劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

語られる歌と歌われる音楽(2)

2017年09月03日 | オペラ
 「語られる歌」を聴かせてくれた歌謡界の女王・美空ひばりを想うとき、私たちは日本から世界に目を移すことになる。「語られる歌」といえば、やはりシャンソン。わが国でも宝塚出身の越路吹雪がその代表格だが、本家のフランスへ渡って打ちのめされる。「シャンソンの女王」エディット・ピアフの圧倒的な実在感や歌の表現の深さに言葉を失ったのだ。
 「愛の讃歌La Vie en Rose」をはじめとして今でも歌い継がれる曲を残し悲劇的な生涯を送ったエディット・ピアフが「世界で最もよく知られたフランス人アーティスト」だとすれば、恋に生きた人生という点では一歩も引けを取らないギリシャ系アメリカ人マリア・カラスは「20世紀最高のソプラノ歌手」として世界の歌劇場を股にかけオペラ界に君臨した。「椿姫La traviata」「トスカ」などの歌唱は、「…技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。」(フリー百科事典ウィキペディア)
 歌謡曲やシャンソンが音楽的には「大衆歌謡/世俗歌曲」というジャンルであるのに対して、オペラは「クラシック音楽」の一分野であり、演劇においては「歌劇」として位置づけられている。この西洋の芸術音楽を志す者は音楽学校において知識や技術を身につける必要があるが、オペラ歌手も例外ではなく専門的な声楽教育を受けなければならない。
 「大衆歌謡/世俗歌曲」やアメリカで生まれた「ミュージカル」においては心のままに歌うのだが、オペラでは<歌う>というより<演奏する>と言ってよい。人間の体を楽器としてとらえ、本人の声域範囲でいかに美しく声の音楽として大ホールの隅々まで響かせるかが求められる。しかもオーケストラの音圧に負けない生の声で歌唱するのである。マイクロフォンやスピーカーを用いる前者とはこの点でも異なる。イタリアで生まれた<ベルカント唱法>は、「人間が持つ感情の喜怒哀楽を最も美しく表現するためのものとして編み出された、100年以上の歴史を持つ発声方法」だと言われる。「歌われる音楽」という所以がここにある。
 しかし、こうした歌唱法をマスターしたからといって、聴衆の心を打つ歌を歌えるかとなると、それはまた別問題だ。歌には言葉がある。言葉の背景には主人公の人生やそこで描かれている情景や心情がある。それらを理解し実感できる歌手でないとリアリティのあるアリア(詠唱)にはならないのだ。それを体現できたオペラ歌手だけが歴史に名を残すことになる。前述のマリア・カラスがいかに稀有な存在だったか、それは音楽によって人間を表現できたことに尽きる。
 さて、この数年、私は創作オペラの台本を書きその上演に意欲を燃やしている。半世紀以上、演劇(ストレートプレイ)のみに関わってきたので、オペラは縁遠い存在だった。しかし、以前から演劇における音楽は大切にしてきた。大学4年の秋に上演した『ガラスの動物園』(T.ウィリアムズ作)の際は、東京文化会館・資料室まで出かけ、音楽協力者にイメージを伝えて選び出された曲をヘッドフォンで視聴しながらイメージにぴったりする部分を指定し、後日、彼女とその友人に演奏してもらって録音した音源を本番で使用した。
 その後、録音したものを劇場のスピーカーから流すことに飽き足らず、演奏者を舞台に上げて「音楽」を生演奏とすることで、単なる劇伴としてではなく、劇そのものを支配する「神」の役割を担わせた。また、ギリシャ古典劇に欠かせないコロス(合唱舞踊隊)を登場させ、合唱によって劇の世界を展開させる手法をとることで、声楽を演劇に取り入れる上演形態を生み出した。このことがやがて「オペラ上演」に関わることになった現在の土台を成しているのだろうと認識している。





※(舞台写真の内容)2005年『冥界の三人姉妹』(神奈川総合高等学校創立十周年記念)2007年『オフィーリアのかけら~予告篇~』(横浜創造界隈ZAIM別館ホール)2008年『音楽演劇 オフィーリアのかけら』(新宿シアターサンモール)2010年『Shadows<夏の夜の夢>に遊ぶ人びと』(北沢タウンホール)2012年『全体演劇 わがジャンヌ、わがお七』(東京・両国シアターχカイ)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする