劇作家・文筆家│佐野語郎(さのごろう)

演劇・オペラ・文学活動に取り組む佐野語郎(さのごろう)の活動紹介

「マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ」を観て(後)

2021年07月19日 | オペラ
 この「オペラ座ライブ」はマリア・カラスのレパートリーを中心としたプログラム構成である。第一部はカラスの持ち役である『ノルマ』の代表曲をはじめ、ご当地パリに縁の深い『イル・トロヴァトーレ』『セビリアの理髪師』のヒロインたちを演唱している。物語の舞台は、紀元前のローマ帝国支配下ガリア地方(現在のフランス)からピレネー山脈(現在のスペイン・アラゴン地方)、そしてフランス革命直前に発表されたボーマルシェのフィガロ三部作の一作目へ。
 マリア・カラスは全く異なるこの三つの世界を深みのある真紅のドレス一着で見事に演じ分ける。パリ・オペラ座国立劇場管弦楽団が繰り広げる音楽世界にヒロインとして次から次へと生まれ変わっていく。ローマからの解放を願う思いとローマ総督への愛に引き裂かれる巫女、そして、可愛い女、苦悩する女、奔放な女…聴衆はカラスの歌唱世界に心を奪われるので衣裳については気に留めない。複数の物語を単一の衣裳、様式的なドレスで通したことが功を奏している。
 また、「一人舞台」が陥る平板さを見事な舞台処理によって立体的に変え、しかも「一人舞台」だからこそできる人物表現の深さを示していた。例えば、カラスが立つ舞台の背後には合唱団がいて、ヒロインの内面的な葛藤(A対B)においてカラスがAを歌うと、合唱団がBを歌う。その静かながらも地鳴りのように響くコーラスをバックにヒロインが迷い逡巡する演唱もある。さらに、相手役(バス/テノール)は登場せず声だけが聞こえてくる設定によって、カラスはそれに対して生き生きと反応し、世界の広がりを現出してみせたのだ。
 さて、第二部は、当夜の中心プログラム『トスカ(第二幕)』になる。この記録は「カラスが残した唯一のオペラ上演画像で、1950年代の10年間に凝縮されるカラスの最盛期の舞台をただ一つだけ今に伝える貴重なもの」である。この記録映画のナレーターは『その透き通る声質は、青い宝石とも呼ばれる』と紹介する。
 私の印象は、第一部の様々な人物を演唱したカラスの表現力の幅と奥行の方が心に残った。『トスカ』では、第二幕のみの上演ではあってもコンサートではなくオペラ形式なので、衣裳も「トスカ」の扮装になる。カラスは「トスカ」を力強く劇的に演じているが、オペラ『トスカ』の主人公というよりはマリア・カラスその人のように映った。それは、全幕上演ではなく二幕のみの抜き出し上演だったことによるのかもしれない。
 演劇人の私が『トスカ』というオペラに惹かれるのは、原典が戯曲で劇構造がしっかりした作品だからであろう。以前、私はTVでの放映がキッカケでこの名作を知り、1枚のDVDを買い求めた。NHKの企画制作による【伝説のイタリア・オペラ・ライヴ・シリーズ プッチーニ:歌劇「トスカ」全曲(1961年10月22日東京文化会館でのライヴ)】である。トスカを演じているのはレナータ・テバルディ、「マリア・カラスと人気を二分する世紀の大プリマ・ドンナ」であった。劇中の人物・ヒロインとして、私はカラスよりもむしろテバルディに惹かれた。アリアの名曲『歌に生き、恋に生き』はまさにトスカの心の真実、魂の響きのように聞こえた。
 それでも、マリア・カラスの存在は厳然としてある。「役」を生きるが「役」に止まらない何か。「プリマ・ドンナ」「ディーヴァ(歌姫)」を超える何か。聴衆の胸に響く何か。「オペラ史上最高の」というマリア・カラスへの冠はその何かによるに違いない。たとえ無名であってもその何かを秘めている歌手こそが脚本家・作詞家にとって最も大切な存在になるのは間違いない。
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