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劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

演劇批評の場を支え続ける~斎藤偕子・毛利三彌教授の実践~

2018年06月29日 | 日本演劇学会
 早稲田大学文学部へ進学したのは、演劇理論や演劇史を学ぶためだった。高校時代、そして、卒業後3年間羽田空港で肉体労働に従事しながら私は演劇活動に身を投じていたので、演劇の実際については自らの経験の積み重ねによって会得しようと考えていた。その1965年以降の激動の数十年は、翻訳劇や創作劇の公演を横須賀・横浜・東京で主催していたのだが、改めて演劇に関する理論面での刺激が欲しくなっていた。
 ちょうどその頃、知遇を得た毛利先生から「西洋比較演劇研究会(日本演劇学会分科会)」へのお誘いがあった。私は、渡りに船で、月1回の例会に参加させていただくようになった。会場は、成城大学の会議室で、成城の毛利先生と慶応義塾の斎藤先生を中心に、豊かな知見を持った教授たちが見守る中、若手の演劇研究者たちが活発な議論を展開していた。そこは私にとって「第二の大学」となり、新たな人脈作りと交流の場となったのである。
 現在の「西洋比較演劇研究会」は、当時の若手が今は中堅となって運営されているが、毛利先生と齋藤先生の信頼厚いタッグは今も力強く組まれている。去る6月18日、成城大学で「AMDの会」が開催された。この会は「西洋比較演劇研究会」の前身で、演劇研究論文・翻訳・舞台の合評とシンポジウムなどを機関誌に掲載していたのだが、その足跡をまとめた本が出版された。「演劇を問う、批評を問う―ある演劇研究集団の試み」平井正子(※成城大学名誉教授)編・論創社刊、帯に「斎藤偕子傘寿記念出版」とある。「AMDの会」は、<モダン・ドラマの会>で、大学人ばかりでなく演出家や俳優、舞台スタッフなど演劇人も参加してその時々の舞台の批評をする場となっていたようだ。上掲の本の巻頭言で毛利先生は次のように述べている。
 …演劇上演の成立に観客が不可欠要素であると言いながら、…世に行われている演劇批評では、集合的な観客の反応/批評が具体的に示されることは稀で、それが批評家の意識に登ることさえ滅多にない。舞台に対する複数観客の集合的批評は、通常の、一人の批評家の反応を記す演劇批評とはまったく異なるものとなるに違いないが、たとえば、観客間で対立する反応がされたとき、それを上演後の批評として公にするにはどうすればいいか。…<AMD>や西洋比較演劇研究会の例会では、舞台合評や、特別な主題による討論会をしばしば開催したが、そこでは沸騰した議論の見られるのが常であった。そして、それをいつも先導していたのは斎藤さんで、彼女が、特に演劇批評のあり方に関心を持っていたのは、演劇研究者として大学で教える傍ら、著名な演劇批評家として健筆をふるっていたことから、当然であるとも言えるだろう。…
 ところで、「AMDの会」は久しぶりに再開され、先日の会では、翻訳家・演出家の石澤秀二氏<劇作家・田中千禾夫をめぐって>を柱に、演劇現場に身を置く人や大学教員たちの活発な意見が飛び交い、会の終了後は、飲み物と軽食を楽しみながら交流と語らいが続けられた。かつての演劇青年たちの髪にも白いものが混じってきたが、次回のテーマについて熱い発言が止まることはなかった。


