「封じ込められていた悪」が次々と飛び出してくる有様――いま流れているニュース「統一教会問題」だ。元首相の狙撃という由々しき事件が発端となり、宗教を装ったカルト集団の実態が明るみに出るにつれ、教団を後押しし選挙に利用してきた政治屋たちがクローズアップされマスコミや野党の追及を受ける中で、大臣・政務官などの辞任が後を絶たない。現首相も追い詰められて本来なら内閣総辞職という事態にまで発展している。『ああ、こういう人たちが国政に携わっていたのか』と私たちはその素性を知らされている。
そもそも「あの事件」はいわゆる政治テロによるものではない。カルト集団にはまってしまった母親が原因で家族が崩壊、追い詰められた犯人がそのやり場のない鬱憤を統一教会の旗振り役を担っていた元首相に銃口を向けた結果だった。いわば近年増加している自己清算型の「拡大自殺」行為に近い。
暗殺事件については、昭和だけでも戦前の五・一五事件や二・二六事件で青年将校の銃弾に倒れた首相や蔵相たちがおり、戦後は、日比谷公会堂で演説中の社会党委員長を十七歳の右翼少年が刺殺した事件がその現場写真とともに新聞記事一面(昭和35年10月12日)に掲載されている。
さて、一般の人々にとって重要なことは、「あの事件」をキッカケとして「宗教2世問題」がTVやネットで取り上げられ、統一教会に対する活動規制新法(被害者救済法案)が国会審議になりつつあることだ。長年、被害相談に応じ統一教会の実態にメスを入れてきた弁護士やジャーナリストの力が大きいのだが、新法審議へのキッカケを作ったのは宗教2世(カルト2世/2世信者)の若者たちが立ち上がり告発に踏み切ったことによる。親が狂信集団の一員になったがゆえに、人間としての自由を奪われ自分の人生を生きられない状況に置かれた青年たちである。
筆者はここに希望の光を感じる。「封じ込められていた悪」が明るみに出たら、声を上げる、行動を起こす――このことは一般の人々にも当てはまることである。「統一教会問題」には当事者でなくとも、その被害を拡大した政党や議員たちに国政を託している国民は部外者ではない。流動する世界状況への対処の問題・エネルギー資源や食物自給率の問題・物価と賃金の問題――いずれに対しても政府は確固たる方針を打ち出せないでいる。国民の立場に立つ思考、あるべき政策研究を怠ってきたからである。そもそも議員自身の中に「哲学」がないからである。
では、私たち国民はどうしたらよいか。今まで通りの態度では何も変わらない。それどころかますます「様々な問題」が深刻化の一途をたどってしまう。求められるのは、現実を凝視し、あるべき姿勢を認識し、できる範囲での行動を起こす。
次回からは、そのことについて考えてみたい。