劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

「音楽演劇」から「ミニオペラ」へ(前)

2016年05月05日 | オペラ
 ライフワークとしての演劇を振り返ってみると、青春期におけるリアリズム演劇の上演および演出経験から始まり、それにかぶるように大学時代に出会ったブレヒト・ベケットによる「叙事詩的演劇・不条理演劇」、そして、70年代にかけての「運動の演劇」の影響を受けての劇作修業・上演活動が続いた。
 やがて壮年期からは、「メタシアター・劇中劇構造」に関心が向き、合わせて、物語の四次元的再現としての演劇を忌避するようになった。ストーリーの絵解き、戯曲の立体化しての演劇ではなく、「俳優の演技を中心とした美術・音楽などの表現要素が重層的に融合する世界の創造」を目指した。それは、「演劇ユニット 東京ドラマポケット」(2006年~2012年)の創設趣旨でもあった。演劇の文学からの自立という観点は「歌舞伎」から、また、本歌取りをはじめとする劇世界の設定は「能狂言・人形浄瑠璃」から強く影響を受けたといえる。
 さて、老年期に入って心血を注いだ東京ドラマポケットの上演活動は、『オフィーリアのかけら~予告篇~』(横浜創造界隈別館ホール)『音楽演劇 オフィーリアのかけら』(新宿シアターサンモール)『Shadows<夏の夜の夢>に遊ぶ人びと』(北沢タウンホール)『全体演劇 わがジャンヌ、わがお七』(両国シアターカイ)で幕を下ろした。
 音楽をいわゆる劇伴ではなく「劇」そのものを支配する<神>の位置に設定した「音楽演劇」や、紀元前のギリシャ古典劇の合唱隊を基にした「コロスドラマ」、演技と舞踊と音楽を劇世界の中でポリフォニックに融合させた「全体演劇」…と、実験性を重視した舞台活動を展開してきた。全て、現代演劇活性化の一例を示したかったのである。
 こうして振り返ってみると、まさに近代劇から現代劇へ移行する芸術思潮の流れに身を置いてきたことが分かる。さて、演劇活動にピリオドを打ってしばらくした頃、「コロスドラマ」で出会った仲間とのつながりから「創作オペラ」に脚本・演出スタッフとして関わることになった。無名の小団体だったから、もちろん本格的なグランドオペラではなく、1時間足らずの演奏会形式に準ずる小オペラである。
 私にはクラシックの素養は不足しているが、山本安英主演の『夕鶴』(木下順二・作)で音楽を担当した團伊玖磨が作曲、伊藤京子が主演した『オペラ 夕鶴』は、上野の東京文化会館(1966年2月)で観ている。そこで受けた印象と思いが強く残っていて、「日本語が西洋音楽で歌われること」が自分にとっての舞台芸術の一課題となっていた。
 その思いに耳を傾けてくれる相手とその<無名の小団体>で出会った。ピアニストで作曲家の水沼寿和氏である。若手ながら謙虚な人柄と芸術への真摯な姿勢に惹きつけられた。“この人となら出来る”と直観した私は、『ハムレットとオフィーリアにしぼった台本はどうでしょう?』と問いかけたところ快諾を得たので、具体的な作業に入った。台本の素材は自分が熟知しているもの、となれば、ストレートプレイで上演してきた「オフィーリア」になる。重要なのは素材ではなく、日本語の歌唱による作品そのものである。
 台本の初稿は二年前の12月、楽譜は昨年の8月下旬に脱稿、その後の創作面のやり取りを経て「確定稿」に至ることになる。


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