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演劇学会、ついでに京都いつもの味めぐり

2016年12月21日 | 日本演劇学会
 12月3日~4日、2016年度日本演劇学会秋の研究集会が開かれた。テーマは「シェイクスピア ローカル・グローバル」で、シェイクスピア没後400年記念となっている。偶然ではあったが、9月3日に東京ミニオペラカンパニーvol.1「悲戀~ハムレットとオフィーリア」をプロデュースしたこと、その上演を京都産業大学(研究集会の主催校)の鈴木雅恵教授が観劇してくださったこともあって、久しぶりに都に上ることにした。
 3日は「前夜祭」で、『新作能オセロ』が大江能楽堂で上演された。四大悲劇の名作を日本に移し替えた夢幻能で、作品そのものにも随所に工夫がみられたが、何よりも印象に残ったのは、烏丸通から押小路通に入った街並みに佇む大江能楽堂だった。長い歴史を刻んだ古式豊かな建築が能楽発祥の地・京都にふさわしく溶け込んでいたからである。
 翌朝、7時半に境町通り三条の「イノダコーヒ本店」で朝食タイム。かつては、大島渚監督(京大出身)ら文化人の姿を目にする知る人ぞ知る店だったが、今や情報誌やネット社会の趨勢で、早朝から行列ができる有名店となってしまった。長身の老給仕が立ったまま高い位置から注ぐコーヒーとミルクが懐かしくも心豊かな思い出だ。
 地下鉄とバスを乗り継いで、会場校へ向かう。途中、京都精華大学を通り過ぎ、山懐に抱かれるように静かな環境の北区上賀茂・京都産業大学に到着。午前から午後にかけて12の研究発表と2つの講演が第1・2・3セミナー室で行われる。「ドイツにおけるハムレット受容史」「福田恆存の『有間皇子』に見られる芸術観」「シェイクスピア受容の日中比較試論」「データから見る現代日本のシェイクスピア上演」の発表に参加した。意見を述べたり発表者と交流を持ったり、また何人かの研究者と旧交を温めることができるのも「研究集会」という機会の有難さである。
 やや早めに会場を後にして、地下鉄「国際会館駅」からはやや遠回りだが祇園までバスを利用した。予報通り雨が落ちてきたが、車窓から見える八つ橋発祥の店や京都大学など市内のたたずまいを見ながら祇園の目抜き通りに降り立つ。立ち寄る店はいつも「権兵衛」と「いづう」と決まっている。釜揚げうどんを食した後は、鯖の棒寿司を持ち帰る。
 新幹線の時刻が迫ってきたので、京都駅までタクシーを利用することにした。年配の運転手と気が合い、車中でかつての歌舞伎俳優と映画スターの話が次から次へと出て、あっという間に駅に着く。運転手に教えてもらった「羅生門模型」(駅前に設置されている)を写真に収め、帰路につく。京都訪問にはそれなりに費用が掛かる。研究集会には意義を感じたものの、<味めぐり>の方はどうだろうか。数十年前に初めて接した店の味や雰囲気は、やはり変わった。魅力ある未知の店を探すことにしようと思う。


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早稲田で過ごすひととき~公開講座~

2014年03月28日 | 日本演劇学会

 日本演劇学会の分科会「西洋比較演劇研究会」に所属していると、種々の講演会や催し物の案内メールが送信される。その中には、母校で開催されるものもあって興味深いものには自然と足が向かう。先日、パリ第三大学教授によるラシーヌ悲劇についての講演会があった。主催は最近とみに活動が目立つ早稲田大学演劇博物館で、共催は京都造形芸術大学と日仏演劇協会だ。
 高田馬場駅から「早大正門」行きのバスに乗る。現在は170円で他区間より40円低く設定されているが、私の入学当時は70円ぐらいだったろうか。樫山欽四郎先生(第一文学部長・哲学/女優・樫山文枝氏の父上)と同乗した日を思い出す。美しい白髪が印象的だった。
 余裕を見て早大構内に着くのが常なので、会場に入る前に「遅めのランチ」となる。長岡屋の蕎麦もいいが、この日は高田牧舎のステーキランチとしゃれ込んだ。
 49年経過すると、早稲田界隈が様変わりするのも世の常かもしれない。神保町に次ぐ書店街だった戸塚町もいまや見る影もなく、学生時代から通い詰めた金峯堂書店もついに数年前に姿を消した。戸山町や早稲田の喫茶店・食堂も新しい建物に取って代わられている。
 食後のコーヒーを飲みながら店内からぼんやり通りを眺める。過ぎ去った時間の流れに身を置くことができる数少ない店は、老学生には貴重である。 
  いよいよ楽しみな講演会だ。店の目の前の南門を抜け、「演博」近くの6号館レクチャールームに入る。定刻には、受講者で満員になった。知り合いは…と見回すと演劇評論家・佐伯隆幸氏がいらした。学習院大学でフランス演劇を担当されていたのだから不思議ではない。教え子の伯父にあたられるということもあり、これまでお付き合いを戴いている。
 講演会は通訳付きで、フランス古典劇の名作『フェードル』の舞台映像に沿いながら、古代劇詩人セネカの作品との関係にも言及するという内容だった。フロアからの質疑応答もあり、予定時間を超える盛り上がりを見せた。
会場を出ると早春の夕陽が残っていた。大隈さんの銅像に会釈して、大隈講堂前のバス停に向かった。一人の卒業生に戻る「いい時間」である。


