劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

消えゆく単線区間<湯けむりライン>に思う

2024年09月01日 | 随想
 演劇ユニットを主宰していた時期は、企画製作・脚本・演出と分刻みのスケジュールで目いっぱいの日々を送っていたが、ミニオペラにシフトしてからは制作と脚本のみを担当することになり、それも一段落して、現在は執筆活動(戯曲・オペラ脚本・小説)に専念していて自由時間が増えた。
 それとともに、日常の時空から創作の構想上の世界へスイッチするため東京を離れて温泉地に赴くことが多くなった。だが、文豪のように逗留するという余裕がないので、近場の箱根・湯河原・熱海か、北関東や東北までである。
 そうした中で、足を運んだのが<湯けむりライン>と呼ばれるJR陸羽東線の沿線である。

 ※東北地方では幹線の東北本線や奥羽本線が南北に縦貫している。陸羽東線はその両者を連絡する路線の一つで、1917年(大正6年)に全線が開通した。全線が単線で非電化である。起点側の小牛田駅、古川駅付近は大崎平野の田園地帯であり、路線の中間は鳴子温泉などの温泉地を抱く奥羽山脈のただなか、終点側の新庄駅付近は新庄盆地の中である。(フリー百科事典ウィキペディア)
 宮城県の鳴子温泉郷(川渡温泉・東鳴子温泉・鳴子温泉・鬼首温泉・中山平温泉)に加えて、山形県の赤倉温泉と潮見温泉を陸羽東線が結んでいて<湯けむりライン>というキャッチフレーズが生まれたようだ。
 昨年夏の中山平温泉と潮見温泉を皮切りに、今年は川渡温泉・鳴子温泉・鬼首温泉を巡り、先月には赤倉温泉を訪れた。
 「続日本後記」に火山噴火と温泉湧出の記録(837年)が残っているが、伝説としては、義経が兄頼朝の追っ手を逃れ平泉へ向かう途上、また、芭蕉が<おくのほそ道>で通った事跡も残っている。そうした歴史的由緒に関心があったのではなく、この鄙びた単線区間・ほとんどが無人駅・のんびり走る二両編成のワンマンカー・車窓から見える田園風景・ときに立ち上る湯けむり、それらに心惹かれたのである。
 しかし、ある駅の待合室に貼られていた「陸羽東線は存続の危機にある」のポスターを目にして足が止まった。まばらな観光客の他にわずかな住民と生徒たちが乗車している現状、日本各地に広がっている廃線区間同様、利用者の激減と赤字経営の典型にちがいない。
 また、原因の一つに車の普及もあるだろう。地元住民の各戸には駐車場があるだろうし、観光客も私のような電車利用者よりも自家用車を乗りつける宿泊客が圧倒的に多いのだ。排気ガスによる空気汚染・地球温暖化の遠因を声高に叫ぶつもりはないが、50年来のエネルギー革命によって「車はステイタス、文明の利器」の風潮が蔓延してしまい、公共交通機関の重要性と文化的価値を念頭に置かない現実にため息が出る。
 先月の「赤倉温泉行き」では、古川駅(東北新幹線乗換駅)で足止めを食らった。豪雨被害の影響もあって、電車は鳴子温泉駅止まりというのだ。宿に電話をしたところ、30分をかけて駅まで送迎するというので、東京へとんぼ返りしなくて済んだのは幸いだった。
 数日後、ネットに次のようなニュースがアップされていた。
※7月の大雨で一部運休続く陸羽東線/代行バスの運行開始・鳴子温泉―新庄間・一日一往復(なるこおんせん午後1時15分発)・運賃は列車と同額[khb-tvニュース(東日本放送)]
 送迎してくれた宿の若主人は「(陸羽東線は)鳴子温泉までは残すでしょうがね」と言う。つまり、鳴子温泉駅から先、新庄駅までの区間は廃線が濃厚か…私の<湯けむりライン>も先が見えてきている。
コメント
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