幸せ者である。神官であった祖父に連れ添って、長崎・鹿児島・兵庫・愛知・樺太と転々とした青春期を送った母の血を引いたのか、私は故郷や土地に対する執着が全くない。この東馬込の片隅で好きな本に囲まれ、長年温めていた素材の劇作に当たれる。そのうえ、演劇の場でつながった若い人たちが訪ねてきてくれる。彼らが主体となって企画運営される「馬込サロン」という夢も与えられているのだ。


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