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慶応義塾での西洋比較演劇研究会10月例会

2013年10月08日 | 日本演劇学会
 10月5日(土)慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎大会議室にて、西洋比較演劇研究会10月例会が開かれた。いつも通り、二つの研究発表と質疑応答がそれぞれ2時間ずつ、午後2時から始まり6時に終わる。はじめは、「小山内薫の晩年における英雄・偉人劇について―二世市川左団次の演じた『森有礼』、『戦艦三笠』、『ムツソリニ』を中心に―」(熊谷知子)。続いて「『全体演劇 わがジャンヌ、わがお七』の創造過程と上演の意味」(佐野語郎)というプログラム。
 私の発表は、演劇ユニット 東京ドラマポケットvol.3+シアターΧ(カイ)提携公演「全体演劇 わがジャンヌ、わがお七」(2012年8月24日~26日/両国シアターΧ)の総括であったが、20年あまりお世話になっているこの研究会の会員として、自分なりの務めを果たそうというつもりもあった。日本演劇学会分科会であるこの研究会は、大学教員と院生を中心とした研究の場だが、演劇・映画関係者も数は少ないが参加している。その中で、私は古参のメンバーとなっている。私は研究発表ではなく、実験的公演制作の実情報告というかたちで、演劇の創造過程そのものを紹介しようとしたのである。
 普段は、若手・中堅研究者による西洋から日本にまたがる演劇研究の成果を学ばせていただいているのだが、学者ではない私自身が発表することはなかった。例外として、2008年の10月例会(成城大学大2号館大会議室)で、シンポジウム「大学と劇団との共同作業による<創客>の可能性について」・「翻訳戯曲の上演と文学座アトリエの会~『ミセス・サヴェッジ』を中心に~」を企画し実現したことがあった。文学座企画事業部・最首志麻子氏を中心に、文学座演出部・上村聡史、企画事業部伊藤正道、燐光群制作・古元道広の三氏の協力・参加を得てのことだった。
 今回、一会員として発表した動機も、5年前の例会を発案した真意と、実はつながったものだったかもしれない。すなわち、劇団と大学とのつながりおよび研究者の演劇現場への関心を深くしたい、という思い。その意図が現実問題としてその後どこまで生かされたのかは分からない。演劇は瞬間芸術で、幕が下りれば消え去る芸術だ。一方、学問研究は実証する裏付けなくして成り立たない。したがって、研究者はどうしてもその舞台にまつわる印刷物(書籍・新聞/記録映像も)を論文の根拠にしようとする。学生相手の教育と自分個人の研究の両方に追われている大学人たちにとって、演劇の創造現場そのものに目を向け学問の対象としてエネルギーを注ぐことは考えられないに違いない。私の発表に対して、フロアから質問や意見が出されはしたが、感想に止まる内容が多く、創造過程そのものに踏み込むものは少なかった。
 ところで、第一発表者の熊谷知子氏は、現在は明治大学博士後期課程に在籍されているが、6年前に慶應義塾大学で「映画演劇論」(佐野語郎担当)を受講されていたそうだ。私は、‘教え子’の周到なレジュメ、的確で正直で気品のある発表に感心し嬉しさで一杯になった。同じ例会でかつての学生と教師が発表者となった、その偶然に、恒例の二次会の乾杯も忘れられないものになったのである。



