劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

日本演劇学会・全国大会へ参加

2007年06月29日 | 日本演劇学会
 「日本演劇学会・2007年度 春の全国大会」が兵庫県伊丹市の大手前大学で開催され、今回、私は久しぶりに発表者の一人として参加しました。「2000年度 秋季大会(於:関西学院大学)」で、「単位制総合高校における演劇の授業」を発表して以来のことです。
 大会テーマは、「演劇の耳――声、音、音楽」。
 慶應義塾大学で<戯曲における聴覚効果>を講義(映画演劇論Ⅲ)していることもあり、演劇ユニット 東京ドラマポケットで<音楽演劇>制作の渦中にもある、という巡り合わせが研究発表応募の動機になりました。
 さて、当日、研究発表Bグループ(M棟102教室)の司会者は、日本大学の熊谷保宏先生(写真右上)でした。先生とは「演劇と教育」研究会で長いお付き合いがあったので、リラックスして発表に臨むことができました。
 発表のタイトルは、「戯曲にみる聴覚効果と音楽演劇の多層性」。
 表題の通り、内容も、T.ウィリアムズ『欲望という名の電車』を対象にドラマの展開に重要な役割を担う聴覚効果とその多重表現を検証する、<音楽演劇>制作の実際を取り上げ演技と音楽とのポリフォニックな表現とその多層性について考察する、という構成です。
 私は学者でも研究者でもないので、教育の現場・演劇制作の現場からのレポートという内容になりました。発表内容が二つに跨っていたので、『少し欲張りましたね』という声がある一方、<音楽演劇>に関心を示す方たちが何人かおられ、発表を終えた後も、東京ドラマポケットのアトリエ公演について立ち話が続き、名刺交換となったのでした。
 ところで、この「全国大会」参加には、様々な研究に直接触れて刺激を受け演劇研究や実践の糧にすると共に全国から集まる参会者との交流を深めるという意義があるのですが、もう一つ、この機会にしかない楽しみもあるのです。それは、親しい演劇研究者と過ごす居酒屋での時間―。
東京で開かれる会の場合は、帰りの電車や明日の授業のことを念頭に置きながら語り合い飲まなければなりません。それに対して、関西など地方が会場の場合は、近くにホテルを取っていること、明日の仕事への心配が無いことなどで、精神的にゆったりできるのです。気持ちにゆとりが生まれ、心が開けば、本音も出ます。相手の人間性に触れることが出来ます。物の考え方を理解し合えるばかりでなく、お互いに人間的な親しみを感じることが出来るのです。今回も、私の研究発表(第一日目)終了の夜、大阪梅田の炉端焼きの店で、M大学のT教授と至福の時間を過ごすことになりました。T先生と親しくなったのは、冒頭に書いた7年前の「大会」の夜で、場所はやはり梅田だったのです。二人の記憶の底にその時の楽しさが生きていたのだと思います。
 知人から知己へ、そして友人へ…。人間関係の広がりと深まりを与えてくれる機会、それがこの「大会」でもあるのでしょう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お仕事」ではない「仕事」

2007年06月13日 | 随想
 今年も気がついたら、夏です。
 世の中の慌しさもあるでしょうが、時間に追われている自分の生活が原因なのでしょう、あっという間の半年でした。高校の同期生たちのほとんどは、悠々自適の生活に入っています。40年間の在職時代がどんなに忙しかったとしても、定年を迎え還暦を過ぎた今は、地域の活動、趣味の写真や能面作り、短時間のアルバイトなど、各自が比較的余裕のある日々を送っているのです。
 私には、「定年」という一区切りがありません。一時期を除いて定職には就かず、非常勤講師の掛け持ちをしながら、演劇制作を続けてきた変わり者です。脚本を書き、演出をし、プロデュースをするというこの「仕事」は、いわば、会社の大プロジェクトを立ち上げて遂行するのと同程度のエネルギーと時間とお金が掛かるのですが、非営利的な仕事なので常に赤字です。ささやかな運転資金、公的助成金やサポーターのご厚意で、なんとか凌いでいる状況なのです。
 経済的下流の身なのに、なぜ、金が掛かる演劇をやるのか。答えは、「好きだから」。でも、それだけでは、答えになっていないでしょう。趣味ではなく、「仕事」だからです。一般的な意味での仕事=職業を「お仕事」とすると、個人的な収入のない(むしろ出費ばかりの)演劇制作は「仕事」だと考えています。もちろん、商業演劇の場合は、この「お仕事」と「仕事」が一致していることになります。私の場合は、非商業的演劇の場に身を置いているので、どうしても<二つの世界>が必要となるのです。
 高校を卒業して3年間、外資系の航空会社や貿易会社で働いていた頃、「いかに生きるべきか」で悩みました。「自分にしかできない‘もう一つの世界’を創りたい」という思いに駆られました。それが私にとっては「演劇という仕事」でした。
 演劇は、一人では出来ません。現在、私は「演劇ユニット 東京ドラマポケット」の代表を務めていますが、この「仕事」に関わっているメンバーは現在30名を超えています。その殆どが若者ですが、舞台監督や照明・音響スタッフには、かつての芝居仲間(私より少し若い)が参加しています。彼らは、舞台・放送技術を専門とし、また職業ともしているので、いわば演劇は「お仕事」になるのですが、そういうスタンスでは関わっていません。引き受け仕事ではなく、若い世代とともに一つの舞台を創る「仕事」と捉えているのです。私たちはもう若くはありません。これからは、真摯な姿勢を持ち芸術を愛する若者たちと「創造の場」を共有し、自分たちが学び取ってきた何かを次の世代に引き継ぎたい、という思いが強いのです。このことは、「お仕事」ではなく、「仕事」だからこそ可能なことではないでしょうか。

*写真上は、東京ドラマポケット初稽古(5月)。写真下は、全体ミーティング(4月)。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする