慶應義塾大学・日吉校舎で、「特別企画 小栗康平監督 最新作の上映と対談」が開催された(10月12日17:15~20:00・来往舎シンポジウムスペース)。
最新作『埋もれ木』は、過疎の山里に生きる若者と熟年の男たちと老婆が置かれている状況を切り取り、それぞれの日常から滲み出す想念と幻想が村の習俗を背景に描かれる。初監督作品『泥の河』(1981年・原作 宮本 輝)以来、海外の評価の高い映像世界はその創作方法において、作を追う毎に変化し深まりを見せている。しかし、一貫しているのは、時代と社会、そこに生きる人間を見つめる眼である。鋭く、優しく、何者かに向けられたマグマのように燃えたぎる怒りである。人間を愛おしみ、芸術を愛する小栗さんの思いは、その著書「哀切と痛切」(平凡社ライブラリー)にもよく表れている。
上映の終了後、小栗監督と橋本教授(慶應義塾大学)との対談が行われた。最新作を中心にこれまでの映像表現に関して具体的な例を挙げながら話をされたが、私にとって印象的だったのは、「見てるものと見えるもの」についての論議だった。「自分が見ているものは、かなりあやふやなものである(実相を捉えていると確信すべきではない)。同じ映画を見ても、(見る者によって)見ているものは違っている。同じ物語と画像と音が(そこに)あっても、同じものを見ていると考えるのは、とんでもない間違いだ。」小栗さんの言葉は会場に詰めかけた一人一人の胸に響いたようだった。「見てる」と「見える」は、確実に違う。これは映画に止まる問題ではないだろう。芸術鑑賞の全て、いや、人間・社会・時代への向き合い方の根本に通じることである。
小栗監督は、学生からの質問にも誠実に答えられていた。「まず、古典(名作映画)を観て知るべきだ。知らないで、決めつけるのはよくない。」「(古典を含めた)たくさんの映画の財産を観る機会があるべきで、最高学府と呼ばれる大学に映画館(たとえ小規模な施設であっても)が無いのは、いかがなものだろう?」
会の進行もスムーズで、定刻に終了した。私は、対談を受け持たれた橋本教授にご挨拶した。三田校舎で、「映画演劇論Ⅰ・Ⅱ」を長らく担当されていたからだ(私は、現在「映画演劇論Ⅲ・Ⅳ」を担当)。『懇親会に出られませんか?』とお声を掛けて頂いたので、甘えることにした。大学構内のレストランで、立食形式の親しみやすいパーティーとなった。小栗監督とも言葉を交わす機会が持てた。第一回監督作品で名作となった『泥の河』を授業でも語るほどこの映画を愛しており、その作品を生みだした監督が目の前に…私は少し興奮していた。うどん屋の親父(主人公の少年の父親。満州での戦争体験の影が色濃く残っている)を演じた俳優・田村高廣の素晴らしさに熱弁をふるう一ファンに眼を細めて頷いておられた監督は、早稲田・演劇科で同時代を過ごした先輩だった(年齢は、私がやや上)。
この貴重な催しを実現して下さった関係者に感謝している。至福の時間であった。
最新作『埋もれ木』は、過疎の山里に生きる若者と熟年の男たちと老婆が置かれている状況を切り取り、それぞれの日常から滲み出す想念と幻想が村の習俗を背景に描かれる。初監督作品『泥の河』(1981年・原作 宮本 輝)以来、海外の評価の高い映像世界はその創作方法において、作を追う毎に変化し深まりを見せている。しかし、一貫しているのは、時代と社会、そこに生きる人間を見つめる眼である。鋭く、優しく、何者かに向けられたマグマのように燃えたぎる怒りである。人間を愛おしみ、芸術を愛する小栗さんの思いは、その著書「哀切と痛切」(平凡社ライブラリー)にもよく表れている。
上映の終了後、小栗監督と橋本教授(慶應義塾大学)との対談が行われた。最新作を中心にこれまでの映像表現に関して具体的な例を挙げながら話をされたが、私にとって印象的だったのは、「見てるものと見えるもの」についての論議だった。「自分が見ているものは、かなりあやふやなものである(実相を捉えていると確信すべきではない)。同じ映画を見ても、(見る者によって)見ているものは違っている。同じ物語と画像と音が(そこに)あっても、同じものを見ていると考えるのは、とんでもない間違いだ。」小栗さんの言葉は会場に詰めかけた一人一人の胸に響いたようだった。「見てる」と「見える」は、確実に違う。これは映画に止まる問題ではないだろう。芸術鑑賞の全て、いや、人間・社会・時代への向き合い方の根本に通じることである。
小栗監督は、学生からの質問にも誠実に答えられていた。「まず、古典(名作映画)を観て知るべきだ。知らないで、決めつけるのはよくない。」「(古典を含めた)たくさんの映画の財産を観る機会があるべきで、最高学府と呼ばれる大学に映画館(たとえ小規模な施設であっても)が無いのは、いかがなものだろう?」
会の進行もスムーズで、定刻に終了した。私は、対談を受け持たれた橋本教授にご挨拶した。三田校舎で、「映画演劇論Ⅰ・Ⅱ」を長らく担当されていたからだ(私は、現在「映画演劇論Ⅲ・Ⅳ」を担当)。『懇親会に出られませんか?』とお声を掛けて頂いたので、甘えることにした。大学構内のレストランで、立食形式の親しみやすいパーティーとなった。小栗監督とも言葉を交わす機会が持てた。第一回監督作品で名作となった『泥の河』を授業でも語るほどこの映画を愛しており、その作品を生みだした監督が目の前に…私は少し興奮していた。うどん屋の親父(主人公の少年の父親。満州での戦争体験の影が色濃く残っている)を演じた俳優・田村高廣の素晴らしさに熱弁をふるう一ファンに眼を細めて頷いておられた監督は、早稲田・演劇科で同時代を過ごした先輩だった(年齢は、私がやや上)。
この貴重な催しを実現して下さった関係者に感謝している。至福の時間であった。