劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

続・本物に触れて深さを知る、すべてはそこから①

2024年10月03日 | 随想
 今や、大相撲はスポーツ化、歌舞伎はビジュアル化してしまって、かつてはあった「本物」の魅力を失ったしまった。以前「本物とはどのようなものだったか、それが失われてしまった背景とは」について詳述したが(※2020年10・11・12月記事)、土俵や舞台を生で観られなかった場合、名勝負や名演技は記録映像に残っていてそれを観る方法についても紹介しておいた。
 ここで、映画についても書いておきたいと思った。
 相撲や芝居の記録映像の場合は「ああ、こういうものだったのか」を知る手がかりであって、生で味わう本来の体験にはならないが、「活動写真」と呼ばれてスタートした映画はMotion picture からfilmに定着されたthe moviesとなった。すなわち、映画は映像自体が芸術表現であって展開される一つ一つのシーンが「生の」表現のまま永遠に消えることはない。
 さて、映画における「本物に触れて深さを知る、すべてはそこから」だが、今回は俳優の存在について取り上げてみたい。映画芸術は制作の中心となり演出はもちろん編集権も持っている監督のものとされている。だが、戦後の一時期においては、その俳優の演技なくして成り立たない作品が残っている。
 先月、NHK-BS「プレミアムシネマ『浮雲』」が放映された。監督:成瀬巳喜男/原作:林芙美子/脚本:水木洋子による昭和の名作映画である。
※1955年度キネマ旬報ベストテン第1位、監督賞、主演女優賞、主演男優賞。
 戦時中の仏印(ベトナム)から戦後の占領下の日本へ、東京から伊香保温泉へ、屋久島へとダイナミックに変化する場面。エリートの二人が運命に翻弄され落ちぶれ、ついに女は病死してしまう。涙をこぼしながら唇に口紅を差す男の状況がラストシーン。黒澤明監督が敬愛し小津安二郎はじめ歴代の監督も一目置いた成瀬巳喜男は文芸映画の巨匠であるが、その代表作の『浮雲』は、主演の高峰秀子と森雅之の演技によるところも多い。
 高峰秀子は、運命に流されていく女を「表情・しぐさ・振る舞い」によって自然に演じ分けている。気品のある農林省所属のタイピストから、戦後経済的に追い詰められ米兵の情婦になり、男との再会後は妊娠中絶、やっと職を得た男の赴任地屋久島へ体を横たえたまま同行し一人で死を迎えるまで。
 筆者が父親に連れられて観に行った『二十四の瞳』では小豆島分校の教師(1954年:ブルーリボン賞主演女優賞)、『名もなく貧しく美しく』では聾唖者夫婦の妻(1961年:毎日映画コンクール 女優主演賞)、『乱れる』では義弟を愛する人妻((1965年:ロカルノ国際映画祭 最優秀女優賞)をそれぞれ演じている。※まさに百変化とも言うべき、多様な役を、その役の性根をつかんで演じきった日本映画史上、稀有の名女優であった。映画でデビューし映画で引退した、日本映画史上、最高の大女優・名女優として評価される存在である。
 森雅之は、高峰秀子が映画の人なのに対して、演劇の人だった。戦前は劇団文学座で杉村春子らとともに活躍、戦後は劇団民藝、後に劇団新派・東宝現代劇などフリーで舞台に立つ。映画界進出は、松竹映画『安城家の舞踏会』(1947年)での没落華族の長男役で注目されたのがきっかけである。1950年代、溝口健二監督『雨月物語』・黒澤明監督『羅生門』・成瀬巳喜男監督『浮雲』でニヒルな二枚目役を演じ、トップスターとして活躍する。多くの作品でヒロインの相手役などを演じたことから、「女優を最も輝かせる男優」とも称されている。また、家柄の良さとインテリジェンスから、上品かつ迫力ある役作りのできる俳優だった。その個性は小説家有島武郎の長男として生まれ、京都帝国大学文学部哲学科美術史専攻を中退して(「役者になりたいという気持ちが強くなり学業より芝居を選んだため」)、学生劇団「テアトル・コメディ」結成に参加したことによるものだろう。(後に長岡輝子らとともに文学座へ)【引用:ウィキペディア フリー百科事典】
 『浮雲』の主演を務めた二人はいわば不世出の俳優であり、その存在感を醸し出せる俳優を今探すことは難しい。
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