高校を卒業後1年余りの準備を経て、演劇・軽音楽・日本舞踊・吹奏楽をプログラムに組んだ公演を制作した。出演者は自分を含む同期生、先輩、後輩で、スタッフも母校の仲間であった。当時(45年前)は、素人が市民会館などを借り切って、一般公演を打つということは珍しかった。しかし、意気込みだけはあったので、公演成功のためにはありとあらゆる方法を模索し、可能なことは全て推進し、実現に漕ぎつけた。その仲間との努力が実って、客席は満員だった。最前部には、老人ホームのお年寄りたちをご招待した。横須賀バドミントン協会の会長をされていた市会議員O氏(私は一選手として会長のお宅に出入りしていた)の協力を仰ぎ、老人ホームご一行の送迎バスを出して頂いた。
「演劇」は、高校3年の文化祭で上演した「坪川健一作『逃散』」の再演(写真)であった。「一般の施設で本格的な演劇公演を!」それが、私たちの悲願だった。だから例えば、かつらも本物でなければならなかった。その願いを叶えて下さったのが「東京・八木かつら」の八木正夫さんだった。八木さんは、その年NHKの大河ドラマの第1回目「花の生涯」で、淡島千景さんのメークを担当していたが、こちらの本番当日、出演者全員のかつら・メークを終えて直ぐ、とんぼ返りで内幸町の局に戻られたのだ。当時は生放送のみだったので、ご本人には大変な思いをさせてしまったようだ。それでも、八木さんは、現在でも何かにつけて相談に乗ってくださっている。
さて、全てのプログラムが終了した時だった。司会者の進行予定にないことが起きた。ご招待したお年寄りの代表が舞台に上がられ、挨拶をされたのだ。『この度は、私どものために、若い方たちがこのような催しを…』長身の老人の話は立派で、後から知ったことだが、最高学府のT大学出身だったそうだ。私も仲間も仕事の合間を縫いながら稽古や準備に奔走してきたのだが、この「ご挨拶」で、それまでの疲れはいっぺんに吹き飛んだ。
あの日の体験が、その後の私の人生を決定したと言える。たとえ苦しいことの連続であっても、キャスト・スタッフが一丸となり舞台の幕を上げられた時、また、観客が舞台と一体となり一つの世界を共有できて幕が下りた時、何ものにも代え難い歓びが体いっぱいに広がることを知ってしまったのである。 あの日、19歳だった少年は、今、還暦を越えた老人になった。だが、幸せなことに、体力的な衰えを思い知らされてはいても、精神面は、昔と何一つ変わっていないような気がする。つまり、ほとんど進歩していないとも言える。相変わらず、芝居作りが好きなのである。芝居さえやれれば、あとのことはどうでもよいのである。
実は、「あの日」からの芝居作りの積み重ねが、今、小さな花を開かせようとしている。昨年来設立準備を進めてきた「演劇ユニット 東京ドラマポケット」の立ち上げである。代表の私と友人のスタッフを別にすれば、ほとんどが10代から20代の若者の集団なので、若い仲間と連日のようにメールのやりとりをし、打合せをする。そんな時、ふと、彼・彼女たちの顔が、45年前の自分たちの顔と重なって見えてくるのだ。舞台公演に燃える瞳が、私に時間のトリップを起こさせるのかも知れない。
「演劇」は、高校3年の文化祭で上演した「坪川健一作『逃散』」の再演(写真)であった。「一般の施設で本格的な演劇公演を!」それが、私たちの悲願だった。だから例えば、かつらも本物でなければならなかった。その願いを叶えて下さったのが「東京・八木かつら」の八木正夫さんだった。八木さんは、その年NHKの大河ドラマの第1回目「花の生涯」で、淡島千景さんのメークを担当していたが、こちらの本番当日、出演者全員のかつら・メークを終えて直ぐ、とんぼ返りで内幸町の局に戻られたのだ。当時は生放送のみだったので、ご本人には大変な思いをさせてしまったようだ。それでも、八木さんは、現在でも何かにつけて相談に乗ってくださっている。
さて、全てのプログラムが終了した時だった。司会者の進行予定にないことが起きた。ご招待したお年寄りの代表が舞台に上がられ、挨拶をされたのだ。『この度は、私どものために、若い方たちがこのような催しを…』長身の老人の話は立派で、後から知ったことだが、最高学府のT大学出身だったそうだ。私も仲間も仕事の合間を縫いながら稽古や準備に奔走してきたのだが、この「ご挨拶」で、それまでの疲れはいっぺんに吹き飛んだ。
あの日の体験が、その後の私の人生を決定したと言える。たとえ苦しいことの連続であっても、キャスト・スタッフが一丸となり舞台の幕を上げられた時、また、観客が舞台と一体となり一つの世界を共有できて幕が下りた時、何ものにも代え難い歓びが体いっぱいに広がることを知ってしまったのである。 あの日、19歳だった少年は、今、還暦を越えた老人になった。だが、幸せなことに、体力的な衰えを思い知らされてはいても、精神面は、昔と何一つ変わっていないような気がする。つまり、ほとんど進歩していないとも言える。相変わらず、芝居作りが好きなのである。芝居さえやれれば、あとのことはどうでもよいのである。
実は、「あの日」からの芝居作りの積み重ねが、今、小さな花を開かせようとしている。昨年来設立準備を進めてきた「演劇ユニット 東京ドラマポケット」の立ち上げである。代表の私と友人のスタッフを別にすれば、ほとんどが10代から20代の若者の集団なので、若い仲間と連日のようにメールのやりとりをし、打合せをする。そんな時、ふと、彼・彼女たちの顔が、45年前の自分たちの顔と重なって見えてくるのだ。舞台公演に燃える瞳が、私に時間のトリップを起こさせるのかも知れない。
とても良い経験だったでしょうね。
自分にとっては、17才で関わった基礎演技の舞台装置スタッフの経験がそれに近いのかな。
今、人並みに就活に励んでいますが、あの経験はきっとこれからも自分の力になると思います。
貴君は、これから社会人としてスタートですね。
自分に正直に、周囲に誠実に、精一杯活動してください。
舞台系発表会「STAGE ACTINGⅠ~芝居~」では、
1月2日に、打合せをしましたね。覚えていますか?
お互い、自分に恥ずかしくない仕事をしていきましょう!