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「西洋比較演劇研究会」の恩恵

2011年10月05日 | 日本演劇学会
 学術団体「日本演劇学会」は4つの分科会を擁しているが、その一つに「西洋比較演劇研究会」がある。八月に日本で開催された「国際演劇学会」(於:大阪大学豊中キャンパス)は日本演劇学会共催でもあり、その運営の中枢を担いつつ成功に導いた。西洋比較演劇研究会の発足は1988年で、23年間演劇に関する活発な学術研究を推進してきている。
 私が成城大学で毎月1回(土曜日)開催される例会に出席するようになって17年ほど経つが、そこで受けた恩恵は計り知れず、後半生を豊かなものにする基盤となったと言える。西洋比較演劇研究会会報第22号(創立10周年特別記念号)に、「西洋比較演劇研究会との出会い」という拙文を寄稿したが、会の主宰者であった毛利三彌先生の知遇を得た経緯と例会へお誘いを受けたことに始まり、その中身の素晴らしさを<発表・運営・情報資料の直接的な交換>の観点からまとめている。例会終了後、会場で開かれるOne Coinのワイン・チーズパーティーは飛びっきり楽しく、会員相互の交流と情報交換の場となっていた。
 研究会による「恩恵」は私の仕事や活動に直接及んでいる。県立神奈川総合高等学校で演劇科目を担当していた当時、世界の演劇を紹介する映像資料の入手は困難だった。すると、明治大学名誉教授・青山学院大学教授をはじめ会員の先生方が快く提供してくださった。また、学年末行事「舞台系発表会」には、何人もの先生方が足を運んでくださり、高校における正規の演劇教育に携わる身にとって何よりの励ましとなった。
 やがて「日本演劇学会」会員となった私は、別の分科会「演劇と教育研究会」にも参加することになり、日本大学芸術学部で開かれた研究会での<演劇教育実践報告>に始まり、全国研究集会における発表者の機会も与えられるようになった。また、「日本演劇学会」には分科会の他に「演劇教育プロジェクト」の活動があって、その一環として「神奈川総合高校授業見学会」(2004年1月20日)が実施され、東京ばかりでなく、関西からも演劇研究者や演劇教育者が参加された。「戯曲研究B」(508教室)「基礎演技」(AVスタジオ)「テーマ学習(芸術フィールド・舞台表現)」(多目的ホール)がその内容だった。
 さて、私は、慶應義塾大学文学部で「映画演劇論」を9年間担当し、現在は、日本橋女学館高等学校・演劇研究クラスの立ち上げから現在まで講師を務めているが、その仕事場への道を拓いて下さったのも「西洋比較演劇研究会」の重鎮である先生方であった。加えて、演劇教育の仕事に止まらず、「演劇ユニット 東京ドラマポケット」(代表・佐野)の活動にも会員諸氏は理解を示され、公演ブックレットには中身の濃い文章を寄せていただいている。
 発足から現在に至るまで長年「西洋比較演劇研究会」を引っ張り発展させてこられたのは、毛利三彌先生(前日本演劇学会会長)と齋藤(楠原)偕子先生(前日本演劇学会副会長)である。人間の絆を育み、学問の深化を進められたお二人に敬意を表するとともに、「西洋比較演劇研究会」から受けた恩恵に感謝の思いを新たにしている。

※写真左は、日本演劇学会と西洋比較演劇研究会の機関誌。写真右上は、西洋比較演劇研究会の出版物。写真右下は、10月例会後の懇親会。写真下は、毛利先生と齋藤先生とのひと時。


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